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過ぎ行く夏の日

「おーし!全員乗ったかー?」飯田の声が車内に響く。

帰りのバスが、玄関前ロータリーで温彩達サッカー部を迎え入れる。


「うひゃひゃ、お前顔だけ黒っ!」

一番前に乗り込んだ大山と三崎が騒いでいる。

「お前もじゃん!首んとこユニフォームの形付いてるし」

「俺はちゃんと海で均一に焼いたもーん、ホラ!」

相変わらず賑やかな面々の雑談がバスの中を飛び交う。


サッカー部の、夏の合宿が終わった。

一週間に及んだ合宿生活。長かったようで、短かったような、ついさっき来たような気もすれば、随分前から居たような……そんなあっという間の七日間だった。


「なんか俺、この合宿中で脚が一回り鍛わった気がするぞ?」

「それよりさ、またここに来れるといいよな」

「うん、グランドもすげぇ良かったし、あとプライベートビーチも最高だった!」

練習の成果や色々な思い出がそれぞれの胸中を巡っているのだろう、特に一年達は疲れも知らずに会話を弾ませている。

そして出発したバスの窓から見える風景に手を振る。

今日も青々とした笹ケ浜の海が、そんな彼らを見送るかのように静かに凪いでいた。


部の荷物と一緒に後部座席に座った温彩は、窓際のシートから小さくなってゆく施設の白い建物を見るともなく見ていた。

バスはカーブに差し掛かり、視界からゆっくりと建物がそれてゆく。

この山あいを抜け、峠を下ると国道だ。そして国道に出てしまえば海は見えなくなる。

そう思うと急に後ろ髪を引かれ、体をひねって振り返ると、遠ざかる海と過ぎゆく夏の日に思いを馳せた。

今年の合宿の終わりは、少し物悲しい。


温彩はふと隣の座席に目をやる。

行きのバスでは、この後部座席で賢悟と並んで座った。でも今、賢悟の姿はない。

賢悟はめずらしく前の方で他の部員と同席をしていた。通り過ぎる時にちらりと見ると、もう瞑想に入ってた。


窓からの景色が、段々青から緑へと移ってゆく。

森林の向こうに消え行く海。もうじき完全に見えなくなってしまう。


あそこで色んなことがあった。

そう。あの海で、浜で、グランドで、賢悟と同じ時間を過ごした。夜には2人で流れ星も見た。

それから隣で賢悟の熱気を直に感じ、そしてこの合宿ではっきりと、‘ケンゴが好き’という自分の気持ちに気付いた。


なのに今は……募る気持ちとは裏腹に、賢悟との距離が遠い。

温彩は賢悟の座る座席の方向を見た。「鬣」は見えなかった。


あの後。

閉められたドアの音と賢悟の残像の切なさに、しばらく動けなくなってしまった。

しかし、向こうから近づいてくる部員達の声が廊下に響くと、それが温彩を現実へと戻した。

欠いていた冷静さが戻り、酷い自己嫌悪に陥り、さらに、どうかしていた自分への戸惑いと羞恥心が一気に押し寄せてきた。

その後はすごい速さで部屋の前から走り去った。

(あたし。事の順序も、何もかも、まるで滅茶苦茶……)

そう思い賢悟に合わせる顔もなく、ただただ自分を責める。


あの夜、本当に沖との密会を賢悟に見られていたとして、だったら、賢悟には極まりなく不愉快な思いをさせたことになる。

都合よく甘え、利用し、筋の全然通らない感情だけをぶちまけた。自分のしたことは、そういうことだ。

全くをもって、賢悟の気持ちなんか考えていないではないか。

(サ、イ、ア、ク………)


それに、自分のとった行動は、部の中を掻き回している行為ともとれる。だとすれば自分は、マネージャーとしても最低だ。

温彩は、後から後からのしかかる、自責の念で押しつぶされそうだった。しばらくは立ち直れそうにない。


そんな温彩ともう一人、いつもと明らかに様子の違う者がいた。どんな時でも賑やかで元気なはずのハナが、妙に大人しい。

飯田や瑞樹が、どこか体の調子が悪いのかと尋ねたくらいだった。

帰りのバスでは、ハナを心配した瑞樹が隣に同席していた。

「あの、藤沢先輩。ちょっと聞いても、いいですか?」

「ん、なに?ハナちゃん」

「……いえ、やっぱり何でもないです……」

「大丈夫?初めての合宿だったし、少し疲れちゃった?」

「エヘへ……大丈夫です、ハナ平気です」

そう言って瑞樹に笑って見せた。


ハナもまた、複雑な心境のままに合宿の終わりを迎えようとしていた。



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