そうはいかない
どこにこんな「思い切り」があったんだろう。なのにどうして今まで色んなことに燻ってきたのか。
そう思えるくらい、温彩は気持ちのままに走った。
今すぐに会いたくて、伝えたくて、その思いのまま一つ下の階のへと駆け下りた。
(あった部屋番号、605)
まさにこの行動力はハナそのものだ。そして本当に「突入」した。
「ケンゴ!!!!!」
鍵なんかかけない賢悟の部屋のドアは、勢いよくドンと開いた。
「おわっ」
部屋にいたのは賢悟一人だった。ベッドの上にはくしゃくしゃのシャツや練習着が並んでいる。
帰り仕度の荷造りをしていたところだった。
そこにノックもなく、ドアを蹴破らんとばかりに温彩が飛び込んできた。
さすがにびっくりしたらしい賢悟は、不意を突かれてヒュンと腕を浮かせた。
が、そんな賢悟のリアクションにかまっている暇はない。追い出される前に本題に入らなくては。
「聞いてあたしっ、昨日はゴメン、じゃなくてそのあの……!」
温彩の登場のしかたに圧倒された賢悟だったが、すぐに仏頂面はできた。
慣れだ。
そして、機関銃のように喋り始めた温彩をじろりと見た。
「睨んだって出て行けって言われたって行かないよっ、だからちゃんと最後まで話しを聞いて……!」
半ば呆れたとも困ったともとれる顔で賢悟が口を開いた。
「ちょっと待てって」
(いやだ!阻止される!)
焦りが募り、切迫した温彩。
「やだ待たないっ!!あたし、今日のうちに話しておきたいから!」
「いや、つかお前、声がデカイ」
「あたしっ!ケンゴが好き……!!!」
(は?!?!)
……眉間に寄せていたしわがグニャリと歪んだ。
今度はドアではなく、脳組織が蹴破られそうになる。
(でた、出たよ……毎度オレの思考回路をぶった切るコイツの一発。しかもこの期に及んで何言ってんだ……?)
つい一昨日の夜だ。誰も居ない浜辺で温彩は沖と抱き合っていた。
妙に静かで、おごそかな雰囲気だったように思えた。
賢悟は目に焼きつく浜での2人の姿を思い出す。そして再び、胸が痛む。
コイツは一体何を言っているんだろう。
「ねえ!」
温彩が大声で呼んだ。
「……んだよ」
「あたしケンゴのことが好きなの! すきすきすき……!」
温彩は館内に響き渡るような大音量で、堰を切ったように喚き始めた。
「いや、ちょっ、たんま」
困惑している暇もなかった。突発したつむじ風に一瞬にして巻き込まれた感じだ。
もうますます意味が分からない。そもそも大丈夫なのかコイツは?
同部屋の部員が居合わせてたらと考えるとゾッとする。
それになだめようとするも、どうにも様子のおかしい温彩の勢いは止まらない。
(ど、どうすりゃいんだ……)
賢悟の動揺をよそに、温彩の声は大きくなる一方だ。
「んブ!」
とうとう賢悟は温彩の口を塞いだ。こうなりゃ勢いには勢いだ。
ジタバタする温彩を取りあえず押さえ、声を殺しながらたしなめる。
「お前マジでアホか?外に丸聞こえだろうが……」
「うグッ……$△%&……聞こえらっれいぃぶぉん!」
「よくねェわアホ!」
温彩の入ってきたドアは開けっ放し。
賢悟は温彩の口を塞いだまま足先を伸ばし、ドアを蹴って閉めた。
「もが……ちょっろ……放ひれっ……%&<>@」
(はぁ……)賢悟は心の中で溜息をもらす。
やっぱりこの合宿ではろくなことがない。最後の最後にまたこの有りさまだ。今も温彩の勢いに押されまくり、考える暇すらない。
賢悟は、尚且つモガモガと何かを訴えようとする温彩を見下ろした。
(ち、近……)
思わずドキリとする。温彩の長いまつげが、すぐそこで瞬いている。
自分でやっといてなんだが、手も思い切り温彩の頬に触れている。
「……」
急に恥かしくなった。
(どうすんだ……この手)
ちらりとまた温彩を見たが、どうやらまだ手は離せそうにない状況。
やばい……このままじゃ赤面しそうだ。
『好き――』……さっきから連発されてる言葉も、慌てながらも実のところ、脳天にガツガツ反応しまくりだった。こっ恥かしくて死にそうだ。
(だったら昨日のアレは何なんだよ……)
浜で沖と抱き合っていたのは何だというんだ。
賢悟の心中に、またしても何かが渦巻く。
しかし、今はこの状況の方がどうにかなりそうだった。昏迷し、視線が彷徨う。
できることならこのまま抱きしめてしまいたいとすら思った。
温彩の口元を押さえている手も、緩みそうになる。
でも……
でも、そういうわけには、いかない――。
今度は現実でゆっくりと溜息を吐いた。そして、目を瞑ってから静かに言った。
「おい、隣……沖さんの部屋だぞ」
賢悟がそう言うと、ピタリと温彩の動きが止まった。
「……」
そんな温彩の反応に、再び傷つく賢悟。
「ったく。お前が喚いてんの、全部隣に聞こえてんぞ……」
「………」
返答がないことを確かめると、大人しくなった温彩の体をくるりとドアの方に向けた。
そしてそっと背中を押しながら、前に進む。
(部屋から……出される)
そう思った温彩は、咄嗟に賢悟の方に振り返ろうとした。
「ねぇ待って!」
しかし賢悟はそれ以上の言葉を許さず、温彩の肩を掴み進行方向に押し戻した。
そのままドアを開ける。
「そうはいかねェだろ。お前だって沖さんに聞かれたらまずいんだろうが」
そして、
「よく分かんねぇよ、お前……」
そう言って温彩を廊下に送り出した。
温彩は、パタンと閉められたドアを呆然と見た。
(ケン、ゴ……)
空調で冷えた廊下は冷やりとしていた。
「よく分からない」と言った、呟くような賢悟の声が頭の中をこだました。
いつになく、伏し目がちだった賢悟。
その横顔が目に浮かぶと、廊下の冷気と一緒に、賢悟の残像が身を刺した。