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始まりの報せ

「あれ。動かない……」

「どうした楓。心臓でも止まったか?」


 先生、不動ふどう瑞樹みずきのくだらないボケをジト目で睨み返し、持ち込んだ赤のノートパソコンの画面を見せる。

 来週の授業にグループでの発表があり、わたし、伊勢谷いせやかえではその発表資料をつくる係を任された。

 特別文章に自信があるわけではないが、人前に出るよりはまし。というのがこの経緯である。

 先生はふむ、と顎を擦って眺めていたかと思えば、おもむろにわたしのパソコンを奪い取り、操作を始める。


「ちょっと、勝手に触らないでくださいよ! ちゃんと許可ってものをですね?!」

「ほれ、これでいいんだろ?」

「あ、そう、ですね……ありがとうございます」


 先生は異世界からやってきた人間。それも科学という概念のない、それとは似て非なる魔術が生活の基礎となっていた世界。

 すると、先生は現代技術、例えばパソコンやスマートフォンには弱い、というイメージを抱くだろう。実際にわたしもそうだと思っていた。


 しかし忘れてはいけない。彼は異世界では過去1、2を争う天才。さらにこの世界の滞在歴は10年。

 何が言いたいかは察してほしい。

 現に彼は最新のスマートフォンを持ち、自作したパソコンを操作しつつわたしにも解らないミスを即座に見抜いて解決してみせた。

 真の天才とは、触れたものすべてを吸収して自分のものにできる学習能力がある人だと知った。


「わたし、人間性以外で先生に勝てる気がしないです」

「人間性でしかマウントを取れないかわいそうな君にはお茶を淹れてもらおうかな?」

「……ふん。いいですよ、せいぜい社会的弱者のわたしに逆らう権利はありませんもの。ええそうですね」

「はぁ、拗ねるなよまったく。俺が悪うございました。これでいいですかお嬢様?」


 最近わかったこと。先生は拗ねられると途端に威勢が弱まり、罪悪感が生まれるらしい。

 しょうもない言い合いになれば、実質わたしの勝ちなのである。


「わかってくれればいいのです。それと、修正ありがとうございます」


 ニコリと、嫌みのない笑顔で答えてキッチンに向かう。

 先生が綺麗好きというのもあり、流しはいつもスッキリしており、水につけてあるだけの皿やコップは未だ見たことがない。

 いつも机は片付いているし、授業のレポートはすべてデータで管理されているのでかさばらない。

 なのに、何故性格だけがああも曲がっているのだろう。ただの神経質なのだろうか。


「楓。今日は3杯分用意してくれ」

「誰か来るんですか?」

「ああ。今回は警察からの依頼だ。情報については……まあ、今更言うまでもないか」

「わかりました。準備しときますね」


 棚から客人用の白いマグカップを取り出し、先生と私の分も含めて3つ並べておく。


 そうこうしているうちに、来訪を知らせるインターホンが響く。

 足早に玄関に向かい、扉を開ける。

 目の前にいたのは、紺色のスーツに焦げ茶色のネクタイ。背は180を優位に超えており、肩幅の広い大男だった。

 30代前半くらいの固い顔つき。黒髪は短くワックスで固められており、非常に清潔感のある容姿。まるで刑事ドラマの硬派な主人公を連想した。


「やあお嬢ちゃん。君が楓ちゃんだね、瑞樹はいるかい?」


 発された渋い声とは裏腹に、至ってフランクな口調に驚く。なんというか、拍子抜けした。

 わたしの名前を知っていることから、それが先生との知り合いではないかと思う。

 ……友達とかではないはず。


「は、はい。先生なら中にいます」

「ありがとう。お邪魔するよ」


 靴を脱いで部屋に入っていく大きな背中を見つめる。

 ――反射的に、心の中でパパというあだ名をつけた。



 ☆



「久しぶりだな瑞樹。少し痩せたか?」

「お前がゴリラなだけだよ筋肉バカめ。また嫁さんに帰ってこないって小言が飛んでくるのはこっちなんだぞ?」

「いや、それに関してはだな……?」


 わたしは今、未知との遭遇をしてしまった。

 あの先生が、極端に友達の少ない先生が親しげに会話をしている。

 いつの間に夢の中に入ってしまったのだろう。いや、夢でなければわたしの脳内で整理がつかない。


「おい楓。今失礼なこと考えてなかったか?」


