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4.贈り物をあなたに


 翌日の朝、マリアは久しぶりに朝食に同席していた。

 伯母の作ってくれたスープの味が舌いっぱいに広がっていく。お菓子を食べるときのような楽しさが蘇った。ここしばらくは必要ないとさえ思っていた食事も、こうして食べてみればいい気分転換になる。それに、家族一緒に食卓について話をする時間も貴重だった。

 食事が終わり、従兄弟たちが席を立つのを見届けると、マリアは伯父と伯母、そして祖母に話を切り出した。


「あのね、わたし、読書をしたらお腹が空かなくなるの」


 その言葉に、伯父と伯母もそれぞれ頷いた。


「本を読み続けたら、魔法も成功するの。最近は失敗しないことが多くなったよ」


 すると、伯父が微笑みながら言った。


「マリアも立派な魔女になり始めたっていうことだね」


 しかし、その表情は飽く迄も子どもに対してのものだ。そう感じたマリアは、少しだけ不満を感じつつ言った。


「ねえ、わたし、立派な魔女になったらこの家を出てもいいんだよね。お母さんを探しに行ってもいいんだよね?」

「勿論そうだよ。教本にある魔法をぜんぶ使いこなして、さらに世の中のことを色々と知ることが出来たら、独り立ちしても大丈夫だ」


 伯父の言葉にマリアはやや俯いた。言い出しづらい。しかし、今日を逃せば時間がなくなってしまう。だから、マリアは勇気を出して訴えたのだった。


「わたし、たくさん本を読んだわ。魔法もいっぱい覚えたし、世の中について書かれた本もいっぱい読んだ。だから、もう外に出ても――この家を出て行っても大丈夫なんじゃないかって思うの」


 マリアの言葉に伯父も伯母も驚いた顔をした。祖母だけは表情を変えず、じっと見守っている。マリアはどきどきしながら伯父と伯母の反応を待った。やがて、先に口を開いたのは伯母だった。


「マリアちゃん、気持ちは分かるわ。伯母さんもマリアちゃんくらいの年の頃は大人になったつもりだったもの。でもね、大人になるにはもっともっとたくさん、知らないといけないことがあるのよ」

「そうだよ、マリア」


 伯父もまた口を開いた。


「お祖父ちゃんは立派な魔法使いだったんだ。それでも〈赤い花〉だったから悪い大人に殺されてしまった。マリアのお父さんとお母さんもすぐに帰って来るはずだったのに、どうしているか分からない。世界は美しく、温かな人の心で満ち溢れているけれど、怖い側面もあるんだ。とくに〈赤い花〉の人にとってはね。マリアが立派な魔女になるには、魔法を使えるだけじゃダメなんだ」

「いっぱい読んだわ。世間について書かれた本も」

「今まで読んできた本だけではいけないよ。マリア、よく聞きなさい。教本の隅々まで正しく理解できたかい? 世の中に悪い大人はたくさんいるが、その見分け方がマリアには分かるかい?」


 伯父の問いかけに、マリアは答えられなかった。俯いてもじもじとする彼女に、伯母もまた声をかける。


「マリアちゃん、伯母さんはね、あなたのことを本当の娘のように愛しているわ。おいしいご飯を食べて無邪気に喜んだあなたの笑顔、少しずつ大きくなっていくあなたの姿。我が子のように愛したあなたが外で悪い大人に捕まってしまったらって思うと伯母さんは、怖くて仕方がないの」


 そう言って伯母は涙ぐんだ。その表情に、マリアは呆気にとられてしまった。


「今のわたしはまだまだ子どもなの?」


 純粋に問いかける彼女に対し、今度はずっと黙っていた祖母が口を開いた。


「マリアはいま、立派な魔女になる階段を一段登ったところだよ」


 その微笑みはマリアにとって暖炉の火のように温かいものだった。


「階段はまだまだ続いている。何があったかはお祖母ちゃんには分からないけれどね、焦ってはいけないよ。ゆっくりと時間をかけて立派な魔女におなりなさい。そうすれば、魔法がマリアの望む道まで誘ってくれるはずだよ」


 優しい祖母の語り掛けに、マリアは俯いて、おずおずと頷いた。

 もしも今すぐに旅立てたら、あの少年と一緒に隣町へと行きたかった。けれど、今のマリアには無謀なことだ。少年もまた子ども。マリアもまだ子ども。子ども同士ではどうにもならないことがある。

