ハナの入部事情
賢悟の走り去った後、再び後ろから、今度はガシャガシャという金属音と共に甲高い声が響いた。
「菅波せんぱぁーい!」
今年新しく女子マネージャーとして入部した一年生の橘ハナだった。
ベンチから振り向いた温彩に手を振りながら、山盛りになったボールキャリアーを滑りの悪いキャスターに苦戦しつつ小走りに引っ張ってくる。
体の小さいハナは、まるで山になったサッカーボールを背中に背負っているみたいだった。
そして、
「きゃっ」
案の定つまづいた。
「やだ、ハナちゃん大丈夫?」
温彩は、バランスを崩してよろめいたハナに駆け寄った。
「慌てて来るからだよ。倒しちゃったらボール拾うの大変だよ」
笑顔で言うと、ハナの代わりにキャスターを引いてやった。
「えへへへ。すいませぇん」
ぺロッと舌を出して笑ってみせるハナは、あどけなくて初々しい。いかにも新一年生といった感じだ。
明るい髪色のショートボブが良く似合っている。
「えへへ、菅波先輩はやっぱり優しいな。よかったぁ、菅波先輩が先輩マネージャーで。あ、そうそう。一年の大山たちが先輩のこと、いいって言ってましたよぉ。彼氏いないのかって聞かれましたもんっ。あ、でもこれ聞いてないことにしといてくださいね」
話しの語尾でウフフと笑う癖のある彼女は、純粋な少女っぽさを残していた。
かわいらしい女の子といった感じだ。
しかしふとした時、妙な色気を放つ瞬間があったりもする。恋愛や異性に対して、人一倍興味津々な面があるせいかもしれない。
「ね、先輩って、年下の男の子との恋愛とかはアリな方ですかぁ?私はやだなぁ。だって同級の男子とか、なんかガキっぽいし」
大人びた空気を漂わせたかと思えば、笑うと猫みたいになる目をクルクルさせながらよく喋ったりと、めまぐるしく表情を変化させるハナ。まるで映画のサウンドトラックみたいだ。
「そうそう、先輩さっき賢悟先輩と話してませんでした?」
温彩は、先ほど問われた恋愛論らしきものの返答に頭を悩ませている最中だったが、ハナはもう次の話題に移っていた。
「ああ、うん。話しっていうか、なんだかよく分かんなかったんだけど」
「私、賢悟先輩が女の人と話してるとこ初めて見ましたぁ。ビックリしちゃった」
ピピピピと小鳥がさえずるように軽いトーンで、次から次へと話を展開させるハナに、温彩はいつも付いていくのが必死だ。
「ていうか、羨ましいですぅ。賢悟先輩って何話すんですか?私、賢悟先輩の低温な声好きなんですよぉ。ハナ初めて声聞いた時ドキッとしちゃいましたもん。しかもぉ、滅多に喋らない先輩の声聞けて感動って感じでした。菅波先輩、仲いいんですか?まさか付き合ったりしてるとか?」
「あはは、まさかあ、同じクラスなの。一年の時から同じで……」
「そうなんだぁ。いいなあ!実はハナ、ここだけの話なんですけどぉ、サッカー部のマネージャーになろうって決めたの、賢悟先輩の存在があったからなんですよねー!きゃー言っちゃったぁ」
頬に両手を当て、大袈裟に照れを演出するハナはとてもかわいらしかった。
「へえ、そうなんだ。初めてかも、アイツのことそんな風に言う女の子」
温彩はここでもおかしくなり、クスリと笑った。
もしも賢悟が女の子に猛烈アタックを受けたとしたら、一体どんな態度を見せるのか。
もの凄く、見ものかもしれない。
「えー、だって賢悟先輩って、ワイルドでクールでセクシーじゃないですかぁ」
「え?せ……セクシー?」
「はいっ!声もだけど、髪型とかもぉ、前髪あたり立ち上げ気味にセットしたり、元々ウルフ系だからワックスとかでバリッと決めちゃえば絶対女の子達放っておきませんよぉ。ワイルド&セクシーですっ」
「ワ、ワイルド&セクシーって……でもアイツ、クラスの子とかも言ってるけど、恐くない?」
「ハナ全然平気ですっ!今度の試合が終わった後、何か話しかけてみちゃおっかなぁ。えへへ」
「あはは、ハナちゃんって恐いもの知らずというか、趣味変わってるよぉ」
「そうですか?んー、でもそれよく言われるかも」
ベンチ横に着けたキャリアーのボールの砂を落としながら、2人はしばらくこんな雑談をして笑い合った。
「それよりも……ハナちゃん?」
「はい?」
「そういえばさ、今日、フットチェイスだからボールいらないんじゃ……」
「えっ?!」
一瞬の沈黙の後、じわりと首をすくめてハナは、上目遣いで失敗顔を作った。
「ご、ごめんなすぁい」
そんなハナを見て、温彩は自分の一年の時を思い出した。自分もこんな風に、たくさん瑞樹先輩に面倒をかけてきた。
「たはは、仕方ない。あたしもうっかりしてたわ。元に戻してくるから筒井先輩が帰ってきたらすぐ戻りますって言っといて」
そう言うと温彩はボールキャリアーを片手で引き、体育倉庫まで戻しに向った。
「すいませえん。こっちの用具入れのほう、整理しときますからぁ!」
ベンチから叫ぶハナに手を振り、ニッコリ笑い返して倉庫へと急いだ。
倉庫に向かう温彩とは反対に、次々にグランドに出てくるサッカー部員達。すれ違いざまに、彼等と挨拶を交わす。
せわしなく揺れるポニーテールとキャリアーの金属音は、グランド背面に立つ校舎の向こうに消えて行った。