試合の朝
六月最初の日曜日。
今日は隣地区のライバル高への遠征試合の日だ。夏の大会を控え、今は各地区でゲームが繰り広げられている。
サッカー部員達は眠い目を擦りながらも、いつもの登校時間よりも数段早い時間に学校へと集合した。
六月ともなると早朝とはいえ、辺りはすっかり明るい。
ウォーキングをする人や、仕事に向かう人などが一日の始まりに追われている。
校門の前では一足先に来て雑用と仕度を整えたマネージャー陣が、ポツポツと集まり始めた部員達を迎えていた。
着いた部員は順に、それぞれのひと時を過ごし始める。
コンビニで買って来たおにぎりやパンをむさぼっている者、地面に座り込み他のメンバーを待っている者、ひたすら携帯をいじっている者。
そして、そんな眠気の覚めやらぬ空気を一掃するかのように、「ホラホラー!先輩たち、早く早くぅー!」と、歩道をやってくる部員達に向かって手招きをするハナの元気な声が響いた。
瑞樹は顧問教師の飯田と、利用するJRの時間と乗車人数の打ち合わせをしている。
温彩も表通りに出た。
大通りから学校へと繋がる歩道は坂道になっていて、皆がやってくる方向は校門から見て上りの勾配となっている。
「えっと、後来てないのは誰だっけ……?」
そう思って通りを仰いでいると、こちらへ向い走ってくる者の姿が見えた。
賢悟だった。
片手にはサッカーボール、その反対にはいつも下げているスポーツバッグ。
朝日の登る方向から風を切って走って来たまでは良かったが、その頭はボサボサだった。
走ってくる賢悟にハナも気付いたようだ。そしてボサボサ頭に一番に目をつけたハナは、
「やだー、賢悟先輩っ、頭すごいですよぉ、キャハハ……!」
大笑いしながら手を振った。
茶化され、ブスッとしたままハナと温彩の前を通り過ぎた賢悟は、部員と挨拶を交わしてドサリと荷物を置いた。
そしてそのまま地べたに胡坐をかき、ボールをバッグにしまっている。
「おいおい賢悟、お前もう一汗かいてきただろ?」
筒井が話しかける。
「試合前だぞ?ほんっとお前のサッカーバカにゃあ関心するねぇ」
「ボールが恋人ってか?ちったー色気付けよなぁ。ダハハハ」
次々に冷やかしを浴びせられる賢悟だったが、それに動じることもなく無言を決め込んでいる。
そして取り出したタオルで額の汗をゴシゴシと拭いていた。
温彩は横からそっと小声で話しかけた。
「オハヨ……」
賢悟はチラッと温彩を見上げ、(おぅ)と表情だけで返事を返した。
本当に賢悟はいつも仏頂面だ。男くさいのか何なのか、よく分からない。
でもそんな賢悟の様子を見ていると、やっぱり笑える。
今日は広い背中の上に、盛大な寝癖をつけたままの頭でやって来た。
みんなより集合が遅かったのは寝坊したからではなく、河原に寄ったかららしいのだが、寝癖を直す暇があったらボールを蹴ってるという姿勢は、いかにも賢悟らしかった。
温彩は案の定クスクスと笑ってしまった。
それに気付き、カチンときた賢悟。
(なんなんだよおまえは……!)
と、低いところで手を振り上げて、無言で怒りのパントマイムを繰り出してくる。
温彩は笑いを堪えながら、(おーこわこわ)とパントマイムで返し、賢悟から離れた。
その様子を見ていたハナがすかさず温彩に走り寄って来た。
「ホラぁ、やっぱり賢悟先輩と仲いいじゃないですかぁー、ぶぅぅ~」
と、温彩の腕にぶら下がるようにしてすねてみせる。
「違うってば、そんなんじゃないって。だって誰が見てもおかしいじゃない、あの頭……」
そういうとまたクスクス笑った。
「確かにすごいですよねぇ……でも賢悟先輩のあんなとこも好きですハナ~~」
クネクネして温彩の腕を掴んだままブンブンと振ってくる。
「あははは、やっぱハナちゃんの趣味、おかしーい」
2人してきゃっきゃと笑いあった。
間もなくして、ハナはつつっと悪巧みの表情を作った。
そして温彩にこう告げる。
「今日ぉ、試合終わったら賢悟先輩にぃ、本格的に絡んでみようかと思ってますっ!フフフフ……」
「か、絡む……?」
「はい……ハナの必殺、押せ押せ攻撃の開始です!!」
上目遣いでニッと笑いながら、ヒソヒソと作戦について話してきた。
ハナは「小悪魔出動ですっ」などといいながら楽しげにし、温彩は温彩で、攻撃を受ける賢悟の様子を想像した。
再び笑いを堪えるのに必死だった。
「おーい、菅波ー、ちょっと来てくれ」
突然、顧問の飯田が温彩を呼んだ。
「はい」
温彩は走って飯田の元へ行った。
するとそこには、先に呼ばれいたらしい沖が立っていた。
沖は顔を傾け少しこらに向き、「お早う」と挨拶をしてきた。
「お早うございます……」
不自然にならないように気を配り、挨拶を返した。
「菅波と沖、お前ら一緒に駅まで行ってくれんか。先に藤沢と小林を向わせたんだが部費が足りんらしいんだ。届けてやってくれぇ」
「分かりました」
そう言って沖は、飯田から封筒を受け取った。
そして、「じゃあ行こうか……」と、肩越しに温彩に声をかけた。
「はい……」
その時少し、目が合った。
後を追うと、あの日と同じ沖の匂いがした。
そして、静かに鼓動が波打ち始める……
試合の朝。
思わぬ人選に戸惑いながら、温彩は荷物をハナに預け、沖の後を追って門を出た。