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魔王の揺りかご

グランドで行われてた試合も終わり、賢悟と温彩は並木道のベンチに移動した。

グランドを背に、林を前方にして座ると、そこからの眺めはとても心和むものがあった。


並み居る林の木々がざわめく。

木陰が連なって黒いじゅうたんを敷いたように見える。

そして視線を真っ直ぐに浜辺へ延ばせば、今度は白いじゅうたんが広がる。その先は澄み渡る海だ。

温彩は、日頃の憂鬱を吹き飛ばすような眺めに自然と笑みをこぼした。


「また一人でニヤついてんな、変態」

自動販売機に行っていた賢悟が戻ってきた。背後からジュースの缶で、温彩の頭をコツンと突つく。

「もう、その変態ってのやめてよお」

投げ出した足をバタつかせながらジュースを受け取り、本家本元に向けて仏頂面を作ってみせた。


賢悟は無視を決め込むと、プシュッと炭酸飲料のプルトップを引き空を仰いだ。

2人の頭上には、水平線から沸き立つ入道雲とは別の、ポカポカとした雲が流れている。

「隣、いー?」

「どーぞ」

3人掛けのベンチに並んだ2人のあいだに空白が一つ。


あれ以来、河原でちょくちょく会話を交わすようになった賢悟と温彩。以前に比べると2人きりの空気にも随分慣れた。

さっき少しだけ意識したのは、きっとこの違った環境のせいだ。


「九月からの試合、頑張ってね」

「言われるまでもねえよ」

「でもケンゴって結構、一年の時からすごかったよね」

「何が」

「何がって、サッカーに決まってるでしょ」

「まーね」

「自画自賛ですか?上代選手?」

「別に自賛なんてするかよ。サッカーしかやってねーからオレ」

「そう言えば授業中、ノート全然取ってないでしょ」

「ノート取んのマネージャーの仕事じゃねーの」

「そんなわけないでしょ」

「ほう、そりゃ困った。初めて知った」


屁理屈では賢悟にかなうはずもなく、温彩は白旗を揚げるしかない。


「はいはい上代大選手、変態のノートでよければいつでもお貸ししますよ」

温彩がそう言うと、背伸びをしていた賢悟はプッと吹き出して体勢を崩した。


「自分で言うか? 意外に面白いねお前」

ベンチの淵に足を乗せると、広い背中を縮め、猫背になって笑った。


そんな賢悟に、温彩は衝撃を受けた。

(わわ……ケ、ケンゴが笑った!?)

笑ったことにもだが、その表情に驚いた。


初めて見たせいだろうか。終始しかめっ面で人相の悪いイメージが一掃されるような、太陽みたいな笑顔だった。

まるで別人だった。普段が普段なだけに、思わず目をみはる。

(目つきの悪い獅子も、笑うと子猫みたいになっちゃうんだ……)


