決戦の夜
「大丈夫ですか、瑞樹先輩?」
「うん、大丈夫だよ。少し眠れば平気だから」
同室の瑞樹が早くにベッドに入った。受験勉強とマネージャー業務とで少し疲れが出たらしい。
朝の自習では空調で冷えた室内、グランドに出れば炎天下。体の調子を狂わせても不思議はない。
「ゴメンね。早々と消灯させちゃって邪魔にならない?」
「いいえ全然。明日の準備でミーティングルームにも行かなくちゃいけないし、片付けることも残してきてるしで、どっちみち出なきゃならないんです。だから気にせずゆっくり休んで下さい」
「ありがと。じゃあお言葉に甘えるね」
まるで、しめし合わせたかのようだ。温彩が部屋を空けることに、何一つ差し支えるものがない。
ハナもどこかに行ったきり、帰ってこない。
今夜の為に、神様が時を明け渡しているかのように思えた。
部屋の明かりを消し、小さく寝息を立て始めた瑞樹をそっと見た。
(瑞樹先輩。あたし行って来ますネ。きちんと決着付けてきます。だから安心してください)
先輩を裏切るようなことは絶対にしませんから……瑞樹の背中にそう誓うと、温彩は静かに部屋を出た。
(きっと大丈夫……)
目を閉じればゴールに向かう、真っ直ぐな獅子の姿が心に舞う。
鋭い眼光、鬣。ダークでストイックで荒々しくて、地獄の魔王で。
でも本当はきっと誰よりも優しい。
魔王に勇気をもらってきた。だから負けていられない。自分の気持ちくらい、きちんと整理をつけてみせる。
温彩は浜に向かうため合宿所を出た。
外では月明かりのない浜辺に、温かい風が波と共に打ち寄せている。
あたりは闇に覆われ、波打ち際にいるのに不思議と静かな夜だ。
今夜も満天の星が夜空を覆いつくしているが、瞬く星も段々と目に映らなくなってきた。
今からこの浜辺で……沖と落ち合う。
伝えることは一つ。瑞樹とうまくやって欲しい。
台詞だってもう決めてある。でもやっぱり、トクントクン……トクントクン……思いのほどとは裏腹に、胸の音は早くなっていく。
やっぱり体は少し震えて、夏の夜にもかかわらず、海風は温彩の体温を下げた。
まもなく夕闇の中から、白浜の砂を踏む足音が聞こえてきた。
ゆっくりとこちらに近づいてくる。
沖がやってきた。素肌にボタンシャツを纏っている。
夜風に襟を揺らし近づいてくる緩慢なその姿は、温彩の目に、いつにも増して大人びて映った。
沖は温彩の目の前まで来ると、風のように言った。
「呼び出したりしてごめん」
「いえ……」
ついに決戦のとき。
瑞樹のために、自分のために、そしてもう泣かないために、あたしは戦う―――
ちゃんと、ちゃんとできる。大丈夫――
「ねえ、菅波」
沖は温彩に近づくと、ふいに両の手首を取った。そして引き寄せようとする。
「待ってせんぱ……」
「し……」
言いかけた温彩の言葉を遮り、沖は自分の眼下に温彩を誘った。
香る……先輩の甘い空気に、囚われる……
温彩の頭越しに細長い砂浜を見ながら沖は、静かに話し始めた。
「温彩って呼んでいい?」
「………」
「いい?」
「………」
温彩は黙ったままだった。
「やっぱり色々と悩ませてるよね?」
「………」
「ゴメン」
沖は無言の温彩に、ゆっくりと続ける。
「ほんとにゴメン」
「……」
言葉はない。
が、次の瞬間ぐいと抱き寄せられた。
沖は温彩をきつく抱きしめた。
温彩の中に稲妻が走る。
頭を打ち抜く様な、フラッシュみたいな幻光に目がくらみそうになる。
じかに沖の体温が全身に伝わってくる。
「俺、どうしても菅波のことが好きなんだ……」
伝わる。体温が、熱が……
熱………
そうだ……灼熱の、ケンゴの体温。
熱射で火照った、ケンゴの体。
温かいぬくもりで、揺りかごで、あたしをすくいとめてくれる。
そしてあたしをさらう。
強くて、そして真夏の太陽みたいな光で。
そう。
あたしのいる場所は、ここじゃない。
先輩の腕の中ではない。
いつだって苦しい時、魔王の揺りかごで安らぎ目が覚めた。
ケンゴの、肩の揺りかご。
あたしはこれからも、いつも、笑いながらそこにいたい。
(あたしに力を貸して……)
「先輩。ちょっと、待ってください」
温彩は沖の腕の中から、静かに言った。
「離して、下さい」
つい先程まで足元に打ち寄せていたはずの波が次第に引き始めた。温彩に白い砂の舞台を譲るかのように静かに遠のいてゆく。
「私の話を聞いてください」
さあ。決着をつけよう……
一方、
一汗かいた賢悟はグランドから出て、ハナから距離を取るため林の木の間を足早に進んでいた。
その時、
(ん?)
どうやら浜辺で、どこかの男女が抱き合っているらしい。
(うえ……やべやべ。こんなもん色狂いのチビに見せらんねぇ。さっさとズラかろ……う?)
去る足を速めようとしたけれど、その足は止まってしまった。
「なんだよ……、アレ……」
さっきまで早足で進んでいた賢悟が急に立ち止まった。
「えっ、今何か言いました?賢悟先輩」
「………」
「賢悟せん……、え……?」
賢悟の目線の先に目をやると、思わずハナも立ち尽くしてしまった。