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思わぬチャンスと追撃

合宿が終わり、盆を過ぎて、なんとなく夏の日差しも丸みを帯びてきた。

しかしまだまだ雲の白さは濃く、空のあちらこちらに大きく隆起した積乱雲がグランドを取り囲んでいる。


夏休みも残すところ僅かだ。来月から始まる大会予選も目の前だ。

今日も校庭のグランドには、サッカー部の青いシャツが点々としていた。

三年が引退し、試合に向けてのレギュラーも決まったところで、フォーメーション中心の練習が行われていた。


「次!トップから」

新キャプテンとなった太田の指示が飛ぶ。賢悟がセンターサークルに入った。

掛け声と共に後ろから上がってきた迎に目配せをすると、ボールを回して前に走り出す。

鬣がなびいた。

しなやかに体を翻すと、後方からのパスを空で受け取り颯爽と駆ける。

ボン!という音と共に、賢悟の右足に心地よい衝撃が走った。

放たれた直線はゴールの左端めがけて真っ直ぐに食い込み、賢悟の体からは振り上げた脚の振動で汗が散った。

「ナーイス上代!」

ベンチの飯田に声をかけられると、振り返りざまに膝を上げ答えてみせた。

大丈夫、順調だ。


その時一瞬、温彩の姿が視界の隅に入った。飯田の横に立ち、こちらを見ているのだろう。

思わず目がいきそうになったが、寸でのところでとどまった。

賢悟は合宿以来、温彩と目が合わないよう極力ベンチの方を見ないようにしていた。

今は目の前のことに集中する。賢悟は予選に向けて、そう気持ちを切り替えたのだ。


(………)

体育倉庫にゼッケンを取りに行く途中のハナが、タッチラインの脇からそんな賢悟を目で追っていた。

賢悟は今日も、不自然にベンチから目を逸らしている。いつも見ているから、よく分かる。

自然と賢悟を追ってしまう目線の先で、賢悟が必死に温彩を避けているの分かった。


あの夜ハナは、賢悟が誰を思っているのか決定的に覚ってしまった。だから余計に、色んなことが手に取るように分かってしまう。

合宿から帰って来てから賢悟はずっとこの調子。

避ける、ごまかす、偽る。逸らす、かわす、そして苦しむ――。

けれど、決して逃げることはできないのだ。そんな苦悶の中で、賢悟は毎日もがいている。

そしてもがいている自分の気持ちからも目を背け、やはり逃げるようにボールを蹴っている。


それからもう一つ。そんな賢悟の態度に酷く動揺している温彩。実のところ、これが一番解せない。

今にも泣きそうな顔で、背を向ける賢悟に視線ですがり付いている。

「応援してるからね、ハナちゃん」そう言ってくれていた温彩。あれは嘘だったのだろうか。

しかも合宿の夜には、彼女のいる沖と浜で抱き合っていた。

(菅波先輩。何考えているのか全然分からない……)


どうしても猜疑心さいぎしんが拭えない。温彩に対する不信感は募る一方だ。

だからこそ余計に、そんな温彩には、温彩にだけは絶対に賢悟を取られたくない……


「おーし!二年のFW一旦下がれー!次!」

飯田がメガホン越しに賢悟と迎をベンチに下げた。

「おうし、これ終わったらミニゲームやるから順番に休憩取っとけよ」

そう言うと交代に、グランドに一年を送り込んだ。


ベンチに戻った迎と賢悟。どうやらしばらく時間が空きそうだ。

賢悟は気付かれないように横目で温彩を見た。温彩はちょうど、こちらに背を向けたところだった。

自分達に渡す為のドリンクを注いでいる音が聞こえる。

「座んないの賢悟?」

突っ立っている賢悟に迎が問うた。

「……部室にタオル忘れてっから取って来る」

賢悟は迎に言い残すと、呼び止める間も与えずさっさとベンチを後にしてしまった。

「忙しないヤツだなぁ、暴れ通しで疲れてるだろうに。ねえ、菅マネ」

「え?あ、うん、だね。はいどうぞ、迎くん……」

「おお、サンキュー」


温彩は迎にだけドリンクを渡した。

そして、一つ余ったコップを両手で静かに握りしめた。

(また避けられちゃったかな……もう一度、ちゃんと話したいな……)

校舎の向こうに消えて行くブルーのシャツ。温彩は見えなくなるまでそれを見ていた。



実際にタオルは、部室に置き忘れてきていた。

そんな気の緩みを自戒しないでもなかったが、そのおかげで‘間’がしのげた。

賢悟は思った。やはり温彩からは距離を取ったほうがいい……

近くにいると変に存在を意識し、余計な雑念に囚われてしまいそうになるのだ。

自制できているようで、温彩に関わる部分では、自分はどうにももろい。

もうその事実を受け入れた。だからこそ避けるのが得策だと、そう思った。


部室に向かう途中、賢悟は水道に寄り顔を洗った。舞い上がった砂煙で、体のあちこちがザラザラしている。それも軽く洗い流す。

洗い流したいものは他にもあるが、水でどうにかできることではない。

賢悟は体を倒して蛇口に手を掛けると、くだらないことに考えを巡らせる頭にも水を浴びせた。


水滴を滴らせたまま、部室の中へと足を踏み入れた。ついでに、しばらく時間を潰していくことにした。

静かな部室に一人でいれば、乱れがちな気持ちも少しは落ち着くことだろう。

もう前みたいな醜態を、グランドで晒したくはない。ピッチでの自分をあんな風に呪うのだけは、二度と御免だ。



一方―――


(うそっ、マジ?)

部室の立ち並ぶ体育館横を通りかったハナに、ラッキーが訪れた。

今、空っぽのはずの部室に、賢悟が一人で入って行ったのを見かけたのだ。

(これってもしかしてチャンスなのでは……!)

賢悟と2人きりになれる機会なんてそうはない。このタイミングで巡ってきたチャンスを、逃す手はない。


ここで見せるは本家本元の行動力だ。

さっきまで物思いに更けていたハナだったが、ゼッケンを抱えたまま賢悟のいる部室めがけて走り出した。


扉の前で一度立ち止まると、周りに誰もいないか確認し、そっと中に入った。用意周到に内鍵もかけた。

ハナの、追撃の開始……?



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