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おかしなケンゴ

あっというまに四月が過ぎ、慌しいままに五月を迎え、試合で立て込んでいたサッカー部の春期も終盤に差し掛かった。


学年が変わって新学期を迎えたばかりだと思っていたが、そうやってばたばたと過ごしている隙に季節はすぐに移る。校舎沿いの桜並木もすっかり新緑で埋めつくされた。

夏がそこまで近づいているのだ。

今では降り注ぐ日射を遮る桜の木陰が心地よく感じられる。


午後の授業が終わった。

この後、部活動をやっている生徒達は、各部室へと向かうため一斉に廊下を急ぐ。サッカー部マネージャーである温彩も同じだ。肩までの栗色の髪をキュッとポニーテールにして結び、サンバイザーを着ける。

今年で二年目になるマネージャー業務も、最近ではすっかり板についた。

温彩はいつものように部員たちよりも一足先にグランドに出ると、ストップウォッチのチェックを入念に行った。


「おう! アッちゃん、お疲れーいカツカレーい!」

ガタイのいい男がベンチの温彩に声をかけてきた。

自称、チーム一の筋肉美を誇る、キャプテンの筒井だ。

少々風変わりな男だが、先輩後輩または男女と分け隔てなく繰り出す面倒見の良さで人望が厚い。彼のキャプテンの素質の一つだ。

ただちょっとだけ、空気が読めないところも窺えるが。


「あ、キャプテン。お疲れ様です」

温彩はベンチから立ち、筒井と挨拶を交わした。筒井はにっと笑うと、グローブみたいな手を広げ、温彩の頭にポンポンと二回置いた。

温彩には、ズシンズシンと響いたが、笑ってやり過ごした。

「うむ! アッちゃんの笑顔よし! 今日も元気でなにより! ダハハハハ!」

体も大きいが、人一倍声も大きな筒井。

「キャプテンの元気には負けます」

「だろ? 俺には誰も勝てないのさ。そう、何人たりとも、何においてもぉー! って、ところでアッちゃん。今日の準備はできてる?」

「ええ。ウォッチの方は大体。測定リストは瑞樹先輩が今持って来てくれてるので、後で部員名と順番のチェックをしておきます」


今日は、サッカー部名物の『フットチェイス』をやる日だった。毎年、新入部員が部に慣れてくる頃に行われる例年行事なのだが、単に100mのタイムを計るに過ぎない。が、サッカー部では毎年これで妙に盛り上がる。そういう風習のものだ。

この日だけは、一年から三年までが、和気藹々と直線100mに臨む。

レクレーションも兼ねたようなこのフットチェイスは、先輩と新入生の間に親近感が芽生え、チームにとっても良いのだとか。

それを大義名分に、単にわいわいやっているだけにも見えなくもない。

今日、温彩はその恒例行事の準備をしていたのだ。


「頼んだよアッちゃん。我がサッカー部は、美人の凄腕マネージャー揃いで安泰だよ」

「あはは。キャプテン、冗談ばっかり言ってないでアップしといた方がいいですよ? 今年も負けちゃいますよ、沖先輩に」

「アッちゃん言うねェ! 俺負けるのって嫌い! くそう、今年は沖にゃあ負けんぞ! うぉー!」

筒井は雄叫びをあげると、「ちょっと軽く流してくる」と言い残し、軽くとは言えない勢いでランニングに出てしまった。

温彩は笑いながら、筒井の立てる地響きと、その後姿を見送った。


しかし――

さっき自分の口から出た‘沖’という名前が胸をかすめ、急に気持ちが重くなる。

そして重くなった気持ちと一緒に、ストンとベンチに腰を下ろした。


沖から告白をされ、一ヵ月以上が経った。

瑞樹は沖から何も知らされていないのか、2人に変わった様子もなく、瑞樹から沖と別れたなどと言う話も聞かされていない。もちろん温彩はホッとしている。

(あれは夢だったのかも……)