こんなだとは、まるで想像もしていなかった。


行儀悪く立てた膝を抱え、一瞬見せた屈託のない笑顔。

それは真夏の海に燦然と輝く、太陽そのものに見えた。


温彩に驚きと好奇心と喜びが芽生えた。そして、どうしてももう一度太陽を見たいと思った。


「ねぇケンゴ、見て見て」

「は? 何を?」

「あたしの顔よ。渾身の変顔だと思うんだけど、どう?」

どう考えても巧妙とは言えない手段だったが、温彩は賢悟を破顔させようと奮闘した。

「どうって、別に普通だけど」

「ちょっ、普通な分けないでしょ失礼な! っていうか、ちゃんと見てないじゃん」


賢悟は話す時あまり目を見ない。

殆どはボールを蹴りながらや何かのついでに喋るといった感じで、温彩と目を合わせる時と言えば睨みつける時か眼を飛ばす時だけだ。


「ねね、見てよう」

頑張りまくる温彩。

「は……ヘンなヤツ……」

根負けしたのか、賢悟は観念したように小さく笑う。しかし先ほどとは違う、眉を歪めた呆れ笑いだ。


「ちゃんとさっきみたいに笑ってよ」

「何? オレを笑わせてーの?」

「うん。だっていつもブスッとしてんだもん。不機嫌な顔ばっかしてると幸せが逃げちゃうんだから」

「じゃあそっちこそ笑ってろよ」

「あたしはいつだって笑ってるよ」

「うそ言え。河原で泣いてたじゃねェか」


「あ、れは……」

はしゃいでいた温彩の顔がさっと曇った。


コトン、とジュースの缶をベンチに置くと、賢悟から視線を外した。そして砂の付いたつま先に目を落とした。


賢悟もいつもの顔に戻っていた。

ベンチから足を下ろして背もたれに深く背中を預けた。そして静かに問う。


「で? その理由はその肩と関係あんの?」


温彩は咄嗟に左肩の絆創膏を手で覆った。

「ううん……これは別に」

「じゃぁ、なんだよ」

「………」

会話が途絶えた。


忘れてはいけないことがあった。暢気にはしゃいでいる場合ではない。

(そう。沖先輩にちゃんと思いを伝えなきゃいけない……)

温彩にはやるべきことがあるのだ。

でも……

どう立ち向かうべきか、解決するべきか、迷っていた。

どう踏み出せばいいのか分からず、術が分からず、足をすくめていた。


――それは、自分自身の気持ちが揺らいでいるから?


いや、気持ちはとうに決まっているはず……


緩い波にのまれる様な、痺れる様な甘い感覚……それに翻弄される自分に歯止めをかける。

そして瑞樹を大切に思う。瑞樹と沖に、2人に幸せであって欲しいと願う。

自分は少しだけ、悪いウィルスに感染した。

違う空気を吸い込んで、ちょっと心のバランスを乱した。

ただそれだけ。


「もー、いいよ」

溜息と一緒に、隣から低い声がした。

「もう聞かねェからさ、おまえ、笑ってろ」


それは温彩の心を闇から引き戻すように、とても穏やかに響いた。


‘笑ってろ’という言葉が、ふいに温彩の胸を突く。

笑ってるのはあたり前だったから、そんなことを改めて言われたことなどなかった。

いつも絶えず笑ってるのだから、言われるはずもない言葉だ。


(やだ、どうしてだろ……なんだかじんときちゃう……)


「ケンゴ……」

「何?」

「どうしよう……」

「何が」

「泣きたくなっちゃった……」

「は? なんなのお前?」


温彩はもうふぇふぇと泣き始めている。


賢悟はもう一度深く溜息をついた。そして片眉を上げ、右腕を温彩の方へ延ばした。

「ほれ、来い」

空白の席を越え、温彩の後ろ頭にポンと触れる。


(あれ、あの日と同じだ……)

温彩は思い出した。あの時河原で賢悟が貸してくれた左肩。

そうだ。賢悟はいつも気遣ってくれている。


「理由……聞かなくて……いいの?」

「いいっつったろ。別に取り調べしてんじゃねーんだから」


賢悟は、優しい?


何でだろう。

痺れる感覚もないし、甘くもない。

でも、気付いた時にはこぼれる涙と一緒に、差し出された肩に吸い寄せられる。


賢悟は揺りかごみたいだ。

寄りかかったって硬いんだけど、話す言葉は棘があるんだけど、でも笑うと太陽みたいで……


(へんなの……)


潰れそうになった時、心がギシギシになった時、何故かいつもそばにいる。


「ううう」

「うううじゃねェ。早く来い変態」

「だがら、変態は……やべで……」

「あーも、世話が焼ける」


べそをかきながら俯いたままの温彩を、賢悟はぐいと引っ張った。


(魔王が、またあたしをすくいとめる……)

右肩に押し付けられた頭に、賢悟の手が乗っている。


もう苦しくなかった。

苦しくなくて、どこかしら温かい。そんな気持ちからこぼれる涙。


魔王の揺りかごが揺れる。ゆっくりと時間が流れる。

このままここで、ずっと揺られていたいような、そんな気持ち―――。


「ケンゴ……」

「はいよ」

「汗臭い」

「コロスぞ……」

「泣き終わるまで待っで」

「じゃ、ノート貸せよ」


溜息混じりに賢悟が何か言ったけど、温彩はもう聞いていなかった。

涙が止まるまで、チョットの間だけ、賢悟の肩で目を瞑っていよう。


熱い熱い、夏の日。

ちょっとだけ、違う感情が芽生えた日―――?



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