第10話 鋼鉄剣
ダグザ武器店で泊まるようになり、鍛冶スキルを使った武器作成を考えているが、とにかく、土魔法の練度を上げていく、それを今の訓練の課題にしている。
そこで、南西地区の工事現場に毎日、日課のように通っている。
いつも、誰もいないのだけど、今日はおじさんが一人で塀の工事をしていた。
「おじさん、今日は工事してるんですね」
「おー、そうなんだ。お貴族様は気まぐれでねー。金がないから止めといてくれと言ったと思えば、すぐに完成させてくれとか、勝手ばかり言いやがる。まったく。」
「急ぎの仕事になっちゃったんですか?」
「そうなんだ。1週間で仕上げてくれだとよ。」
「お手伝いしましょうか?」
「えっ、お前さん何か加護でも持ってるのか?」
「僕、ゴーレムが使えるんです。」
一瞬、驚いた顔をしたが
「いや、そりゃーもってこいの魔術だなー。わしはトミーと言うんだが、是非手伝ってくれ。急な仕事で人手が足りん。」
「まず、塀は、そこのレンガを積んでいくんですね?」
「そうだ。お前さん名前は?」
「僕はカールと言います。サマンサ魔道具店とダグザ武器店に勤めています。」
「じゃー、頼む。」
そう言われて、屋敷の庭の土から人間サイズのゴーレムを作り出し、レンガの積み方をトミーさんから教わりながら、積み上げていく。
用意されたレンガを積み終わったら、トミーさんが混ぜている物のお手伝いをする。
どうやら、消石灰と砂と水を練って作る漆喰と呼ばれる紀元前から用いられた接着材だ。
主成分の水酸化カルシウムが二酸化炭素を吸収しながら硬化(炭酸化)する、いわゆる気硬性の素材であるため、施工後の乾燥以降に長い年月をかけて硬化していく素材でもある。
炭酸カルシウムは水に不溶であるため、漆喰の保存性は高い。
配分が分からなかったが、トミーさんに教えられながら、材料を混ぜて練って、最後に私がレンガの壁に、厚み5mmほどになるように風魔法で吹き付けていく。
1時間ほどで、持って来た材料を使い切ってしまった。
「こりゃ早い、また持ってくるから頼む。」
「いえ、ゴーレムに運ばせましょう。」
そう言って、ゴーレムと共にトミーさんのお店の倉庫へ行く。
こんな作業を3回ほどして、今日の作業は終わった。
工事はあっと言う間に遅れを取り戻し、この日以降の3日間で門扉の設置まで終わった。
トミーさんとは、今後も共同で仕事を請け負う事になり、建築材料や工法など多くの知識と、土魔法の鍛錬とお金を得る事ができた。
魔力量が増えた事と土魔法の練度が上がったせいか、土遊びをしても魔力切れを起こさなくなったため、武器屋で下取りしたスクラップの鉄の剣を練る事にした。
工房で柄とつばの部分を外して、練り終われば再び組み立てると錬鉄のように密度が上がり体積が減っていた。
王国歴 256年12月第3週
鉄遊びが3か月ほど経過した頃、急に効率良く魔力の消費が少なく成型できるようになった。
それと同時に、炭素含有量やマンガン、イオウ、リンなどの不純物が分かるようになった。
分析のスキルが上がったようだ。
だからと言って、不純物を分離できるようになったわけではない。
だがこれで、鋳鉄から錬鉄へ進化したのだ。
鍛造することで、不純物を取り除き、炭素含有量を減らす事ができるのだが、今はそこまで土魔法ではできない。
あくまで軟鉄(炭素含有量4.5%程度)の状態で鍛造したような密度の高い剣にするだけだ。
今は毎日3本の剣が再生できるようになった。
あとは折り返し鍛錬を数十回することで炭素と不純物をスケールとともに弾き飛ばし、全体の炭素含有量を均一に1.2%、1.4%、1.6%などの数種類作り、土魔法で成型すれば『斬鉄剣』も夢ではない。
