イントロダクション
幼い頃から通知表に書かれたのは〝友だちを作りましょう〟とか〝みんなと遊びましょう〟といった言葉ばかりで、クラスの誰もが一行すら埋められない読書カードをひとりで複数枚消費したことがほめられることはなかった。
そんなこどもだった三川凌順ゆえにもちろん営業職や接客業が務まるわけもなく、就職にあたって選んだのは内勤が主の会社だった。
その日も桜の花びらが舞う夜道を提げたコンビニ袋をがさがさ言わせながら家路を急ぐ。
そして、二歳年上の同僚ともめたことを思い出し、ふとつぶやく。
「早く死なねえかな。あのクソメガネ」
内勤が主の会社であっても人付き合いから逃げられるわけではないのだ。
凌順が住んでいるのは団地の五号棟。
コンビニ側から見て手前の六号棟は誰も住んでおらず、それゆえ一台のクルマも停まっていない六号棟の駐車場を横切るのがいつもの帰宅ルート。
アスファルトで固められた空き地など、都会なら趣味ボーダーやダンサーごっこの練習場になったり、家庭に居場所がなくさりとて行き場所もない少年少女のたまり場になったりするところだろうがそれもないのは奥まったロケーションだけでなく、古い外灯がオレンジ色を明滅させているだけの見通しの悪さによるものだろう。
そんな夜の駐車場で小柄な影がひとつ立ち上がった。
それはオレンジ色に照らされたセーラー服姿の少女だった。
この少女が誰か凌順は知っている。
同じ五号棟に住んでいる塚口家の次女である。知っているとは言っても、名前は知らないし、周辺でセーラー服を採用しているのが中学しかないことでなんとなく年齢の見当がつくくらいでしかないのだが。
とはいえ、そんなていどではあっても他人に無関心な凌順が彼女のことを知っているのには理由がある。
女子高生だった彼女の姉が数箇月前に失踪したことで、ほとんど面識のない凌順のもとへも周辺一帯への警察の訪問や報道によって塚口家の情報が流れ込んできたのである。
その塚口家の次女が夜の駐車場という誰もいない暗い所でなにをやっているのだろうと疑問には思うが、さりとてどう対応していいものかわからない。
普通に考えれば〝こんばんは〟とひと声かけて〝こんなとこにひとりでいちゃ危ないよ〟とでも言えばいいのだろうが、二十代半ばの凌順が暗闇からいきなり声を掛けたらそれだけで悲鳴を上げられそうな気もする。
ましてや先の失踪事件が解決していないことを思えば〝近所に暮らす独身男〟というだけで近隣住人が想定している容疑者リストの上位に急浮上することは想像に難くない。
そんなことを考えて、凌順はできるだけ驚かさないようにと立ち止まって息を潜める――それはそれで誘拐対象を物色している変質者の行動そのものなのだが。
五号棟の方からかすかに聞こえてくるテレビの音だけしかない静けさの中に、塚口家の次女がなにかをぶつぶつとつぶやいているのがわかる。
不意に駐車場のアスファルトを縦横に光の線が走る。
少女を中心に描かれたそれは魔法陣。
凌順は自身の足元にそれが及んでいることに気付いて後ずさりする。
その時、がさりと音を立てた凌順のコンビニ袋に少女が目を向ける。
同時だった。
凌順の周囲から夜の駐車場が消えたのは。