 ならば、今できることは何か。マリアは必死に考え、そして、思い立ったのだった。


「分かった。わたし、もっともっと本を読む」


 立派な魔女になるために。


「もっと本を読んで、立派な魔女になって、皆を安心させてからお家を出る」


 ミルクの入ったコップを握る小さな手に力がこもった。まだまだ成長途中のマリアでも、決意は大人に負けない輝きがあった。そんなマリアの様子に、三人の大人たちは互いに顔を見合わせ、そして微笑みを浮かべた。


「頑張るんだよ、マリア」

「伯母さん、応援しているわ」

「時々、お祖母ちゃんにもマリアの魔法を見せておくれ」


 そんな家族の温かさがくすぐったくて、マリアは寂しさの反面、照れ笑いを浮かべていた。

 大人たちとの話を終えてマリアは屋根裏へと戻っていった。さっそく本を読み始めるも間もなく、従兄弟たちが駆け上がってきたのだった。


「マリア、ねえ、マリア!」


 真っ先に駆け上がってきた兄と、その後ろから控えめに覗いてくる弟。

 兄弟ともども心配そうな表情でマリアを見つめている。


「どうしたの、そんな顔をして」

「聞いたよ、マリア。お家を出ちゃうの?」


 弟の方が寂しそうに訊ねてきた。マリアは笑いながら答える。


「まだまだ先の事よ」


 すると、兄弟そろって「なんだ」とホッとした様子でため息を吐いたのだった。


「マリアが家を出るって言っていたから、てっきり今日明日にでも出て行っちゃうんだと思ったよ」

「兄ちゃんのあわてんぼう」


 安心した様子を見せ、だがすぐに兄弟ともども窺うようにマリアを見つめた。


「ねえ、どうして家を出たいの? やっぱりここは退屈? 外に出られるようになったら、俺たちが町を案内してあげるのに」

「それまでだってボクたちが外のお話いっぱいするよ。それだと退屈?」


 従兄弟の心配そうな様子に、マリアは慌てて首を振った。


「違うの。二人のお話はとても好きだよ。楽しいし、憧れる。町の案内もいつかしてほしいって思う。……ただ、ちょっと焦っちゃっただけ」


 どうして焦ったのかを思い出せば、涙が出てきそうだった。従兄弟たちから視線をそらし、マリアは続ける。


「これからもゆっくり勉強して、大人を目指すわ。外に出られるようになるまで、素敵なお話を聞かせてね。いつでも旅立てるようになったら、その時は、二人に町を案内してほしいな」


 マリアは窓の外を見つめながらそう言った。


 そうだ。しばらくの間、頭の中は少年の事でいっぱいだった。

 けれど、この家には家族がいる。祖母も、伯父も伯母も、従兄弟たちも、みんな優しくて好きだ。魔女であるマリアと人間である家族たちの時間は少し違っている。長い目で見れば、一緒に居られる時間はきっと短いはずなのだ。

 焦ることはない。ゆっくりと時間をかけたっていい。


 ――会えるに決まっている!


 強く主張していた昨夜の少年の事を思い出して、マリアは勇気を貰った。焦って一緒に旅立たなくても、立派な魔女になってからきっとまた会える。彼らを探し出して、再会の喜びを分かち合う事ができるはず。


 だから、それまでの時間を大切にしなくては。

 今日、そして、明日、出会える時間を大事にしなくては。

 マリアは静かに、そして強く、そう思った。



 本を読んでいるうちに時間は過ぎていった。

 今宵、少年に見せる魔術は決まっていた。糸を呼び出す魔術を応用して猫と少女の絵を描くのだ。きらきらと輝いて美しい。きっと彼も喜んでくれるはず。何度も何度も練習して、魔力の消費を感じるたびに本を読み始めた。


 そして、日が暮れてからはひたすら読書に没頭する。さまざまな人が、さまざまな思想で、さまざまな世界を描いている。その空気に浸り、文字と文字の織り成す芸術的な表現に時折はまり、分かっていながら何度も何度も同じ場所を読み返すこともあった。そうやって、時折、左胸に手を当てて、マリアは感じていた。


 魔力の集まりを感じる。本を読んで、その世界に浸っただけ、魔力は溜まっていった。魔術の練習をしなくていいか。少しだけそわそわしながらも、マリアは本を読み続けた。出来る限り万全な状態で少年を待ちたかったからだ。


 少年がやってくる時刻が迫る中、マリアは幻想小説を手に取っていた。

 昔から伝わる神話を元にした小説である。〈赤い花〉の魔女が活躍する冒険譚。あらゆる困難を魔法で回避し、立ち向かい、そして様々な世界を目にする彼女に、マリアは憧れていた。

