魔王の霍乱?
昼からの練習で賢悟がダウンした。
異常なまでの猛暑と炎天下の練習で根を詰めすぎたせいか、軽い熱射病と脱水症状をおこした。
賢悟はサッカーとなるといつも、ストイックなまでに練習に打ち込む。
あれだけ水分補給は小まめにしろと言われていたはずなのに、夢中になるあまりつい怠ってしまった。
その後、今日は一日安静にしていろと、休みを言い渡された。
そして夜もミーティングには出ず、部屋で大人しく寝て過ごすようにと飯田に言われた。
甲斐甲斐しくもハナがナイチンゲール役に立候補し、タオルを変えたりなどの身の回りの世話を焼いていたはずだったのだが……
「菅波せんぱぁーい! 賢悟先輩が抜け出しちゃいましたぁぁ!」
獲物に逃げられたと言わんばかりのハナが、飛んで温彩に報告に来た。
「ちょっとアイシングの中身を変えに行った隙に脱走したみたいですぅー」
部屋に戻るとベッドは無人だったという。サッカーボールはさすがにおいて行った様だが、肝心の本体がもぬけの殻。
焦るハナは顔面が‘×印’になっている。
「んもぉ、仕方ないなあケンゴは……ハナちゃん、手分けして捜してみよ」
「はいぃ……」
体調不良部員の管理不行き届きと言われてはマネージャーの名折れ。
2人は捜索網を張るべく二手に分かれた。ハナは施設内の各ルームと体育館方面を、温彩はグランド裏から浜辺付近を探すことになった。
温彩は懐中電灯を持つと、一階を目指した。
靴を履き替え外に出ると、辺りはすっかり闇に包まれていた。漆黒の空に満点の星が広がっている。
浜辺を、グランドの方に向かって小走りに進んだ。黒い海から寄せる波音が、襲い来るように響く。
星空は美しくとも進む方向は真っ暗。昼間は美しい光景も、夜には巨大な影となって迫ってくる。
温彩はわざと陽気な声で賢悟の名前を呼びながら捜索にあたった。
「ケンゴー、いるー!?ケンゴぉー、いーるぅーー?」
先に林が見えてきた。海風で葉が不気味にうごめいている。
色鮮やかなはずの緑樹も真っ黒だった。遊歩道の外灯も消えている。
「気味悪いなぁもう……、ケンゴー、いないのー!?」
温彩はさすがに林に踏み込むのはやめた。そして踵を返し、浜のほうに戻ろうとした。
すると、「いる……」と言う低い声が後ろから聞こえてきた。
「ぎやぁぁぁーーー!!!」
思わず大声を上げてしまった。
「んもう!ビックリするでしょーっ!!」
林からよろりと出てきたケンゴは耳を押さえた。
「うわやめて、頭痛てぇから……」
気だるさに加え頭も痛いらしい賢悟は、「お前が呼んだんだろ……」と言いながら浜に踏み出してきた。
そしてその場に、ドスンと胡坐をかいた。
「まったくもう、何で外にいるのよっ。ダメじゃない寝てないと」
「ゆっくり寝てられるんならオレだってそっちの方が助かる」
温彩は、「マジでなんとかしてくれよ……」と懇願する賢悟に憐みを感じ、でも思わず笑ってしまった。
ともかく、どこかで倒れたりしてなくて良かった。
温彩は横にしゃがむと、鬣を押し上げ額に掌を当てた。
まだちょっと熱があるようだ。
「無理するからだよ、バカケンゴ」
「無理なんてしてねーよ。ちょっと暑すぎなんだよ……」
ヘの字口でブツブツ言っている。
「オレが悪りんじゃねえ……」
かいた胡坐に片肘をついて不機嫌な顔をのせ、眉間にシワを寄せている。
温彩もその横に並ぶと、砂の上に腰を下ろした。
「わかった、あれね。ナントカの霍乱だ」
「鬼?」
「そうそう、それそれ」
「絶対コロス」
内心、自分でも不覚を取ったと思っているせいだろう。いつもの不貞腐れ方とはちょっと違って、どこか子供じみている。
温彩はそんな賢悟を、わざと覗き込んだ。
「ケンゴ」
「んあ?」
「かわいい」
「は?!」
「かわいい。クスクス」
賢悟はおなじみの鋭い目で、ギロリと温彩を睨みつける。
「お前さっきからおちょくってんだろっ。こっちはマジで具合悪りーんだぞ」
「あはははは」
「もー許さん」
賢悟はがばりと腕を振り上げると、温彩の頭をホールドした。
「きゃーイタタタ!」
じたばたしてみせながらも温彩は、賢悟の力加減から体力を探る。
うん、これなら大丈夫かもしれない。熱は残ってるけど、思いのほか余力はあるようだ。
安心はしたが、賢悟に締められてる頭が痛い。
「降参、降参します!ゴメンなさい、離してー」
温彩がジタバタしてると、まもなくして腕の力が緩んだ。
やっと、解放された?
