SUMMER TIME…その2
「賢・悟・先・輩っ、ボート乗りましょ!」
恐いもの知らずのハナは、どっかりと腰を下ろしている賢悟の腕をぐいぐいと引っ張り、持ち上げようとする。
「ダー!触るなコラ」
賢悟はハナの手を振り払った。
「やだ、何照れてるんですか先ぱぁい。ハナまで照れちゃいますぅ」
ビキニ姿で、お得意のクネクネをするハナ。
「照れるかアホ! 頼むからあっち行ってくれ。泣くぞっ」
天晴れな性格のハナにはさすがの次期エースも苦戦を強いられる。賢悟は後ろにいる温彩を思い切り睨みつけた。
「おい保護者、ぼさっと見てんな!」
「やだな保護者だなんて。あははは、はは」
その時温彩たちの方へ顧問の飯田が近づいてきた。そしてハナの頭をポカンとバインダーでたたいた。
「おい橘。何だお前の格好は?すぐに戻って着替えて来い」
「ええっ?!やだ何で!!新作の水着なんですよ先生ぇぇぇ」
青天の霹靂と言わんばかりのハナ。
「だーめだ!そんなパンツ一丁は。合宿の趣旨からかけ離れとる。Tシャツ重ねるだけでもいいから何か着て来い。それともこの場から退場したいか?」
抵抗を試みたハナだったが、退場させられてはかなわないと渋々引き下がった。
「ううう……菅波先輩、賢悟先輩捕まえてて下さいね……すぐ戻って来ますからぁ」
ハナが居なくなると、嵐が過ぎ去ったように静かに思えた。打ち返す波の音がようやく耳に入ってくる。
温彩は相変わらず、賢悟の睨みにたじろぎながら愛想笑いを繰り返していた。
「うい」
「ひえっ」
「ひえじゃねぇ。オレは今のうちに逃げる」
「え?」
「アイツが戻ってくる前にズラかるっつってんの!」
そう言うと賢悟は、脱ぎ捨てていたTシャツを拾い立ち上がった。
「ええっ、ハナちゃん待っててあげようよー」
ビーチから離れようとする賢悟を引きとめようと、振り返った時だった。
筒井達の輪の中に、こちらを見ている者がいることに気付いた。
心配そうな顔をした沖だった。太陽逃れに額に手をかざし、居た堪れない表情でじっと見てくる。
温彩はハッとして左肩を押さえると、沖の視線から隠れた。
が、それでもまだ沖は不穏な面持ちで、隠した「肩」を追ってくる。
(やばい……)
温彩も逃げることにした。
「ケンゴ待って、あたしも行く」
「ご勝手に」
2人は浜を後にし、ホイッスルの音のするグランドの方へ姿をくらました。
熱を蓄えた砂と照り返す日射で、たぎるような熱さだった砂浜も、林に一歩踏み込むと冷やりとしている。
火傷しそうだった足が冷やされて心地いい。
温彩は、肩にTシャツを引っ掛けてズシズシと前に進む賢悟の後ろを追った。
(こうやって見ると背中、三角だ)
温彩はいつも思う。賢悟の肩は広い。
それに、膝までの海水パンツから出ているふくらはぎは、サッカーで鍛えられて‘ギッ’としてる。
そして、サッカーとは関係のなさそうな腕も、やっぱりギッとしてる。
ギッと、ギッと、している。
「試合やってる」
賢悟が振り返った。
2人は目があった。
温彩は意外に白い肩をしていた。
部活では半袖でグランドにいることが多く、腕は日に焼けている。
しかし隠れている部分は白く、水着になるととても華奢に見えた。オレンジ色のタンクトップとパレオの間から覗くウエストも、また華奢だった。
だから賢悟はあまり温彩を見ないように、常に前を歩いた。
白い肩に貼られた無数の絆創膏にも気付いていたが、折り入っては触れなかった。
サッカーグランドのフェンスのところまで来ると、ピッチでは紅白のゼッケンを着けた2チームがゲームをやっていた。丁度PKを行うところだった。
両チームがペナルティーアークを取り囲むように集まり、合図を待っている。
2人は金網に手をかけ、しばらく試合を観戦した。
赤チームのキッカーがボールを蹴った。
次の瞬間、ボールはキーパーの手を弾いた。
赤チームはチャンスを逃すことなく、ゴールを決めた。
「よっしゃ!」
様子を見守っていた賢悟が大きな声で叫んだ。同時に、檻の中のゴリラのように高く上げた両の腕で金網を揺する。
ボールを追う時と同じ目をしていた。
声をあげ、フェンスを掴み、獲物を射った獅子の眼光でゴールの方に食い入っている。
温彩のすぐ、隣で。
賢悟の体から放たれる熱気が伝わってくる。
気迫に満ちた賢悟を、こんなに‘至近距離’で見るのは初めてだ。
肩にかけているTシャツに、‘鬣’からつたった汗が一粒落ちた。
温彩は、フェンスの向こうに夢中の賢悟を、見るともなく見つめていた。
ふと背中に目をやると、さっき浜にいた時に付いたのだろう、白い砂が付着していた。
隆起した肩甲骨を縁取るように、ぐるりと纏わり付いている。
その時、試合に見入っていたはずの賢悟がボソリと呟いた。
「変態」
「え? 何て言ったの?」
「へ、ん、た、い」
いつにも増して低い声で言うと、フェンスに伸ばした腕越しにジロリと片目で温彩を見下ろした。
「へ、変態?!」
「見すぎだろ」
「な、何? 見すぎって」
「じろじろ見すぎだっつってんの。オレの純潔汚さねーでくれる?」
温彩は急に恥かしくなった。
「や、やだ、そんなつもりじゃ、だってほら背中、砂が付いてるから……」
そう言って砂を払おうと、賢悟の背中に手をやった。
「触んなっ」
突然賢悟が声を上げた。
温彩はビクッとして手を引っ込めた。
一瞬空気が張り詰めたが、賢悟はすぐに慌てた。
「いや、じゃなくて、その」
温彩よりも賢悟自身の方が、自分の反応に驚いた。一体何に過剰反応しているのか。
「汗かいてるから……」
賢悟はそう言うと、肩にかけていたTシャツを取って勢い良く袖を通した。
「悪り」
「んん。あたしこそ、ごめん」
賢悟も温彩も、互いに無が悪くなった。
気まずさと気恥ずかしさと、上昇しそうになった心拍数。
それを隠そうと、それぞれが空に目を泳がせた。
上には真夏の空が広がっていた。