しかし、あの時掴まれた腕の感覚は、今でもはっきりと覚えている。

それに胸の中でざわめく「何か」も、確かにここにある。今それがズキンとして、少し目を伏せた。

その痛みが走る度、瑞樹に対する後ろめたさが、重くのしかかってくる。


温彩は、あの日よりも、随分温かくなった風を瞼に受けた。

グランドに響いている運動部の生徒達の声を耳に受けつつ、そのまま少しの間目を閉じていた。少し肩が震えた。

その時、

「おい――」

背後から声がした。呻くような低い声。


ヒャッと思わず声を発して振り返った温彩の斜め後ろに、少し間を取って賢悟が立っていた。

来る日も来る日もサッカーで、土砂降りだろうが雷だろうがボールを蹴る事に関して余念のない、我が部のFWフォワードだ。


「び、びっくりした! 急に声かけるから驚いちゃったよ」

温彩は気を取り直すと小さくグーを作り、それを突き出すしぐさでおどけて見せた。

しかし賢悟は、フンと鼻白むと、そっぽを向いた。

「勝手にびびるな」

雑なもの言いでぼそりと返す。

「何それ」

ぶう、と膨れて笑ってみせる温彩に、仏頂面の賢悟は目すら合わせない。

「別に急にかけてねえし」

もう一つぼそりと言うと、賢悟は持参のタオルを一つ隣のベンチにぽいと放り、そのままグランドに走り出た。

「って、あれ? 何か用があったんじゃないの? ちょっと! ケンゴ、ねえ!」

行ってしまった。


「もお、いつになく口を開いたかと思えばあんなだし」

憎まれ口を呟いてみる。でも、どことなく笑いを誘う。


賢悟の「すべてが面倒だ」と言わんばかりの態度はいつものことだ。無愛想な上に態度は雑。無駄に喋らないところも、とっつき難さに輪をかけている。

しかし温彩は、そんな賢悟がおかしくなり、最後にはいつもくすりと笑ってしまう。


賢悟は別にヤンキーなどの類ではない。目つきは悪いけど、特に悪ぶっているわけではない。

髪の毛だって無造作ナチュラルだし、人目を気にしてやたらと格好をつけたがるタイプでもなかった。

ふてくされたような一連の態度は、実は照れ隠し的な要素が隠れているのだと温彩は密かに思っている。多分、きっとそうだ。

そんな部分が、温彩の笑いを誘う原因だったりするのだ。

しかし賢悟は背も高く、ルックス的には‘甘さ’はない。どちらかというと、‘キレ’(?)があると温彩は思う。まるでコーヒーの評し方みたいだが。


教室での賢悟は、いつも広い背中で机を覆うようにして突っ伏し、授業中も大半は寝ていた。

そして不思議に思うのは、授業中は水飴みたいに終始グニャグニャなくせに、放課後になり練習着に着替えた賢悟は、別人の様になるのだった。

まさに『水を得た魚』。突然エンジンがかかったみたいに活き活きと走り回る。

(授業中はエコモードなのかな?)

そんなことを思って、温彩はくすりと笑ってしまった。


その時ふと何かの気配を感じ、前に目をやった。

すると今しがたグランドに姿を消したはずの賢悟が、目の前に立っていた。

「わわ! 何?!」


一人で笑っているところを見られた温彩は慌てて取り繕ったが、賢悟は正面から眼を飛ばしてくる。そして口を開いた。

「どーでもいいけどさ」

「な、何?」

冷えた視線で賢悟は続けた。

「でかい声で人の名前呼ぶな」

それだけ言い放つと広い背中を翻し、賢悟はグランドへと戻っていった。


(って、それを言いにわざわざ戻ったの?)


温彩は唖然とし、颯爽と駆けて行く賢悟の後ろ姿を見た。

「変なの……」

そしてやっぱり噴き出してしまった。


そして大きく息を吸い込む。

「ケ! ン! ゴォ! ファイトー!」

わざと大きな声で声援を贈ってみた。

すると、温彩の方に振り返った賢悟の顔は、怒り、いや、それを通り越してひきつっていた。

それを見て、温彩はまた吹き出した。なんだか少し、元気が出た。

グラウンドでは、筒井先輩の声が響いている。


初夏に差し掛かろうとする午後の風に、ポニーテールがサラサラと揺れて光った。



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