影と魔女
先生と別れた後、わたしはできる限りの情報を調べ尽くした。
あらゆるネットの記事、新聞、テレビ。さまざまなメディアを用いて情報をまとめた。
第一目撃者の証言。被害者は既に遺体の状態で発見しており、秋山さんに見せてもらった写真とほぼ変わらないだろう。
近くの監視カメラでもそれらしき映像及び音声は捉えていないという。警察側が困っていることも頷ける。
となると、わたしにできることはなんだろうか。
警察以上の情報力があるわけでもなく、先生のような洞察力もないわたしに、一体何ができるのだろうか。
「先生に聞くのが一番かな……明日は早く行こっと」
事件の翌日。また一つの遺体が見つかった。
場所は違えど形は同じ。見るも無残な跡だったという。連続性ができたことによりメディアにも大々的に取り上げられるようになり、朝のニュースはその話題で持ち切りになっている。
今日は授業のないわたしだが、真っ先に先生のもとへと向かった。
「おはようございます、先生。ニュース見ました……か?」
部屋が暗いのはいつものことだが、なんというか、動いている気配がない。
いつも朝早く起きている先生なら必ず起きている時間だ。
中に入ると、先生はソファーで仰向けになり、目を閉じていた。
まさか先生が寝坊するとは……むしろ、先生が寝ている姿を見るのは初めてだった。
「先生、寝相いいんですね……」
そもそも、寝室はあるのに何故そちらで寝ていないのか。
ふと机を見ると、そこには小さな杖が置かれていた。
某映画にも出てきそうな、そこらの木の枝に見えなくもない、よく見るとヤスリかなにかで加工したように艶やかな表面。言葉では表せない雰囲気を醸した、そんな不思議な杖。
先生はいつも手ぶらだけど、これは先生の持ち物だろうか……?
「これならわたしでも……?」
「触るなっ!」
「ひゃあああああああああああ?!」
背後で寝ていたはずの先生。それが突然大声を上げてわたしの左腕を強く引っ張った。それに思わずわたしは悲鳴を上げ、掴まれた手を全力で振り回した。
脳内はパニック。考える余裕もなく、力任せにぶんぶん振り回した。
「落ち着け。それはまだ仕上げしてないから魔力が暴走する可能性がある、だから大丈夫だ」
「し、仕上げ? これって先生の……えっと」
「はぁ。これは一夜漬けで作った魔道具だ。ある実験をするためのな」
「実験、ですか」
重そうな腰を上げ、ぐっと背伸びをする先生。寝ぼけ眼を擦りつつ、机の上の杖を握る。
「あくまで仮説だが、この事件は恨み辛みや必然性といったものはほぼないと思っていい。ある種の通り魔だろうな」
「あ、今朝のニュースでも言ってました。今のところ2人の被害者に関連性はないって」
そうなのか、と先生はまだ間抜けた顔で答える。
いつも犯罪者……というか怖い顔をしているが、寝起きというのもあって普段より少し柔らかい印象がある。
「ボサボサの髪さえ整えれば、もう少し真人間に見えるのにな」
「声に出てるぞ」
「あっ、違うんです。いや本当のことですけど」
「どう見られようが俺は構わん。まあ、それはそれとして実験だ。楓、ちょっと来い」
そう言って、先生はリビングを出て仕事部屋の中に入る。
わたしも、その背中を追いかけた。
ふと思う。さっき一夜漬けと言っていたが、まさか昨夜はほとんど寝ずにこれを作っていた?
となるとあれは仮眠中で、ソファーで眠っていたのも納得がいく。
ふふん。我ながら推理力がついてきたな、と心が躍る。
同時にそれだけ先生が真剣にこの事件に向き合っていることに、嬉しくなった。
「で、先生。今日は何をするんですか?」
「魔術の実験だ。一連の事件の犯行からして、おおよそ常識で測れない案件の可能性が高い。だからそれを俺が作れるどうか、という簡単なやつだ」
最後の仕上げ? とやらを施したのか、ぽんとわたしの手に杖を渡す。
仕組みはさっぱりわからないが、わたしにも使えるということだろうか?