ただ、私の腕力にしても、魔法陣を利用したプレス機を作るにしても、それはもっと先の事になる。
防具も同じだ。
鋼鉄が作れない事には、技術革新にはならない。
たまたま、大剣のスクラップを工房で練り練りしていたら、ダグザお爺さんが『鍛冶屋で叩くより』楽だなーと感想を言い、僕は閃いた。
鍛冶屋で形はともかく、熱して叩いてもらえれば、炭素と不純物は取れるのだった。
つまり軟鉄(炭素4.5%)から、鋼鉄(炭素1.5%程度)にしてもらえれば、成型は僕が土魔法で可能なのだ。
あとは焼き入れ温度だけ。
それからは、他の鍛冶屋にスクラップを持ち込み、50回、60回、70回、80回、90回、100回と、数種類の折り返し鍛錬をしてもらって、その鉄材を回収して、武器屋で練り練りして成型し、炭素含有量を分析して、軟鉄の試し斬りを行うつもりなのだが、炭素とスラグをスケールとして飛ばすため鉄の量が半分近くに減ってしまう。
この試斬には剣筋が確かな父に協力してもらい、守備隊で使っている鋳造剣を、試験成形の剣で斬ってもらった。
厚みが2㎝ほどある鋳造剣をあっさりと切断してしまったのだ。
折れる物よりも、曲がる物という選択基準で最適な炭素含有率を探る。
若干のマージンを取って炭素含有率を選び、同じ材料で作成できる形にすると密度が上がった分、厚さも1cmに、幅も細身になった。
私用の物は支給品よりも短く、更に刃の研磨も行っておいた。
問題は数が必要な事だ。スクラップ剣の鋼鉄化は外注するとしても、その固まりを剣に成形するのは僕だから、こつこつと3本ずつ作成した。
鋼鉄になり、更に魔力消費が増えたため、同じ材料での土魔法のスキルアップには、2週間を要した。
2週間後からは、日に日に作成可能本数は増えて、1日10本は作れるようになった。
1か月で150本。
これが限界であった。
これ以上は純水湯沸かし器などの作成に支障をきたしてしまう。
この段階で、刻印と銘柄、シリアルナンバーを入れて、父から守備隊に話しを持って行くことになった。
同じような試斬を経由して、正式採用になり、現有の量産鋳造剣を払い下げてもらう代わりに、優先的に月150本の鋼鉄剣を納入することになった。
隊長からは『斬鉄剣』と名付けられそうになり、あわてて鋼鉄剣に変えてもらった。
『斬鉄剣』という名称を回避したのは、斬鉄剣は軟鉄ではなく、鋼鉄の兜を切れたからだ。
明治21年10月11日、明治天皇の御前で兜割りが行われた。
平安時代から続く甲冑師の名門、明珍家の桃形兜の試斬であった。
堅牢さは古今随一とされ、著名な武将達が愛用したこの兜は元々刀で切れないように造られている。
一番手は、警視庁師範、立身流・鏡新明智流の名手逸見宗助だった。
気合いを込めた白刃は、刃先を欠いて跳ね返された。
二番手は逸見と同門の先輩で、幕末の銀座の料亭で天童藩の剣術と槍術の二人の師範を斬り捨てて勇名を馳せた上田馬之助だった。
上田は渾身の力を込めて斬り下ろしたが、刃先を滑らしてしまった。
一説には刀が曲がったという解釈もある。
最後が榊原鍵吉だった。
直心影流を修め、幕末、幕府講武所の教授方を務めた名手である。
時に58歳の老剣客は、同田貫業次の剛刀を上段に構え、魂魄の気合いと共に桃形兜を斬り下げ、その刀身は6寸5分(約20㎝)も鉄を裁ち、見事に兜を斬り裂いたそうだ。
これ以外にも、鉄筋を切断した事例などはあるようだが、日本刀は本来が鉄を断ち切るものではない。
敵に対しても鉄が切れるという情報を与えるのは、良い事ではない。
試す者はいないだろうけど、武器の性能は極秘情報にすべきだ。
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