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飛べ!血まみれライオン

賢悟の頭に、男が出した棒が振り下ろされた。


鈍い音がした。

鈍い音がして、甲高い悲鳴が上がる。


人影疎らなこの時分の河川敷。その風景はいつもと変わらず緩やかに時を刻んでいる。

しかし……


「やだ! いやだケンゴ……!!」


賢悟の額からゆっくりと赤い血が流れ出した。

流血は蛇が這うようにして顎にまで達し、色鮮やかな鮮血の先端が白い襟に向かいポタポタと滴る。

頭部より滲み出る血は、じわりじわりと流れているように見えたが、ユニフォームの襟はみるみるうちに赤く染まっていった。


賢悟は、顔の左側を這い落ちる液体の感覚を神経だけでなぞった。

熱くもなく冷たくもないそれには特有の‘質感’がある。汗とは異なる重さで皮膚を滑っていく。

その感覚のする方に、少しだけ目を動かした。


「痛ってぇなぁ」

怪我を負ったにしては間の抜けた声で呟いた。

首を斜めにもたげ、殴打された頭側の目を細めはしたが、依然立ったったままでいた。

「できればこういうことはゲーセンとかでバーチャルに楽しんでくれると有難いんだけど」


鮮やかな襟元の赤は、ブルーの身頃へと伝うと、濃く際立って見える。

「あららー、血が良く似合うねぇライオン丸くん」

「あんま嬉しくねーな」


温彩は喉を震わせながら掠れた声で囁いた。

「酷い……酷いよこんなこと……許せない……」

涙の痕でヒリヒリと痛むその目の周りに、異なる熱さがこみ上げる……

「大丈夫。ホウレン草食っときゃ平気だ」

眉を上げた賢悟が言った。


頭に棒が振り下ろされた時、正面を見たまま賢悟は抗わなかった。

ボールと違い、丸くもなく、ましてや硬質なそれで叩かれればこうなることは容易に想像がつく。

しかしその一振りを、あえて頭で受け止めた。体が受ける衝撃への恐怖心というものはあまりない。

ただこうなり、想像よりも多めに出血したことが少し邪魔くさいだけだ。


賢悟は目に入りそうになった血を拭い、血の付いた手を振るうと晃に目をやった。

「よぉ、これで少しは気が済んだだろ。そのキラキラしたやつとっととしまえ」

「これぇ?うーんそうねぇ。んん、そっかそっかぁ。確かに姫も、二度は切られたくないってねぇー?」

ヒャヒャヒャと笑いながら晃が温彩の袖を捲くった。


袖の下には包帯が巻かれてあった。

それは見えないように最小限の幅に留めてあったが、充分に痛々しかった。


「何だよ……それ……」

賢悟は一瞬、声を呑んだ。


温彩は小さく身じろぐと、キッとして袖を素早く直す。まだ涙の残る目の淵に力がこもった。

そして自分の肩を掴んで振り回している男を見上げた。

「ケンゴを挑発しないで……」

温彩は初めて晃を睨んだ。


「あらあらら。姫がそんな恐い目しちゃダメだよぉ?だったらさ、言うこと聞かないとこうなるんだよって、ライオンくんにも最初から教えといてあげればよかったじゃん。あつさが悪ーるーいっ」


(うるさい……)

温彩は胸の前から手を下ろすと、静かに拳を握った。

秒刻みでめまぐるしく入れ替わる状況や感情で、先程まではどうにかなりそうだったが、今しっかりと地に足をつけた。

それに、明確な‘怒り’がここにあるのを感じる。


自分はこの男に脅され、追い詰められた。逃げる術はないと思った。

だから周囲に飛び火しないよう思いを断ち切り、色んなものから身を引いた。

賢悟が真っ直ぐに差し伸べてくれた救いの手すらも拒んだのだ。

でも。間違いだった。

傷付けまいと苦慮するのではなく、傷を負ってでも一緒に闘ってくれる手をとるべきだった。


『守りに徹しているだけじゃ、勝ち進んでいくことはできない』

賢悟の姿が、そう言っている―――



温彩同様、賢悟も言いようのない気持ちに襲われた。

「そいつに、やられたのか……?」


身から出た錆だ。

やっと自分の心に向き合ったところで時既に晩し、こんな陰惨な先制点を許してしまった。


気持ち、思い、本音とかたてまえ。そういう目に見えないものや、複雑なものは未だに良くわからない。それが他人のものでも、自分のものでもそうだ。ごちゃごちゃと考えるのは苦手だった。

だから今まで、そういうものから一線を引いてきた。


しかしそれが仇になった。


大切だと思うものに、惹かれるものに、もっと早く一歩を踏み出すべきだった。

そういう自分の弱さを超え、もっと素直に突っ走るべきだった。

己の馬鹿さ加減にこんなに憤りを感じたことはない。もう二度と、後悔しない様にしなければ……


賢悟と温彩の目が合った。

ピンと張り詰めた何かが、2人の間にしっかりと繋がった。



「おいジャンキー」

手の甲でもう一度顎の血を拭いながらポツリと小さく呟いた。

ユニフォームにできた深紅の斑紋はんもんから闘気が立ち上る。

「んんー?何か言ったかぁい、血まみれライオンくーん」

「急ピッチで、追い上げさせてもらうぞ……」

眼光が鋭く晃に突き刺さった。


「何言ってんのぉ?危ないよぉ?喉もとのコレが見えないのぉー」

「うるせぇよ」

賢悟の後ろから風が吹き抜ける。


「じゃあそのナイフのお返しに、豆知識を一つ」

ジリッと音を立てて足元の砂地を踏みしめると、邪魔な小石を払った。

「サッカー選手の脚力って、利き足の一蹴りで人も殺せんだって知ってたか」

「おいおい、スポーツマンの発言じゃないねェ?」

そう言いながらも、晃は賢悟の足元に目をやる。見るからに強靭そうな脚があった。

「ふん。正義の味方の必殺技はキックってのが相場だろうよ」

「ほう、それって脅してんのかな、ライオンくん?」

「さあね。脅しに使えるかどうか、実際試したことねえからなんとも……」

賢悟の口角が僅かに上がる。


不敵な笑みは、立ち上る殺気や流血と重なり、不気味さを増幅させた。

そしてもう二・三回足元を慣らすと、微妙に歩幅をとった。


賢悟はゆっくりと周囲にも目をやる。

金髪の男と、腰ズボンの男を順に見た。一瞬男らがたじろぐ。


「お望みならぶち込んでやるよ……そいつの腕の借りとこの頭の巻き添えだ」

いつものようにスパイクの先で地面で叩いた。

そして次の瞬間、

「アツサ!!」

賢悟の声が川音を遮った。


温彩は待ち構えていたかのように目の前にある晃の腕に手をかけた。

そして、ガブリ!と思い切り噛み付いた。

「うあ痛てっ!」


「ケンゴっ!」

隙を付き、温彩が晃の腕をすり抜けた後、今度はスパイクが土を蹴った。

「とーう」

ヘンな掛け声がした。


ヘンな掛け声がして、血まみれの獅子が宙に舞った―――





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