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トライアングル : 憂い

梅雨が明けた。

重苦しい石戸のような雨雲が開け、青空から太陽が照りつける。

すっかり眩しい季節になった。

学校では試験も終わり、あと数週間で夏休みに入る。


そんな暑い日の昼休み。

温彩は教室を出てサッカー部の部室へと向かっていた。

校舎を駆け下り、渡り廊下から犬走りに下りて体育館の方へ進むと、前方から呼ぶ声がした。

「温彩」

瑞樹が手を振っている。


たなびく黒髪のロングヘアーと白く透き通るような肌をした瑞樹は、真夏の太陽をも涼やかなものに変えてしまう。

瑞樹はいつも沖に向けている大きな瞳を細め、駆け寄る温彩に微笑みかけた。

2人は並んで部室まで歩いた。


八月上旬、サッカー部は一週間の宿泊合宿に入る。

今年は、市の郊外に位置する海辺の合宿所に滞在が決まっているが、スポーツ団体の合宿には大変人気のある施設で、各競技問わず広範囲に多機能な設備が整っている。

この時期、ここに予約が取れたことは一種の奇跡だった。


九月から始まる大会予選に挑むサッカー部は、この合宿において体力作りやチーム力の強化などを余儀なくされる。

特に二年と一年の面々は全力で、あらゆる調整に励まなければならない。


当校は私立の進学校のため、三年生はこの一学期で引退となる。

しかしながら毎年八月のこの夏合宿には、後輩の猛特訓に力を貸す意味で参加をするのだ。

そして締めくくりに、新生チーム対引退組チームでゲームが行われ、三年はこれを以て完全に身を引くというのがサッカー部の慣わしだった。


そういうことで、彼等全員にとってこの夏合宿は一つの節目であり、大変重要なものであった。


とは言ったものの……全員参加で望む夏休み時期の合宿。しかも今回、目の前は海。

実際のところは羽を伸ばす目的であることも否めない。何と言ってもやはり皆高校生だ。


勿論マネージャーも含めての一週間になる。

瑞樹、温彩、ハナの3人は、最近ちょくちょく昼休みに集合しては、合宿の為、前もって買い出しの必要な用具などのチェックを行っていた。

そして今日は瑞樹と2人。

温彩は部室の鍵を開け、建て付けの悪くなった引き戸を引いた。


昼間の薄暗い部室は窓から差し込む光によって必要なだけの明かりが取れ、落ち着いた空間になっている。

空中に舞う埃がその光に反射し、キラキラしていた。

中に入ると、外の暑さとは対照的に冷んやりとしていて、染み付いているはずの汗の匂いも気にならない。


温彩と瑞樹は早速仕事に取り掛かった。

今日はハナが来られず人員不足の為、手早に作業を進める必要があった。

温彩が棚から下ろした段ボールの中身を、瑞樹がチェックする。瑞樹が整理を済ませたものから順に、温彩がメモを取っていく。

2人は順序よく仕事をこなしていった。


一区切りが付き、部室の中央に置かれたテーブルを挟んで座った。

そして洗剤などの日用品を始め、持参しなければならない物を話し合ってまたメモを取った。


ふと木のテーブルのささくれや沢山の落書きに目を落とす。

卒業生部員たちの残していった跡に気を取られていると、瑞樹が声をかけてきた。


「ねぇ温彩」

「はい、何ですか?」

「ちょっと聞いても、いいかな」

温彩は猛烈にギクリとした。

「はい……なんですか?」

瑞樹からの問いかけに、体中を緊張の糸が張り巡らす。

そして、先程まで明るかった瑞樹の表情に移ろいを感じ、自分の指先からは血の気が薄れるのを感じた。

もしかして……


沖から『あのこと』を聞いたのだろうか?まさか沖から、別れを告げられたのだろうか……!?

それとも全て知った上で鎌をかけてくる……?ううん、瑞樹はそんなことはしない。

いろんなことが頭を駆け巡る。


じゃぁどんな……一体何を聞いてくるのだろう……?