 2人は不思議そうな視線を送ってくるが、なんでもないと全力で首を横に振る。

 すると、客人のパパ……刑事さんらしき男の人が、思い出したように言った。


「そういえば自己紹介がまだだったね。僕は秋山あきやま英雄ひでお、今は刑事をしている。瑞樹とは古い付き合いだ」

「えっ、でも先生って……」


 そちらを見ると、案の定先生は全力で口を塞ごうと熱い視線を送っていた。

 ようやくファンタジックな知識がついてきたわたしが察するに、彼の記憶に何らかの細工を仕掛けたのであろう。

 そんなことをするのもどうかと思うが、それができる先生もまた恐ろしい。


 そんな茶番なら永遠に付き合ってくれる先生だが――今は仕事中だからか、それら一切を広げずに話を始めた。


「で、今回の案件は?」

「ああ。これは今日のニュースで報道されたんだが、知ってるか?」


 出されたのは今朝の新聞記事。表紙一面とはいかないが、左隅に特集されている記事を指さす。

 その言葉に、わたしは覚えがあった。


「SNSで見ました。確か駅前で死体が見つかったって」

「今は情報規制でそうなっている。この写真を見てほしいんだが……楓ちゃんは、見ない方がいい」


 至って真面目な表情で、秋山さんはわたしに念を押す。

 しかし、今現在からわたしもこの事件に関与することを決めたのだ。今更怯えて逃げることなどできない。


「いえ、見ます。わたしも先生の助手ですから」

「だってよ瑞樹、勇敢な助手がいてよかったな」

「こいつはただ脳みそが足りねえだけだ。もったいぶらずに見せろ」


 秋山さんがちらつかせていた写真を先生は強引に奪い取る。わたしはその隣に並び、背伸びをして覗き込む。

 ……これは、なんだ……? 粉々になった、なにかが――

 それは、一度写真かどうかを疑う、それこそ一つの芸術のような……けれど、そこには確かに人の遺体があった。見れば見るほど残酷な、眩暈めまいがしてくる。

 わたしは耐えきれずに目を離して、口を抑えた。


「うっ、これ、って」

「だから注意されたんだろ。しかしこりゃ、随分と派手にやったなぁ」

「瑞樹はどう見る? 例のアレが関わっていると?」


 例のアレとは、先生の専売特許。いわゆる魔術関連。

 秋山さんがそれについてどこまで知っているかはわからないが、訪ねてきた理由は間違いなくそれだ。

 先生は顔をしかめるでもなく、まじまじと例の写真を眺めている。

 こういった事件にいくつも関わっていた人だ。やはり耐性があるのだろう。


「一応聞いとくが、周辺で異音があったとかは?」

「まったく。最寄りのコンビニ店員にも聞いたがそんなものは聞こえなかったらしい」

「だろうな。となると……ふむ、俺も個人で調べなきゃいけないことがあるな。ちょっと出かけてくる」

「わたしも行きます!」

「いや、今回は楓は来れない」


 いつになくきっぱりと断られる。しかし、こういったことは今回が初めてではない。

 初めてそう言われたときは私も食いかかった。だが先生はこう言った。


『一般人の知っていいものではない』


 先生はこの世界の人間ではない。どうやってこの世界に溶け込んだのかすら、わたしは知らない。

 こうして頑なにわたしに見せないそれは何なのか。仮にこの世界にも、魔術があるとしたら……?


 わたしと先生は同じ世界に生きている。はずなのに、いつも見えているものが違うような気がする。

 ときどき、先生の背中がずっと遠くにあるような気持ちになってしまうのだ。


「わかりました。じゃあ、今日はもう帰りますね」

「駅まで送る。英雄は?」

「俺は車だ。またわかったことがあったら連絡を頼む」


 秋山さんは近くのパーキングから車を走らせて帰っていく。

 わたしもまた、先生に見送られて駅の改札を通って電車に乗った。


 流れていく景色をぼんやりと眺めながら、さきほどの写真を思い出す。

 きっと、今回もわたしたちの常識の外で起こった事件なのだろう。けれど、はたしてそれだけだろうか。

 わたしには先生ほどの知識も経験もない。けれど、これだけは確信できた。


 この事件は、わたしが思っているよりも深く、複雑なものなのだろう、と。

 何の確証もないが、全身がそう感じ取っていた。

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