「もう、本気で締め殺す気だったでしょう?」
そう言いながら離れようとしたら、横からまた腕が振られた。
ぎゃぁー!今度は何……?首?!
首を、締・め・ら・れ・るぅ……
温彩はギュッと眼を閉じた。すると首ではなくて、肩の上にドスンと腕が降ってきた。
熱があるのに余計な体力を使ったせいか、賢悟は温彩に寄りかかり、気だるそうに目を瞑っていた。
続けてかすれた声がした。
「もうちょっといて……」
回された腕の下で、温彩はキョトンとした。
すると戸惑う温彩を感じ取ったのか、「もう少しだけここにいてっつってんの」と、ぶっきらぼうは相変わらずだが、いつになくしおらしい声で反復した。
朦朧としているせいだろうか。
「今日オレ弱ぇから」賢悟にしては、戯言を呟く。
魔王の霍乱だ。
賢悟が目を閉じている。
温彩は急に恥ずかしくなった。
(やだ、なんだかドキドキするよ……)
霍乱中の魔王にさらわれそうだ。
ドキドキする……
自分の鼓動が聞こえてくる。ドキドキドキ……
でも不思議。どこか安らぐ。落ち着く―――
回された腕も、寄せられた頭も、全部熱い。
なんだか賢悟の熱に溶け込みそうになる。心が温かくなる。
(ハナちゃんゴメン、ちょっとだけ許してね……)
温彩は自分に寄りかかる賢悟の頭に、そっと頬を寄せた。
熱射病で火照った体が子供みたいだ。
「肩貸してくれたお礼、少しはできるかな……」
砂の上に座った2つの影が、頭を寄せ合っている。
「体調管理もちゃんとできなきゃ、一流選手とは言えないんだよ?」
「頼むよマネージャー」
屁理屈ではなく、今は素で言っている。
「クス。いいよ」
温彩はその甘えた声に小さく笑った。
「ケンゴのことだったら、マネージャーでなくったって、いいよ」
賢悟の熱に包まれた温彩の発言も、夢心地で少し大胆になった。
そして温彩はもう一度、賢悟に重ねた頭をゆっくりと寄せ直した。
「なあ」
「なあに?」
「今そういうこと言わねーでくれる?」
「どうして?」
「熱が上がんだろーが……」
賢悟は温彩に回した腕を解くと、後ろ向きに砂浜に倒れこんだ。
「え、ちょっと、ケンゴ?大丈夫?」
「ダメっぽい」
賢悟は腕を額に乗せていた。顔を隠してるようだった。
暗くて分からなかったけど、頬が染まっていたかもしれない。
熱射病のせいなのか、それとも温彩のせいなのか。
温かい夜に静かな波が打ち寄せている。
温彩は腰を下ろしたまま、すっかり背を向けてしまった賢悟をしばらく見ていた。
冷えた砂に、熱の溜まった体を預けている賢悟。
気持ち良さそうに転がっている無防備な姿を、とても愛しく思った。
それにいつもと違う賢悟をまた一つ知ることができた気がして、なんだか嬉しかった。
「ふふ、ケンゴって意外と甘えん坊だったりして」
「お前もう、何も喋んな」
「クスクスクス」
「んあ……」
「なに?どしたの?」
「星が流れた」
「え、本当?」
夏に極大を向かえるペルセウス座流星群が近づいている。
神話によるとペルセウスという青年は、怪物メデューサの首を取り、岸壁に繋がれたアンドロメダ王女を生け贄から救ったという。
「きれいね」
「だあな」
今また一滴、2人の上に流星が走っていった。