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部室とハナと賢悟と情事

「ふう……」

部室の中に入り扉を閉めると、賢悟はユニフォームの中にバサバサと空気を送り込んだ。

そうしながらも、無意識に温彩のことを考える。

(つか、いくらなんでもあからさまに避けすぎか……?)

そう思わないでもなかった。

タオルだって持参のものがなければないで、部が用意したものがあるから困るわけではないのだ。

(いやいやいや。集中、集中……)

賢悟は頭を振った。今はやはり、試合が優先だ。


テーブルの上に置きっぱなしになっていたタオルを手に取ると、賢悟は濡れた顔を一気に拭いた。

それから椅子を引きドサリと腰をかけた。続けてスパイクの紐を緩める。

皆が着替えをしている時は蒸し返したようになるのだが、一人きりの部室は冷やりとしていて気持ちいい。

外の世界と隔離されたような独特の雰囲気も、心身を癒してくれるような気がする。


賢悟は首を左右に曲げストレッチをした。背中を思い切り椅子に預けると、そのまま大きくのけぞった。

ロッカーが逆さまに映った。


その時、ガタガタとドアの空く音がした。

「んあ、誰?」

賢悟は逆さの視界のまま、ロッカーの陰からこちらに向かう足音に、伸びた声帯から声を絞り出して問う。

「迎ー?」

返事がない。


そのまま見ていると、こじんまりとした赤い紐のスニーカーが目に入ってきた。

「賢悟先輩っ」

ちょこんとハナが顔を出した。


賢悟は一気に体勢を元に戻した。

その弾みで椅子がガタついたが、背もたれ部分を手で押さえると、ロッカーから半身を覗かせながらこちらを見るハナの方に振り返った。

「部室に用か?悪い、すぐ出る」

そう言うと同時に立ち上がり、即座に退室しようと緩んだままのスパイクを引きずった。

「違います。ハナ、賢悟先輩に用があってきたんです。エヘへ」

ハナはピョンと跳ねて前に出ると、足元のせいで動きがぎこちない賢悟の進路をさりげなくブロックした。

「いや、あんま時間ねェから」

賢悟は一瞬つんのめったが、ハナをよけてそのまま進んだ。


ハナの言い出しそうなことくらい、大体の見当が付く。これまた何が何でも、避けて通りたいことの一つだ。

それでなくても、余計なことに頭が侵食されぬよう踏ん張っているというのに、こんなとこで更なる問題を抱えるわけにはいかない。

賢悟はスパイクに間に合わせのつま先を収めると、取り合えず外に出ようとした。


「待って。賢悟先輩と話しがしたいんですっ」

ハナは小動物の様にくるりと素早く賢悟の先に回り込み、今度は体を張って賢悟の進行を妨げた。

ロッカーと壁との間、そこを曲がって進まなければ出入り口には辿り着けない。その隙間にハナが立ちふさがった。なんとしてでも引き止めようという腹積もりだ。

それ以上前に行くには、ハナをどかせて押し進む必要がある。


「時間ねェって。そこどけってば」

「やだ」

「どけって」

「やだ。だったら先輩、ハナと少し話ししてください」

ハナは上目使いで、うんと上にある賢悟の顔を見上げた。そんなハナを、賢悟は無言でハナを見下ろす。


(……)

ハナはあの時の賢悟を思い出した。

林の中から抱き合う2人を見た時、賢悟から驚きの表情と共に凄まじい‘気’を感じた。

それに凍てつく様なあの時の目……できれば思い出したくない。

いつもなら、ネコの様に愛くるしく振舞ってみせるハナだが、冷ややかに自分を見下ろす賢悟に、あの時の賢悟の様子が蘇り身が竦んだ。


が……次には温彩の顔を思い出す。

純真な素振りで周りを惑わし、自分の気持ちも存在すらも無視するライバルの顔。

(そうだ、菅波先輩だけには負けられない……!)