温彩は目が回りそうだった。

ずっとずっと心に重たくのしかかっていたもの。とうとうそれに、現実で、‘変化’が訪れるのか……?

あれ以来ずっと微妙なままの沖との空気に、元気のないままの瑞樹。

ここ最近、抱き続けていた不安と疑念と恐怖の様なものが一気に渦巻く。


「温彩……最近の侑と私、見ててどう思う……?」


ゆう とは、沖のことだ。

沖の、侑都ゆうとという名前から瑞樹は「侑」の一文字をとり、そうやって呼ぶ。

沖のことを名前で呼ぶのは、知る限り瑞樹だけだ。

それも人前では言わないが、その呼び名を温彩の前では気を許して使う。


「先輩たちを見てて……ですか?」

「うん……」

うなずくと瑞樹は、少し微笑んだものの、浅く溜息を吐き話し始めた。

「実は一度ね、別れようって、言われたの」

「え……!」


温彩の背中に、何かがズンと落ちてきた。


とうとう聞かされる……気になっていた話しを聞かされる……

そしてその話しの先で、自分の名前が出てくる可能性がある。


「んん、なんだかね。この春あたりから侑の様子、少し変だったの」

温彩が沖から告白をされたのもその頃だ。

「そうなん、ですか……?」

相槌をうつのが精一杯だ。

「初めはね、試合に負けちゃったことでナーバスになってるのかと思ったんだけど。でも違うみたいで……」


「じゃ、じゃあ原因は……何なんですか……?」

温彩は動揺をごまかす為精一杯会話を試みるが、相応しい言葉が見つからないばかりか、自分を窮地に追いやるような問いを返してしまう。


「んーん。何も言ってくれないの。私が悪いわけじゃないって……それだけ」

そして瑞樹はもう一つ溜息を吐き、静かに続けた。

「だから私、納得できないって言ったの。そしたら侑、それ以上は何も言わなかった」


瑞樹は、温彩が沖から受けた告白のことを知らされていないようだった。


後ろめたさをと同時に、波打つ様な、高ぶるような気持ちが押し寄せた。

それならばまだ、もしかしたら元に戻れるかもしれない……!先輩たちも、そしてあたしの気持ちも……!


心が晴れた気がした。恐怖心も薄れた気がした。

拭い去れない背徳の念は残るが、妙に希望が湧いてきた。


温彩は興奮気味に、瑞樹に詰め寄った。

「まだ別れたわけじゃないんでしょ先輩っ!」

「う、うん、ええ。多分……」

戸惑いながら答える瑞樹。

でもやはり、瑞樹から憂いの表情が消え去ることはない。

不安を受け入れつつ、あえて心を保とうとしている様子が瑞樹から伝わってくる。


「優しいんだよね、侑。いつも優しくて……。でもね、だから私……今それを利用してるの」

去りたがる侑の気持ちに、素知らぬ顔でしがみ付いているんだと瑞樹は言った。


温彩は思わず椅子から立ち上がり瑞樹に告げる。

「あたしイヤです!先輩たちが別れるなんて絶対に!」


勿論、本気で言っていた。

あのことは沖の気の迷いだ。

そう思う。そう、決めたのだ。


「絶対別れちゃダメですよ先輩、瑞樹先輩と沖先輩なら大丈夫!あたし、大好きな2人にはずっと一緒にいてもらいたい……!」

温彩は必死になっていた。


沖に少しでも揺れた自分。その罪は消えない。

しかし、この先先輩達がうまくいくように、心から応援したい。

心からそう思った。


「ありがとう温彩。何だか元気出ちゃった……ありがとね」

「瑞樹先輩には沖先輩以外、釣り合わないんだから!」

温彩は、微笑む瑞樹にそう言うと、更に元気付けるよう明るく振舞った。


(トライアングルにはならない。絶対に……)


後ろからは、鳴き始めたばかりのセミの声と、校舎からの午後の授業の予鈴が聞こえてきた。


2人は、「また放課後」と手を振り、それぞれの教室に戻って行った。



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