賢悟の変化と落雷
数日が経った。夏休みも終わった。今日から9月だ。
秋というにはまだ程遠く、日中には高い位置から太陽が照りつける。
しかし隆々と団結していた雲は僅かに広がりを見せ、その形状の端には風の流れの向きが浮き出ていた。
始業式。
それまで静まり返っていた校舎が、急激に活気を取り戻した。まるで消えていたラジオが突然大音量でなり始めたようだ。
久しぶりに顔を合わせた生徒達。募る話しもあるのだろう、歓声にも似たざわめきが学校中に溢れている。
「あ、温彩おはよー」
「おはよー、元気だった?」
「もちろんだよ。温彩は?なんだか少し元気がないねぇ。部活大変だったの?」
「んー、そうでもないけど、ここのとこ暑い日が続いたからかなぁ」
他愛ない会話を二~三交わし、温彩は自分の席に着いた。
(元気がない、か……)
確かに、いつになく憂鬱な気分だ。温彩は頬に手をあて、窓から空を見た。
合宿以来、賢悟に避けられていたはずだった。が、部室事件があってからは、今度はやたらと目が合うようになった。
もう一度話しがしたいとは思っていた。しかしそれどころではなくなってしまった。
まず、どういう顔をしていいのか分からない。何度も目が合うのだが、慌てて逸らしてしまう。
部室で絡み合った2人の姿が、どうしても頭から離れなかった。
密室の中。机の上。賢悟の首に回されたハナの手。ハナの上に落ちている賢悟の影。
露出した肌。密着した2人。そして、あんなにハナの近くにあった賢悟の顔……
たった今も、とてもリアルに思い出せる。
そんな場面を見てしまい、ショックで引くどころか、温彩は益々賢悟を意識してしまっていた。
胸がドキドキする。でも、同じくらいキリキリもする。
ドキドキとキリキリ。その心痛の板ばさみで、ちょっと憔悴気味。
机でぼんやりとしていた時だった。クラスに小さなざわめきが起きた。
気付けば、教室の後ろから入ってくる生徒に、何やら視線が集まっている。
何だろうと思い振り返った。すると目に入ってきたのは、登校してきたばかりの‘賢悟’だった。
温彩はぼんやりを忘れ、思わず目を瞠った。クラスのざわめきの理由は一目瞭然だ。
万年ザクザクのウルフヘアだった賢悟。その賢悟が、未だかつてない程ハードな、‘ガッツリヘアメイク’……といういでたちで現れたのだ。
黒髪には意図的に流れが施されており、先端は尖がり、あちらこちらに向いている。
風をうけた時にだけ覗いていた額が現れ、妙に大人びて見える。
しかし、賢悟は不機嫌だった。
無造作に立った前髪が気になるらしく、それが目の動きで分かる。
普段「コワイ」と敬遠していた女子達も、手のひらを返したように賢悟に集中していた。
「ちょっと上代くん、イケてない?」
「って言うか、超いい感じじゃん……?」
髪型一つで人間の印象はガラリと変わる。ヒソヒソとそう言っているのが聞こえてくる。
温彩もそう思った。賢悟の持つ野生的な雰囲気が際立って見える。
そんな賢悟にドキンとして、また慌てて視線を外した。それと同時に、不安な気持ちも頭をもたげる。
温彩は、いつか聞いた台詞を思い出していた。
((前髪とかバック向きにセットしたり、ワックスとかで決めちゃえばワイルド&セクシーですっ!))
確かそんなことを、ハナが言っていたはずだ。
そして今日の賢悟の髪型は、まさにそんな感じだった。
その時。
教室に入ってきた賢悟の後ろから聞きなれた声が聞こえてきた。
「じゃ、賢悟先輩また後でぇ!あ。それ、絶対崩しちゃいけませんよぉー」
温彩の不安は痛みに変わり、落雷となって頭上から落ちてくる……
相変わらず大き目のガーゼを頬に貼り付けたハナが、教室の前まで賢悟に同伴していた。
ハナは温彩に気付くとスッと視線で温彩を一撫でし、自分の校舎の方へと消えていった。
落雷、落雷、落雷に続く落雷……
この前部室で見た光景、誰かの好みにセットされた髪、連れ立って登校する2人。
感電死するには充分な程、それらは温彩の心を鋭利に貫いた。
「よ、よぅ……」
突然、背後から低音な声がした。
「えっ、はいっ」
思いがけないその雷鳴に、反り返るようにして反応した。
「いや、その……」
賢悟はしきりと瞳を動かしながらボソッと「オハヨ……」と挨拶した。それから取り繕うようにして自分の席に向かうと、ガタンと椅子を引いて乱暴に座った。
その時の賢悟の口は、ヘの字ではなく、複雑な形をしていた。
担任が教室に入った。皆起立をし、一斉に挨拶をした。
あちこちに向いた賢悟の鬣もやっと皆の注目から離れ、平穏を取り戻しつつあった。
しかし温彩の中には、雷雲から放たれた稲妻が、深く突き刺さったままだった。