そう思うと、再びぶつけたい思いに抑制が効かなくなる。


ハナは咄嗟に両手で賢悟の腕を掴んだ。

「賢悟先輩っ、ハナ、真剣に先輩が好きなんです……!」

一瞬できた隙に、ハナはグッと賢悟を部室の奥に押し戻した。

「コ、コラ離せ……!」

それに対して賢悟は、不自然な後退で間合いを取った。ハナは怯まず全身で力押ししてくる。賢悟はさらに間合いを取った。


このまま手加減していたら、ハナのペースで部室に押し込められてしまう。

かといって、むやみに腕を掴みたくなかった。しかし逆に腕を引くと、今度は抱きついて来そうだった。

困った。まるで取れなくなったガムみたいだ。

「離せって!」

「離しませんっ。先輩……ハナと付き合ってくださいっ!お願いっ」

もう半分むきだ。

欲しい物を強請ねだる時の幼児のような駄々のこねっぷりにさすがの賢悟も苛立ちはじめる。


次の瞬間、ハナが渾身の力を込めて賢悟の両腕をグイッと押した。

この時、賢悟の右足がスパイクから抜けてしまった。若干よろめいたが、慌てて体勢を立て直す。


こんなことでくだらない怪我をするわけにいかない。賢悟は障害物になるようなものがないか、咄嗟に足元を確認した。

その時、また押された。相変わらず一方的かつ強引に迫ってくるハナ。

賢悟は再び重心を崩されると、とうとう抑えていた苛立ちが限界に達した。

「この……離せっつってんだろうが!」

そう言い放つと、強めにハナの手を振り払った。


「きゃ……!」

今度はハナが大きくよろめく。そして横のロッカーのほうへ、小さな体は簡単に飛ばされた。

ガシャンという音が響く。

「痛……」

ハナが左頬を手で覆った。


「悪り……!大丈夫か」

賢悟は慌ててハナを覗き込んだ。覆っている手をどかせ、左頬を確認する。

「少し切れてんじゃねえか……マジ悪るい」

丁度ロッカーの蝶番ちょうつがいの部分に顔をぶつけたらしい。かすり傷ではあるが、じわりと血が滲んできた。


もう一度傷の度合いを見ようとハナを覗き込んだ賢悟はギクリとした。

「ふ……ふぇ、うえっ……」

ハナは、大粒の涙をこぼし始めていた。


ハナにとって賢悟は、初めての難攻不落な相手と言えた。

追いかける恋愛が好き。今だってそうだ。でも、こんなに嫌な顔をされたことは、今までになかった。

ショートボブの良く似合う小さな顔に、可愛らしい目鼻立ち。子供っぽいのかと思いきや、大胆な面もあったりする。そんなギャップに、男心は不意を付かれる。

そして、押せ押せのハナに戸惑いや照れを感じつつも、大抵の男子は好意を寄せられ嫌な気はしない。そうやって最後には、誰もがすっかりハナのペースなのだ。


が。賢悟ときたら、頑なにハナを拒む。

そのもどかしさや腹立たしさで、苦し紛れに出たのがこの涙だ。決して頬を切ったからではない。

さらには温彩へのライバル心や焦せる気持ちなども後を押し、ハナを追い込む。


「賢悟先輩のバカ……バカ!うわぁーん!」

とうとう声を上げて泣き出してしまった。


しかしハナの気持ちなど知る由もない賢悟は、顔を怪我してしまったことが原因だと、ただただ慌てるばかり。

「いや、だから悪りぃって……!取り合えず手当てしてもらおうぜ。な?泣くなってば……」

さっきまでハナが賢悟に詰め寄っていたのに、今は後ずさるハナを賢悟が追っている。

「傷んなったら困んだろうが」

「そんなのどーだっていいー!うわぁーん!」

「いいわけねェだろ、泣くなって!手当てしに行くぞ、ホラ!」


が、ハナは後退しながらも、このタイミングを逃さなかった。

おろおろする賢悟―――すかさず優位に立ったこの状況を逆手に取る。『小悪魔』のなせる技だ。

