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賢悟と牛乳

この日温彩は、二時間ほどの遅刻をして登校してきた。

その元気そうな姿に賢悟は安堵した。その気持ちに添うようかのように、いい香りに鼻腔がくすぐられる。

あたり前になっていて今まで気にも留めなかったが、この香りが温彩の鞄のキーホルダーのようなものからしていることに、賢悟は初めて気が付いた。


「うん、もう平気。ありがとう」

次々に声をかけてくるクラスメイト達の対応に追われている声がする。

一先ず、心配していたようなことはなかったらしい。目だった変化もなく、普段通りの温彩だった。


昼休みになると、温彩は弁当を乗せた机を寄せ合い、数人の女子生徒と食事を始めた。

いつものあの顔で笑っている。振り向かなくても賢悟にはそれが分かる。

でも今日は振り向いた。そして席を立つと、賢悟は四つ離れた斜め後ろの席へと向かった。


「よう」

ジロリと温彩を見下ろし、一つ前の席の椅子を引いてまたいだ。そしてドッカリと腰を下ろす。

「医者行って来たのか」

そう言うと、少し猫背になってから温彩を睨んだ。対面の相手を真っ直ぐ見ようとすると、どうしてもこうなる。


「ケ、ケンゴ……えへへ」

咄嗟に笑ったが、温彩は内心ではぎくりとしていた。ケンゴが教室でこんな風に話しかけてきたのは始めてだった。

予想外の賢悟の行動にもだが、やはり一昨日の河原でのことが思い起こされて緊張が走る。


「エヘへじゃねぇ。この暑ちーのにほんとに風邪か」

今日は目を逸らさない。

気のせいだろうか、賢悟の襟元で緩んだネクタイが、きりりと結ばれたドクターのものよりも威圧感を放っているように思える。

「う、うんっ、ていうか遅い夏バテかな?でも大丈夫!復活!あたし元々丈夫だし」

「ああ。相~当~に、な」

「な、なんでそんなに強調するの……?」


温彩の両横で昼をとっていたクラスメイト達も、喋る賢悟に目を丸くしていた。

彼女達は顔を見合わせると、そそくさと弁当箱の蓋を閉めた。そして、「ごゆっくり」と口元を動かしてこの場を離れていった。

温彩は慌てて引き止めたが、波が引くように皆はいなくなった。まるで捨て置くようにして、賢悟に温彩を引き渡した。


なんとなくバツが悪くて周りを気する温彩だったが、目の前を陣取った賢悟はそんなことを全く気にする様子もなく見据えてくる。

サッカーで賢悟と対戦する相手はこんな気持ちなのだろうか……そんなことを頭の隅で温彩は思った。


「ど、どうしたの? いつもは放課後まで(ナマケモノみたいに)動かないのに」

「天変地異みたいに言うな。(誰がナマケモノだコラ)理由ならいっぱいあるけど今聞くか?」

「いえ、やめときます……(不吉な心当たりが多すぎます……)」


落ち着かない温彩をよそに、賢悟は右手に握っていた紙袋を突然ワシワシと開きだした。

そして中から四角いもの取り出すと、温彩の机の上に、ドスン、ドスン、と並べ始めた。

「な、……何??」

意味不明の行動と、机にそびえ立つ……ぎゅ、牛乳パック?


200mlの牛乳パックが三つ。


温彩はおっかなびっくりに、牛乳と賢悟を交互に見た。

すると、どすの聞いたひときわ低い声で賢悟が言った。

「オレのカルシウム分けてやる。飲んどけ」

「はぁ、カルシウム……」

腕組みをして正面から睨み付けられて言われると、温彩は「はい」としか言えなかった。

「あ、ありがと。でもこれ、全部?」

「メシ食いながら1個、食った後1個、残りはオヤツだ。遠慮なくとっとけ」


『何につけてもまず牛乳』と、根拠も概念もない事を付け加え恐い顔をしてる賢悟だったが、その後表情が一瞬緩む。

「つか、顔見たら安心した」

僅かに眉を上げながら、ポツリと言った。


(ケンゴ……)

指の先が、震えそうになる……


温彩は握っていた箸をカタンとおいた。

(やめてよ、泣きたくなるじゃない…… 早く自分の席に戻って…… )


堂々と等間隔に並べられた牛乳の列と賢悟の素顔。なんだかどうしようもなく、胸が熱くなった。

賢悟の声も、表情も、何気ない言葉も、予想のつかない行動も、何もかもその全てが……堪らなく痛い。


「それノルマだからな。有難く飲めよ。カルシウムだぞ」

「でも、こんなに……お腹こわしちゃうよ……」

「は?何個でだ?」

「やだもう……。ヘンなの、ケンゴも……牛乳も……」


こうやって教室で賢悟と向い合う……こんな何気ない日々が続けばいい。

普通とか平凡とか、こんな日常があたり前で、いつものことで……


だったらすごく幸せで、さぞ心地いいことだろう。


賢悟がまた揺りかごに見えて、辛い。

「今日、話しある。部活の後顔かせよ、河原にいるから」

真っ直ぐに見据えていた視線を解除し、窓の外を見ながら賢悟が言った。

おかげで、千切れそうな思いを覚られずにすんだ。

「ん……」


心の中にはいつもある。

柔らかな草の匂い、水面に移る空の色、ボールの音と、賢悟の背中。

少し陽の落ちる時間が早くなったあの河原で、今日、賢悟が自分を待っている。


(ありがと……ケンゴ……)

初で最後の、果たせない待ち合わせ。


袖の中の腕の傷がチクリと疼いた。もう自分は、あの場所へは行かない―――。


そう思うと、心も体も思い出も、何もかもがずきずきと疼いた。



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