第一話
「うち、いまは誰とも考えられへんわ」
彼女は心にしまい込んだ悲しい何かを、その年齢よりも常に幼く見られる顔に宿し、
さっきから数分間向かい合っている少年がかろうじて聞こえるほどのかぼそい声で言った。
例年よりも真夏日が十日以上多かった記録的な暑い夏はようやく終わりを告げ、
少し肌寒い夕暮れの風がJRと私鉄の乗換口に立つ二人の間を流れていた。
秋良は、困ったようにその場に佇んでいる彼女の悲しそうな笑顔を見つめ、
やっぱり言わんかったら良かった、と悔やみながら、次に発言するのは当然自分で
なければならないことは理解していたものの、このような時に次に何を話せばいいのか
分からないまま数秒間、彼にとってはとてつもない長い時間の後、
「そっか、ほなしゃあないやんね。ごめんな、急にこんなん言われたら、あせるやんね。
全然気にしやんといてな、いままでどおりでほんまに。ほんなら気付けて帰って」
所在無げに立ち尽くしている彼女に向かって一気に話し終えた。
「うん、あの―」
「あ、電車来てるし、早よ行ったほうが良いよ。ほなまた明日な」
二人の間に流れる重苦しい空気を予想していたかのように、
グッドタイミンで滑り込んできた私鉄電車に彼女を向かわせ、
急ぎ足で階段を降りていくその後姿を秋良はぼんやりと見送っていた。
「今日しか無いやろ、今日以外にいつがあんねん」
「せやで、秋良、いつになったら言うねん」
授業の終わりとともに始まるサッカー部の放課後練習に疲れた彼らは、
時代から取り残されたようにビルの谷間で営業している駄菓子屋の前で、
一斉に秋良に話しかけていた。
「そんな簡単に言うなよ、人ごとやと思いやがって」
秋良は盛り上がっている友人達には聞こえない小さな声で呟き、
スポーツドリンクを一口飲んで、アイスをがぶりとかじった。
「葵子も絶対お前のこと好きやって」
ものごとは時には悪い方向に進むという概念を、母親のお腹の中に忘れてきたのではと
思わせるぐらい人一倍楽天的なキャプテンの由斗が言う。
「おまえは、何を根拠にそういうことが言えんの?」
自分の知らない何か良い情報を持っているかもしれないと、
微かな期待を抱きながら、秋良は聞き返した。
「こいつに聞いても無駄やろ、なんとなく、とかそんな答えしか帰ってこんぞ、
恋愛とかそっちの方面にはアンテナが一切張られてないから」
高校二年になってから同じクラスになり、授業中はお互い勉強に励んでいるというよりは、
寝ているか、漫画を回し読みしていることが多い比呂が言った。
「お前やったらいけるんちゃう、俺もなんとなくやねんけどな」
秋良と家が近く、最寄り駅から毎日一緒に学校へ通う、慎重派というよりは
どちらかと言うとお調子ものの駿が続く。
「俺の誕生日やし、ダブルでお祝いやな。ケジメつけといた方が良いし、結果は二の次やで」
駿とともに秋良と家が近いため、自転車でお互いの家をよく行き来しあう、
何事につけてもケジメをつけたがる篤志もよく分からない理由で励ました。
「何の後押しにもならへんわ」と、残っているスポーツドリンクを飲み干し、
アイスをかじった瞬間、秋良が言った。
「あ、アイス当たってる」
『暑かった夏を思い出させるコンテスト』なる大会があれば、
間違いなく入賞するであろう彼らの日に焼けた黒い顔は一斉に秋良に向けられ、
「ほらな、今日しか無いって」と声を揃えた。
誰もがその店構えに相応しいと感じる駄菓子屋のおばちゃんは、
飼っている三毛猫を抱きながら、少年たちを優しく見つめていた。
アイスが当たったことに関しては、少し複雑そうに。