 その中で、主人公が猫人間の旅芸人集団と出会うくだりを目にして、マリアはときめいた。少年もこの人たちのように旅をしてまわっているのかもしれない。ならば、マリアも立派な魔女になれば、主人公のように彼らと出会えるのではないか。


 未来への期待とちょっとした不安にどきどきしていたマリアは、ふと窓の外を眺めた。真っ暗な夜。その景色だけでは時刻も分からない。だが、時計を見ずとも感覚で分かった。そろそろあの少年が来る頃のはずだ。

 マリアは息を吐いて、ランプを消した。そして指先に集中すると、小さな光を飛ばした。溜まりに溜まった魔力の消費を極力抑えて生み出したその光は、ふわふわと飛び回って屋根裏のあちらこちらを照らしていく。妖精のようなその輝きが弱まるのを見届けてから、マリアは再び灯りを付けた。

 すると、いつもの“あの場所”に、少年の影が現れていた。


「綺麗だったね」


 感嘆の声と共に少年はそう言った。


「まるで本物の妖精のようだったよ。やっぱり魔法っていいなあ。ボクも使えたらよかったのに」

「自由にねこになれるのもすごいよ」


 褒められて嬉しく感じながらもマリアはそう言った。すると、少年は照れ臭そうに笑い、そしてひょいと宙返りをして猫の姿へと変わった。そのまま床に座り込み、マリアを見つめる。影としてしか見えなくても、いまや触れられそうなくらいの存在感があった。


「嬉しいなあ。ボクの家族の中だと当たり前だもの。当たり前のことでも、褒めてもらえると嬉しい!」

「わたしもあなたに魔法を喜んでもらえると嬉しい。ねえ、見ていて。今日はもう一つ、練習した魔法があるの」


 マリアはさっそく手を空中へと翳した。


 前は失敗した糸を紡ぐ魔法も、今ではすんなりと成功させられる。だが、糸を呼び出すだけではいけない。どんな模様を描くのか。今まで読んだあらゆる美しい世界のイメージを重ね、そして、愛おしい猫の少年と自分自身の姿を重ねる。

 そうして、マリアは紡いだ糸で絵を描き始めた。マリアの思い浮かべるさまざまな色が糸を彩っていく。そして織物は生まれた。幻想的な色鮮やかな世界で、猫と少女が語り合う。美しい絵画は小さなタペストリーとなって宙に浮いていた。本で読んだ指揮者の動きを真似して、マリアは完成したタペストリーを引き寄せると、手に取って少年へと向けた。

 猫になった少年は、耳をぴんと立ててタペストリーを眺めていた。凝視したまましばし息を飲み、そして、両手を叩いたのだった。


「すごい! すごいね! そんなものまで作れるなんて!」


 マリアはほっとして、少年の影に近づいた。影の前にタペストリーを置くと、小さな声で囁いた。


「あげる。わたしとあなたの友達の証」

「え、いいの? ボクが貰っても」

「うん」

「ありがとう……ごめん、ちょっと後ろを向いていてくれる?」

「後ろ?」

「そう。影から出て受け取るの。ごめんね。ばっちゃんがどうしても姿を見られちゃダメっていうから」

「あ、そっか」


 マリアはくるりと後ろを向いた。後ろではふわりと風が舞い、そしてごそごそと音がする。背後が気になって仕方がないマリアだったが、少年を困らせるのは嫌だったので、振り返らずに耐えていた。

 やがて、少年の声がかかった。


「もういいよ」


 振り返ると、そこにはいつもの少年の影があった。タペストリーもまた影になって少年の腕におさまっている。どうやら無事に受け取って貰えたらしい。


「大切にしてくれる?」

「勿論だよ。ボク、家族以外の人からプレゼントを貰ったの、初めてなんだ」


 嬉しそうに笑ったちょうどその時、あの鐘の音が聞こえてきたのだった。


「あ……」


 マリアはぼんやりと呟き、外を眺めた。時間はどうして止まらないのだろう。今日という貴重な日の終わりを実感し、マリアは切ない気持ちになっていた。

 少年もまた同じ方角を見つめていた。そして、寂しそうに呟いた。


「時間が来ちゃったね」


 だが、すぐに明るい声を取り戻す。


「明日はちょっと早く来るよ! 約束する。なんたって明日は……お別れだし……」

「待っているわ。きっと来てね」

「もちろん! 明日、また会おう」

「うん」


 そうして、マリアにとって貴重な一日は、また過ぎてしまった。

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