盲進
賢悟にカードが出された。
チーム内ゲームに過ぎなかったが、見かねた飯田が頭上に黄色のカードをかざした。
‘賢悟自身’に出した警告だった。
合宿六日目。
走りこみに始まり体作りに基本練習。フォーメーション練習やミニゲーム。誰一人ケガをすることなくここまで順調にやってきた。
そして迎えたサッカー部恒例の『追い出し試合』の日。
引退する三年も、それを送る一・二年も、皆楽しみにしていたゲームだったが、今日のその空気は重い。
そしてその重い空気を切り裂くように、審判の笛が高らかに鳴り響いた。
「おい賢悟、お前どうした?」
筒井は怪我のない事を確かめると土を払って立ち上がり、今しがた激突してきた賢悟の腕を掴み呼び止めた。
「さっきから少しおかしいぞ。大丈夫か?」
「………」
DFの筒井。
ミニゲームなどで、FWの賢悟とはよく自陣ゴール付近で対極した。
一点を叩き込むことに純真に喰らい付いていく賢悟。そのサッカースタイルからしても、ゲーム中に相手に接触してしまうことは多々あった。
しかし、いつでもボールと戯れるように、荒々しくも精鋭に邁進する賢悟のプレーは華麗だと筒井は思っていた。
しかし今日の賢悟は……
「すいません」
「ああ、俺はいーけどさ、お前が潰れるなよ」
賢悟は筒井が言い終わる前に背を向けた。
「上代、なんだって?」
当然、沖も心配して筒井に声をかけてきた。
「あぁ、いや、あんま聞いてないみたい」
「それに見てもないな。敵も味方も、その先も」
まさに、『盲進』だった。
目を瞑って藪の中に飛び込んで行く様な今日の賢悟に、沖も気付いていた。
これまで一緒に戦い、賢悟のFWとしての天性を肌で感じ取ってきたからこそだった。
(上代のいいところが全部、裏目に出てるな)
(ケンゴ……?)
温彩もスコアブックに向かう手をつい止めてしまった。
「あいつは乱射鉄砲か」
飯田が言った言葉に、温彩は着ているシャツの裾をギュッと握りしめた。
一方、いつもより物静かなハナも、目で賢悟を追っている。
それから、斜め前で不安そうに賢悟を見守る温彩に視線をずらし、押し黙ったままでいた。
「……」
ハナは、昨日の浜での光景を思い出した。
そして、それを目撃した時の、凍りついたような賢悟の顔も……
ゲームは後半に突入した。
しかし、序盤から繰り返されていた危なげな賢悟の動きは続き、ファウルを二度出すと、とうとう飯田にベンチに戻された。
「何考えてる上代?予選前に怪我でもしたらどうする!?」
「すいません」
「どうした。今になって何をそんなに無茶してるんだ」
「いえ、別に」
「ちょっと頭冷やして来い」
息を切らしたまま賢悟はタオルを持ち、フェンスの奥へと向かった。
この合宿に入ってからろくなことがない。
初めての事態に、情けない自分。サッカー以外のことに翻弄され、待ちに待ったせっかくのゲームでこのザマ。
とことん、自分の「程度」を思い知らされる。
水飲み場に着いてもしばらく、じっとしていた。さっきまで戦闘機の様になっていた体に、今は力が入らない。
『腑抜け』……今の状態にピッタリな言葉だと、賢悟は思った。
グランドでの無謀な自分を思い返してみる。こんなはずじゃ、なかった。
「あたし、ちょっと行って来ます」
瑞樹にスコアブックを頼むと、ドリンクを持って温彩は立ち上がった。
「ああ、頼む」
そう言うと飯田は、賢悟の変わりに太田をMFからFWに上げ、ゲーム再開の指示を出した。
温彩は賢悟を追い、水飲み場に走った。
水音はしていない。
フェンスと越えると、洗い場の上段に上がり頭にタオルをかけて座っている賢悟がいた。
そっと近寄ると温彩は、持ってきたドリンクを賢悟の膝に充て、チョンと差し出す。
「お疲れ様」
「………」
「大丈夫?ケガとかない?」
賢悟は顔を上げない。
「ね。汗すごいし、水分摂ったほうが……」
話しかける温彩の声を遮った。
「何で来んだよ……」
「え……?」
ポツリと言った賢悟の声色に、様子のおかしさを再認する温彩。
低音な上に口も悪い賢悟だけど、こんなに冷たい喋り方は、いつもはしない。
「どう、したの……?」
「オレさ。せめてサッカーにだけは真っ直ぐでいてェんだ」
「え? うん、分かって……」
「分かってねェよ!!」
温彩は思わずドリンクを引っ込めた。
「……ほ、ほんとに、どしたのケンゴ……」
沈黙が募った。相変わらず賢悟は顔を上げないままだ。
頭のタオルがするりと落ちた。
それと同時に洗い場から飛び降り、ガチッとスパイクの音を響かせて着地した。
「お前は沖さんの世話でも焼いてろよ」
そういうと賢悟は、グランドの方へ足を向けた。
(え………)
‘沖’の名前が、賢悟の口から、出てきた……
(どう、して……?)
温彩は、全身が石になった。 身動きも、言葉も出ない。
愕然とする温彩の様子に、賢悟はさらに胸を痛めた。そして、八つ当たりとしかとれない自分の態度にも、うんざりした。
拒絶したところで、更に胸の奥が蟠る……
しかし、背中に温彩を感じながらも、賢悟は足を止めなかった。
何故ならば、このやり場のない気持ちとどう向き合えばいいのか、皆目見当が付かないのだ。
賢悟はゴールだけでなく、自分をも見失いつつあった。