‘アイツ’の事情
フットチェイスを終えたその日の帰り道。
筒井、三年の小林、二年の太田と迎と賢悟は下校を共にした。しばらくは同じ方向のため、男ばかりでゾロゾロと連らなる形で校門を出た。
そこで賢悟は、またしても温彩のこと考えざるを得ない状況になってしまう。
キャプテンの筒井が温彩の事を話題にしたのだ。
「なあ、最近アッちゃん、元気ないような気がするんだけど?」
筒井は意外にもこういう面に敏感だ。人望厚きキャプテンの人情味のある一面である。
「そうか?俺は気付きたくてもなかなか気付けんからなぁ」
名ゴールキーパーである小林が返す。
普段ベンチから一番遠いゴールにいる小林は、マネージャーと言葉を交わす機会が他の部員に比べると断然少ない。
「二年は何か聞いてる?」 筒井が問うと、
「いえ、何も」 「俺も、特に何も知らないッスね」
と、太田と迎は答えた。
賢悟はいつものごとく、列の一番端でポケットに両手を突っ込み黙々と歩いている。
納得のいく答えが出ず、いまいちしっくりこない筒井だったが、こういう問いは賢悟には振らない。
興味がないことは最初から分かりきっている。
「いやあ、アッちゃんってさ、プライベートが複雑だからさ。何となく心配でさぁ」
「そうなんスかー?」
太田達は間延びした返答を返す。
「うん。中学の時、唯一の家族だった親父さんも亡くなっちゃったらしくてな。今は叔母さんちから学校通ってんだよ。けどさ叔母さんとこって、深夜まで営業する小料理屋なんだわ」
「へぇ」
初めて聞く話に太田と迎は軽く反応し、賢悟は黙ってそのまま聞いていた。
「そう言えば叔母さんも独りだし、菅波ちゃん店手伝ってんだってな。女だけの店ってどこか心元ないよな」
と、小林が続く。
「確かに心配だよ。ひょっとして何かあったりしたのかな?瑞樹ちゃん何か聞いてないかな」
そう言う筒井の後ろから、今までいなかった者の声がした。
「あんまり騒いでやるなよ」
沖だ。
現れた沖に二年の太田と迎は頭を下げながら挨拶をした。
賢悟も続いて会釈を送った。
「おう、何だ沖か。お前瑞樹ちゃん待ってなくていいのか?」
「あぁ、うん……」
サッカー部では沖と瑞樹の仲は公認だ。というよりも、学校中が知っているカップルだった。
群を抜いた美男美女同士の2人の姿は全校生徒の注目の的だし、優美なオーラを持ったこの2人に、これぞ理想のカップル像だとみんなは羨んだ。
「菅波ならうまくやってるらしいよ。彼女のことだし、きっと平気だって」
光沢のある声で沖がなだめると、不思議と周囲のものは落ち着きを取り戻す。そして事態は収まる。
今も風の様にやってきてそう言うと、微笑み一つでその場の空気を変えてしまった。
「ならいいんだけどよ」
筒井も納得したようだ。
その先で、筒井らは列車を使うためJRの駅へと進路を変える。賢悟はここからはいつも一人だ。
しかし今日はその先を沖と共にすることになった。普段、沖は瑞樹を送る為に違う道を帰るのだが、今日は瑞樹の姿はない。
賢悟と沖が2人きりになるのは、随分と久し振りのことだった。
「上代ここんとこ頑張ってるな。最近すごくキレがいい」
沖が話しかけてくる。
「いえ」と、賢悟は短く返す。
賢悟にとって沖は、会話を取り交わす数少ない相手だった。静寂さが感じられるため話しがしやすいのだ。
技術力の高いエースの沖に、サッカーの事を尋ねることも多かった。
しかし今日の賢悟はサッカーの話題もそこそこに、つい‘気がかり’なことが口から突いて出た。
「沖さん、アイツのこと詳しいんスか」
一瞬、賢悟の放った言葉に迷ったが、すぐに‘アイツ’というのが誰を指しているか理解した。
「ああ、菅波か? 瑞樹が親しいから少しね」
「夜、店を手伝ってるとかって」
「酒も出すけれどメインは料理みたいだし、学校側も事情を踏まえて特例で手伝いを認めてるらしいよ」
「へぇ」
その後は特に会話はなかった。しばらく緩やかに時間が流れた。
左手に土手が出てくると賢悟は、沖に別れを告げ、いつものごとく河原へと降りていった。
賢悟のサッカー狂いを沖も熟知している。諦めの表情で微笑み、
「あんまり無茶するなよ。来週は試合だし」
と付け加え、やれやれと見送った。
そんな沖に浅く会釈すると、賢悟はバッグから自分のボールを取り出した。
勢いよく橋げたに向かってボールを一蹴りし、そのまま球を追いかけて土手下に消えていった。