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3.だからマリアは本を読む


 翌日より、マリアはさらに本を読んだ。読んで、読んで、読みまくった。そして時折、教本を開いて、今まで試したこともないような難しい魔術に挑戦した。

 昨日失敗した蜘蛛の糸を生み出す魔法に成功し、自信をつけると今度はその糸を操って美しい模様を描き始めた。まるで自分自身が蜘蛛の魔物になったかのように、透明に近い糸を使って絵画を描いたのだ。

 満足するまで没頭すると、魔力が足りなくなっていく。そうすると、マリアは再び本を読み始めた。難しそうだと諦めていた本、もっと小さな頃に夢中になった本、何度も何度も読み返した本、忘れていた本、あらゆる本の頁をめくり、気分を高揚させていった。


 しかし、そんなマリアに声をかけてくる者がいた。従兄である。


「マリア、ご飯……」

「今日は食べたくないの」


 朝食も、昼食も、食べている時間が惜しかった。従兄弟たちが呼びに来て、さらに伯母が心配して様子を見に来ても、マリアは読書と魔術の練習ばかりしていた。昼食のために帰ってきた伯父も、マリアの話を聞いて心配して屋根裏に様子を見に行った。それでも、マリアは食事をとらなかった。

 太陽の昇る時刻は読書と魔術を繰り返し、太陽の沈んだ後は覚えた魔術を猫の少年に披露する。今まで以上に単調な生活になったが、それでも少年が無邪気に笑ったり、感心したりするだけでマリアの心は晴れやかだった。


 そんな日が一日、二日と続くと、家族の心配はさらに増していった。なんとしてでもマリアに食事を与えなければ。そんな使命と共に、伯父と伯母はマリアに何度も話しかけた。しかし、マリアは本を読み続け、魔術の練習をするばかりだ。マリアの頭の中には少年のことばかりが浮かんでいて、まともな食事をとろうとしない。そんなマリアに伯父たちは困り果てていた。


 ただマリアの祖母だけはマリアの様子を不思議がらなかった。マリアの話を伯母や従兄弟たちから聞いても、ただただ寂しそうな表情で呟いたのだ。


「子どもが大きくなるのは早いわねぇ」


 マリアはちっともお腹が空かなかった。読書をして、魔法を使う。その繰り返しで、新しい魔術をいくつも覚え、少年を飽きさせないように努力し続けた。彼が笑ってくれるのが嬉しい。だから、マリアは本を読み続けた。

 読書は楽しい。何度読んでも世界に夢中になる。夢中になっただけ新しい魔術に挑戦できる。基本一つを身に着けるだけでも、工夫して楽しむことができる。本で思い描いたイメージを再現することができる。そして、その芸当で少年を楽しませることができる。


 少年が会いに来てくれるようになってから、マリアは生きることが楽しくなっていた。

 限られた時間ではあっても、少年は色々なことを教えてくれる。外の世界の事、魔物の世界の事、夜の世界の事、家族のとりとめもない話、猫の目で見た世の中のこと、そしてマリアの魔術に対する感想。

 それでも、少年の名前だけはまだ知らなかった。だから、マリアも彼に名乗っていない。彼が知りたがろうとしないから、名乗る機会が失われたままだった。


 ――いつか、彼と本当の友達になりたい。


 マリアが食事をとらなくなって五日目。本を読みながらそう思うようになっていた。

 家族はマリアが食事をとらなくても健康でいることを不思議がり、祖母はいよいよマリアの成長を実感していた。


<成長した魔女は食事をとらない。魔女の性が食事そのものであるからだ。>


 見習い魔女のための教本を読み進めていたマリアは、ある時、その記述を見つけた。食事を食べなければ死んでしまう。これまでマリアはそう信じていた。実際、これまでは食べないでいるとお腹が空いたものだった。


 ――じゃあ、わたしの食事は読書なの?


 不思議に思ったマリアは、本を閉じて屋根裏をおりて、祖母を探しに行った。

 これまでも時々、祖母に話を聞きに行くことはあった。彼女はマリアの母の幼い頃を知っている。魔女の成長について、その目で見てきた人なのだ。


「お祖母ちゃん、あのね」

「なんだい、マリア」

「わたし、本を読むのが好きなの」

「よく知っているよ」

「本を読んでいると、魔法が使えるの。本を読んでいると、お腹も空かないの」


 訴えると、祖母はマリアの顔をじっと見つめた。


「マリア、顔をお見せ。ああ、大きくなったね。最近のマリアは、昔のお母さんにそっくりだよ。いつまでもちびっ子だと思っていたけれど、いつの間にか立派な魔女になる階段を登り始めていたんだね」