「えっと、どうやって使うんですか?」
「この本に向かって爆発しろと念じてみろ。それだけで術式は発動するはずだ」
床に置いた本を指さす。一度深呼吸し、杖をぎゅっと握る。
本に焦点を合わせる。睨むように、それ以外のなにもかもが見えないように。
「えいっ!」
杖が淡い紫色に光る。目に見えるこの輝きが魔力だろう。つまり、これは成功なのでは――
これが、いわゆる気の緩みというやつだろう。
「まずい、力入りすぎだ楓!」
先生が叫んだ頃には、時すでに遅し。本は一瞬にして、音もなく砕け散る――
同時に床がメキメキと音を立て、円形状に吹き飛んだ。
壊れた、というよりもなくなったという表現の方が正しいのか。なくなった床の下を覗くと、1階にある喫茶店のテーブルと椅子。驚いたお客さんが目に入る。
改めて、わたしはとんでもないことをしてしまったのだと自覚する。
「す、すみません! すみません!」
「いや、俺の計算ミスだ。出力の調整が甘かったか。いや、そもそも楓の……」
「不動くん?」
ふと下を見る。初老の白い髭を生やした男性。喫茶店のマスターさんがにっこりと、不気味さすら感じる笑みでこちらを覗いている。
「あ、えっと、これは……その」
「お客さんに被害はなかったよ。それより弁償はもちろん」
「今直すんで! このことは忘れてください!」
「は?」
先生が右手を振りかざす。すると、空いていたはずの床はみるみると円を小さくし、やがて元通りになってしまった。
一瞬の出来事。わたしも、きっと下にいるマスターさんもぽかんとした表情で床、もとい天井を眺めているだろう。
当の先生はというと、何事もなかったかのようにまた険しい表情を浮かべていた。
「今のも魔術、なんですか……?」
「一応な。一瞬だったし、爺さんも夢かなにかだと勘違いしてくれると助かるな。それより、問題はひとつだな」
「問題、ですか?」
わたしが持っていた杖を先生が取ると、それを――両手でへし折った。
丁寧に作られたはずのそれは簡単に、落ちていた木の枝を衝動的に折るかのような、そんな具合だった。
2つになったそれは床に投げ捨てられ、やがて灰が風に流されるように消えていった。
「この事件。おそらく楓は関わらない方がいい」
放たれた言葉は、わたしの中に深く突き刺さった。
重く、深い一撃だった。昨日からのわたしを否定されたようで。端的に言えば、悔しいの一言に尽きるのだろう。
気分は急転直下。崖から落ちた先に待つのは、不要という名の固い地面。
息が苦しい。胸が痛い。ズキズキと、血が滲むほどに。
嫌だ。いらないなんて、言われたくない。
追い込まれたわたしは、柄にもなく感情の昂りのまま、叫んだ。
「どうして……なんでわかってくれないんですか! こんなに頑張ってるのに、先生のために努力しているのに! 先生のためならなんだってできます。たとえ嫌なことでもできます。今まではわたしの知らないことだらけで、正直足手まといなんじゃないかって考えてたりもしました。だから、今回の事件こそ頑張ろうと思ってました。それくらい、わたしは先生が……」
言いかけた、しかしそれは先生のなにかに反応した動きによって止められた。
動いたのは先生の影。後ろに伸びる黒の像はぐにゃりと歪み、中から赤い眼光が現れる。
錯覚などではない、わたしには理解できない範疇のもの。魔術……しかし先生は驚いている。つまり先生のものではない……?
「いつの間に入ってやがった?」
「もうじきここにリカが来る。もう少し待て」
影はあろうことか、言葉を発した。
男性でも女性でもない。機械のような、それでもどこか生きた声。
聞いていて不快でもない、ただ違和感で形成されたようなものだった。
「リカ……てめぇ、万代の使い魔か!」
「やれやれ。気まぐれで外に出てみれば痴話喧嘩とは、随分呑気だねぇ、ミーズキッド?」
「げっ」
インターホンも押さずに入ってきたその人は、魔女だった。
いや、それは見た目の話で実際は判らない。ただ、この人はただの一般人ではないことが、初めて見たわたしでも勘付くことができた。
黒のマントはもちろん、如何にも私が魔女だといわんばかりのとんがり帽子。銀色の長髪に純白の肌。
そして、彼女は先生のことを『ミーズキッド』と呼んだ。
これが決定的な要因。この名前は、先生が異世界にいたときのもの。
つまり、彼女は知っているのだ。
「誰、ですか?」
「ふむ。そう問われるのは久しいな。そうさな、私は……影かな」