歪み
ピピピピ……
河原に取って付けた様な電子音が響く。
この時間に携帯がなるのは珍しい。誰だろう、非通知の表示が出ている。
叔母かな?などと思い、少し戸惑っていると、
「出れば。オレちょっと練習するし」
そう言ってボールを持って賢悟が立ち上がった。
「うんゴメン……頑張って!」
ボールを地面に放ち、転がしながら小さく振り返った賢悟が微笑んだ気がした。それを見て嬉しくなり、顔が綻んだ。
しかしその表情は、電話に出てすぐに一変する―――
《あーつーさー、 部っ活っじゃなーいの?》
すぐに声の主は分かった……
「え……、なんで………」
《なんで番号知ってるかってぇ?そりゃぁ俺たち家族みたいなもんじゃーん?》
「何の、用?ですか……」
《だってあつさが嘘つくからさぁー。今日部活じゃないでしょお?》
「部活ですっ」
《へー。部活ってそんなとこでやるんだぁ?……ふざけんな……後ろ見てみろ》
スーッと血の気が引き、振り返った瞬間凍りついた。
遊歩道にしゃがみこんだ片岡晃が、手に持った携帯をこちらに向けてぶらぶらと振っている。
体中から下がった銀色のアクセサリーがチラチラと光る。
「おーーい、あぁーつさ姫ー!おーうちにかぁーえりーましょー」
秒刻みで態度が変わる。
間の抜けた声で叫びながらヘラヘラと笑い、おかしな手招きをしている。
嫌だ……
「誰だあの鼻輪くん。知り合いか?」
気付くと賢悟が後ろに立っていた。
「う、うん……ちょっと」
(ど、どうしよう………)
今、一番対面して欲しくない組み合わせだ。
晃のこと……突然賢悟に掴みかからないとも限らない。
去年のことだった。一度温彩の家の前で、晃と沖が揉み合いになったことがあった。
自宅に来ていた瑞樹を沖が迎えに来た時のことだ。
店の方にいたはずの晃が突然、玄関前で雑談していた温彩達3人の中に割り込んできた。
そして執拗に温彩に絡み、それに対してあからさまに嫌な顔をした温彩に晃がキレたのだ。
そこに沖が止めに入り、晃と沖の揉み合いに発展。
全国大会を目前に控えていたサッカー部に、暴力事件はかなりの痛手となる。
幸いその時は来店していた客が止めに入ってくれ大事には至らなかったのだが、沖を、サッカー部を、巻き添えにするところだったと肝を冷やした。
今年も後何日かで、サッカー部は大会予選に突入する。
同じく、「事」を起こすわけにはいかない大切な時期だ……
「サッカー部のお友達ですかぁー?どぉもどぉもー。あつさがいつもお世話になってまぁす」
河原に下りてきた晃が、ズカズカと2人に近づいてきた。
「おい。なんか危なくねぇコイツ?」
話しかける晃を無視し、温彩に問いかける賢悟。
「おいおい誰が危ないってぇん?それに困るねぇ、ボクのあつさちゃんに気安くされちゃ」
(やだどうしよう、挑発してくる………)
片岡晃……本当に何をするか分からない男だ。つるんでいる仲間にもろくな輩がおらず、良い噂は聞かない。
関わらないに越したことはないのだが……
「本当にちゃんと知ってるヤツなのか?」
「う、うん……えと……」
「わおー、何、何?こないだは白馬の王子様で、今度は野獣のお出まし?ひゃひゃひゃひゃ!んじゃ、『オテ』と『オカワリ』から教えるかなぁー」
ましてや今、晃と対峙しているのは賢悟だ。今のサッカー部には、賢悟は欠かすことの出来ない存在……
「あ?」
獅子の目が冷たく晃を見据えた。
「そう言うあんたはサーカスの団長か何かか鼻輪?」
「ヒュー!カーッコいいねぇ、ライオン兄ちゃん」
「鬱陶しいな」
晃もかなり薄気味悪いが、賢悟からもかすかに‘やばい’殺気が漂い始めた。
(やだ……完全にマズイ雰囲気……)
一触即発と言った感じだ。このままじゃ部全体にも関わるような事件にならないとも限らない。
(絶対マズイよ……どうすれば……)
出場停止、謹慎処分、そんな言葉が頭をよぎった。
こんなことで、賢悟からサッカーを奪ってしまうようなことになったらそれこそ……
いや、まさか退部?退学……?
自分のせいで賢悟に迷惑をかけるわけにはいかない―――
「待って、ケンゴ……」
温彩が賢悟を止めた。
「あ、あたし、この人と帰らなくっちゃ……ゴメン」
「は……?」
賢悟が顔を顰めた。
「マジか?顔色悪いぞお前」
「んん、平気。ゴメン、今日は帰る……」
「信用できるかよ。こっち来てろって」
「エヘへ、大丈夫よ。この人ふざけてるだけ。ね?晃くん」
苦肉の策で取った行動と、搾り出すようにして見せた笑顔………
「あい、そゆことで野獣くん、ばいばいちゃおー」
晃がこれ見よがしに温彩の肩を抱いた。
「かーえりましょーん帰りましょーん。ふんふんふふん……」
鼻歌を歌いながら上機嫌の晃。
事の成り行きが理解できず、最後まで腑に落ちない様子の賢悟だったが、晃に連れられ帰ろうとする温彩のニコニコ顔を見て、
「お前……謎多過ぎだって」
と、ボソリと一言吐いた。
(違う……違うよケンゴ……)
温彩はもう、本当に泣きそうだった。
そして、わざとにフラフラ歩く晃に肩を揺すられながら、賢悟のいる河原を後にした。
賢悟が好き。大好き―――。
思って思って、潰れてしまいそうな程なのに、こんなに賢悟のそばに居たいのに、こんなにこんなに賢悟を求めているのに、なのに……
何でいつも、こうも歪みばかりが生まれるんだろう―――
『あたしを助けて! ケンゴ…!!』
そう叫びたい……
でも、振り返って助けを求めることは、できない。