ぴたりと立ち止まるとハナは、困り果てている様子の賢悟を見上げた。そして言う。

「じゃあ、キスしてください」


「は……、は?」

賢悟の眉間のシワが深くなった。小悪魔の発言には、魔王も開いた口がふさがらない。

「つか……何がどうなって……そうなンだよ」

傷の手当ての話しをしている時に、荒唐無稽とも取れる台詞。賢悟はよくよく頭を捻った。

そして心の中で煩悶する。そういえば最近、やたらと理解に苦しむタイミングでおかしな事を言われるよな、と。

しかし、次にハナが放った言葉に賢悟は凍りついた。

「賢悟先輩、菅波先輩のことが好きなんでしょ……?」

「!」


思わず言葉を詰まらせてしまった。

(な、なんなんだ、コイツ……!)


勢いのままにハナは続けた。

「でも先輩、あの時一緒に見ましたよね?合宿であたしたち、浜で見たじゃないですか」

何のことを言っているのかすぐに思い当たった。音を立てて胸が痛む。

「菅波先輩、沖先輩と抱き合ってたじゃないですか……!」

傷口に、塩を塗り込まれる―――。


膿んだままのそこに取り合えずの被いをし、やり過ごそうとしていた。

大事な試合のため、熱を持って疼くそこを封印したのだ。なのに……

それを無理やり、引き剥がそうというのか。


「いくら想ったって菅波先輩の好きな人は別の人じゃないですか……割って入れる隙なんてどこにもなかったじゃない……!」


そんなことは、分かっている。

言われなくても分かっている……分かりきっている……


「それでも菅波先輩のことが好きなんですか?賢悟先輩……」

ハナの言動が無神経に響き渡る。

「いくら避けたって、目を逸らしたって、結局自分が苦しいだけでしょ!」


ピクリと賢悟の眉が動いた。

(何を言うかと思えば……)

頭の一点に向け、静かに血が逆流していくのが分かった。

(誰の気持ちを、勝手によんでやがる……!?)


賢悟は一気に顔を紅潮させた。そして同時に激情を迸らせた。これ以上はもう御免だ。

「ごちゃごちゃとうるせェぞ!!!」

横手で思い切りロッカーを殴りつけた。


その鋭い怒気にハナはびくんとして萎縮してしまった。

が、そんな賢悟に、より切なさを募らせたのか、今度は顔を覆い、呻くようにして泣き始めた。

「ハ……ハナだって、ハナだってずっと賢悟先輩のこと好きだったのに……ハナだって悪ふざけで先輩を追いかけてるんじゃないんですからぁぁ!」

ところどころでむせ返り、肩を震わせ、ハナは喉を鳴らして泣いた。

「うううう………!」


賢悟の負けだ。

泣いたら負けという法則は、恋愛においては間逆に等しい。負けなのは、‘泣かれた’ほうだ。

賢悟はどうしようもなくなり、疲れもピークに達してとうとう観念した。

「あーくそ、もぉ分かったって……悪かったって。だからそうビービー泣くな……」

表情筋を引きつらせながらも、賢悟は笑顔らしきものを作った。なんとかこの場を治めようと試みた。

「とにかくそれはオレの責任だし、治るまでは付き添うから。今は手当てが先だろが」

優しい口調を心掛けそう言うと、保健室に連れていこうとハナに近づいた。


が、次にハナのとった行動は賢悟を驚倒させた。何が起こったのか、一瞬理解ができなかった。

ハナはいきなり着ていたポロシャツを脱ぎ捨て、上半身キャミソール一枚の姿になったのだ。


(は!? なっ、……マジで何だっつんだよ……!)

賢悟は、一歩二歩とたじろいだ。


「ハナ、賢悟先輩がどうしても好きなの…!!」


強行策か捨て身の術か……なんにしても後に引けない表情のハナが迫ってきた。



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