ここでなら
今日の遠征試合は見事な結果だった。
前半後半共に順調に点を稼ぎライバル校をねじ伏せた部員たちは、今日の自分達の活躍や功績を口々に称えつつ、皆が爽快な気分で帰り路に着いた。
温彩も、練習が休みの時くらいは早く帰れと顧問に言われ、今は川沿いをてくてく歩いている。
「今日、日曜日、か……」
河川敷の公園はいつもより人が多く、まったりと休日を帯びている。
もうすぐ梅雨に入る時期だけど、とても天気の良い一日だった。
それなのに、思い出すのは沖とのことばかり。
(こんな日なのに気が重いな……早くこんな気分から抜け出さなきゃ)
様々な思いに苛みながら、温彩は今日も無意識に河原に下りた。
最近一人になるとつい、感傷的になる。
張り詰めていたものからふと、解放されて気が緩む。
「辛いヨ……」温彩はポツリと呟いた。
きっとそれが、今の温彩の率直な気持ちだ。
切ないだけの思いなら、どんなに楽だろうか。振り切ることができれば、どんなに楽だろうか。
そう思うとまた涙が出そうになり、慌てて視線を空に向け、キュッと横髪を持ち上げた。
(ダメダメ、しっかりしなきゃね)
いつもの爽やかな空気と河原の景色は、変わらず温彩を迎える。
その時、少しはなれたところに聞き覚えのあるボールの打音を聞いた。
「ん……?」
間違いなく賢悟だ。
試合が終わったばっかりなのに、さすがはサッカーバカと言われるだけはある。
クスっと笑えた。なんとなく救われた気分になった。
大きく息を吸い込むと温彩は、ボールに夢中の賢悟に声をかけた。
「おーい、ケーンーゴー。今日も練習してるのぉー?」
驚いた様子で振り返った賢悟だったが、温彩をジロリと見るとすぐに顔を前に戻してしまった。
(むむっ、無視する気だな?)
温彩はカバンを取って立つと、賢悟のいる橋げたのほうへ走り寄った。
「今日の試合、お疲れ様!」
「……」
返事はない。労う温彩に、目も合わせず背中を向ける。
「もー、ほんとケンゴって愛想ないなあ。挨拶くらいしてよね」
話しかけても知らん顔をしてボールを蹴り続ける賢悟。
温彩はその脇に腰を降ろした。
脱ぎ捨ててくしゃくしゃになった制服のシャツが草むらに転がっている。
バッグもタオルも、いつも無造作に放っぽり出してはサッカーに夢中だ。
今は橋げたまで移動し、壁に向かってボールを蹴りつけている。
賢悟のサッカーに対する姿勢は相当だと思う。
元々の運動神経に加え、それほど熱心にボールに向かえばおのずと結果も見える。
今日の試合も、賢悟は立て続けに2ゴールを決めた。
筒井曰く、賢悟は今や沖に続く筆頭株とのこと。
いつもボールだけを見てひたすら走り続ける賢悟。
迷うことなく、いつも、まっすぐに……
そんな賢悟は、スゴイ。
ボサボサの賢悟の髪が、‘鬣’に見えた。
揺ぎ無い姿というのは、こんなにも強くて潔い。
温彩はいつのまにか、無心で河原に舞う獅子を見ていた。
どれくらいか経ち、陽の沈む方角がほんのりと紅く染まり始めた。
とどめに蹴ったボールが壁を弾いて足元に返ってくると、それを最後に賢悟は戻ってきた。
ポケットに手を突っ込み、つま先でボールを突つきながら歩いてくる。
「おかえり」
ぼんやりと笑いながら自分を迎えた温彩にドキッとした賢悟だけど、プイとそっぽを向くようにしてペットボトルの水を飲んだ。
「まだいたの。帰んねェの?」
口を開いた。しかし仏頂面だ。
「スゴイね、ケンゴって」
「何が」
「今日もすごかったね、2ゴール、おめでと」
「そりゃどうも」
温彩と2人きりでなんとなく落ち着かなかった賢悟だが、ツンケンしててもしゃーねーやと、ドサッと音を立てて土手に腰を降ろした。
(汗が引くまで、少し座ってるだけだし……)
賢悟はくしゃくしゃと髪を掻いた。
そして、間をもたせる為にと、少し口をきいた。
「最近しっくりきてなかったし、今日は多少バシッとしたかもな」
「いつも全力疾走だね、ケンゴって」
「一年も調子上げてきたし、こっちもうかうかしてらんねェ。秋からの予選も気合い入れていかねえと、上ももう引退だし」
「………」
温彩は、はたと賢悟に顔を向けた。
日本語を知らないんじゃないかと思うほど、毎度片言の賢悟が「会話」を紡いでいる。
温彩は少し作ったように、キョトンとした顔をして見せた。
「すごい。 ケンゴがまともに喋ってる……」
賢悟はとっさにペットボトルの水をブッと噴いた。
「っ、何なのお前? 放っとけ!」
舌打ちをしながらバサリとシャツを羽織ると、賢悟はまた口をヘの字に結んでしまった。
温彩はクスクス笑った。
「ケンゴってさー、何でそういつも徹底的に無愛想なの?」
「あー? 別に」
「かなりの変人だよね」
「悪かったな」
「女の子みんな恐がってるよ?」
「知るかっ」
そうやって温彩は学校でのアンバランスな賢悟の印象を刻々と指摘し、賢悟は「うるせェよ」といちいち反発してみせた。
「お前だって、おせっかい女だろ?」
「うわ酷っ」
「マネージャーなんてやってるあたりそーだろ」
「んじゃもうケンゴのお世話はしない」
「頼んだ覚えねえ」
「愛想だけじゃなくて可愛げもないなケンゴめ」
「人を犬みたいに呼び捨てるな」
「うるさいー、ケンゴケンゴケーンゴ」
「……」
じゃれ合うというには遠いかもしれないが、2人とも無垢にそんな時間を過ごした。
不思議とお互い、自然体で話せた。賢悟も口をきくし、温彩は笑える。
「いつも寝てばっかだよね。授業キライ?」
「睡眠学習と言え」
「部活の時はすっごく元気なのにね?」
「放っとけ」
「あのさ。寝癖、まだついてるよ?クスクス……」
「笑うなっ!」
お互いに、ここで交わす何でもないような会話や時間が、どことなく気に入り始めていた。
賢悟の汗が引いても、そのまま2人は河原の草の上で話し続けた。
しばらくたった後、賢悟は、何でもない会話に返答を繰り返しながら、最近の元気のない理由でも訪ねてみようか、などと考えていた。
その時。
「でもね、賢悟のそんなギャップが好きなんだよ?」
そんな温彩の言葉が耳に飛び込んでくる。