 ――立派な魔女になるために。


 それだけを目指していた日々を思い出し、マリアは息を飲んだ。もうすぐ、自分は立派な魔女になる。そうしたら、この家を出ることができるのだ。外に出たら何をしたかったか。昔は、両親を探すことばかりを考えていた。けれど、今はどうだろう。幼い頃に別れたきりの母親が恋しいのは今も同じだ。記憶の片隅で笑っていた父親にも会いたい。でも、それだけではない。毎夜、遊びに来てくれるあの少年の世界にマリアは憧れていたのだ。


「お祖母ちゃん、わたし、立派な魔女になったら家を出たいの」


 逸る気持ちを抑えてそう語り掛けると、祖母は寂しそうな顔で笑った。


「そうかい。それならもっともっと本を読まないとね。〈赤い花〉にとって外は怖い世界だよ。でも、力をつければ面白い世界でもあるんだ。あと少し、本を読み続けて、たくさん魔法を覚えるんだよ。頑張りなさい」

「うん!」


 マリアはすぐに屋根裏へとあがった。そして、また本を読み始めた。何度も読んだ本、ずっと避けていた本、難しそうな本、子ども向けの本、あらゆる本を読み続けた。だが、これまでとは少しだけ気持ちが違った。

 外に出る日は遠くない。それが家族との永劫の別れになるのだとすれば、やはり寂しい気持ちは強い。けれど、それよりも外への憧れの方が強く、大きいのだ。


 立派な魔女になる日が見えてきた。実際に外に出て、自分の足で歩いて、本の登場人物のように世界を見て回りたい。そして、あの少年の話してくれた世界を少しでも感じてみたい。

 憧れは強まる一方で、マリアはたまらなくなっていた。



 夜鳥の鳴く声が響く中、マリアは静かに本を読んでいた。そろそろまたあの少年がやってくる時間のはずだ。今日はなんの魔法を見せてあげようか。少年の方は相変わらず猫になるだけだが、そんなやり取りであってもマリアにとっては貴重な時間だった。


 少年が来て話してくれる。それだけでいい。それだけでも楽しい。


 わくわくしてどうしようもないこの気持ちが何なのか、マリアにはよく分からなかった。ただ、本には時々書いてある。恋をする少女の揺れ動く思いが丁寧に書かれていることがある。少年と初めて出会った夜に読んだあの本だけではない。紙に刻まれた文字の世界で、あらゆる女の子がそれぞれの恋をする。


 ――じゃあ、これは恋なのかしら。


 マリアはふと思い、そして急に恥ずかしくなった。自分は何を考えているのだろう。ただ珍しいお友達が出来そうでわくわくしているだけなのに。そう思いつつも、マリアは将来の事を考えるたびにあの少年についてもっと詳しく知りたくなっていた。


 どこに住んでいるのか。家族はどんな人たちなのか。名前は何というのか。


 いかに立派な魔女になったとしても、猫人間たちの輪に自分が加わっていいのか、マリアにはよく分からない。それでも、力ある魔女だったら彼を探してもっと知ることも出来るのではないか。

 別に嫌がらせをしたいわけではない。もっと歩み寄って、お互いの事を知りたいのだ。

 ぼんやりと考え続けていると、ランプの灯りが揺らいだ。気配を感じてはっと振り返ると、いつもの“あの場所”に少年の影が現れていた。


「いらっしゃい。来ていたのね」

「うん!」


 少年は座り込んで、マリアをじっと見つめている。


「なんだか考え事をしていたね。今日の魔法について?」

「うん……それと、将来の事について」

「将来?」

「そう。わたし、立派な魔女になれたらこの家を出るの」

「そうなんだ。それで、何処に行くの?」

「お父さんとお母さんを探すの。それと、世界を知りたい。いろいろな世界を知ってみたいの。……あなたの知る世界も知ってみたい」

「あは、そりゃいいね。君が立派な魔女になったら、ぜひともボクたちのお祭りに参加するといいよ」


 明るい声で言われ、マリアは驚いて問い返した。


「魔女が参加してもいいの?」

「もちろんだよ。ボクたちのお祭りにはね、魔女も参加することがあるよ。男の人が来ることもあるけれど、ほとんどは魔女かな。君が立派な魔女になったら、ボクが色々と案内してあげる。……ただ」

「ただ?」

「そのお祭りの場所は君自身が見つけてくれないとダメなんだ。案内してあげたいけれど、それはダメなんだって。自分の足でたどり着いた魔女しか参加しちゃいけない決まりなんだ」

「そうなんだ」


 マリアは少しだけ寂しくなった。どんなに仲良くなっても、少年との間にはいくつもの壁があるのだ。それでも、気を強く保たなければと思い直した。

 立派な魔女ならたどり着けるはずなのだ。自分の足でたどり着ける。色々な魔女が参加しているのならば、マリアにだって出来るはず。それに、マリアの母だって行ったことがあるかもしれない。


「ねえ、あなた達の世界では、魔女も一緒に暮らしていたりするの?」

「うん、するよ。優秀な魔女が薬を売ってくれる。それだけでボクたちは大助かりだもの」


 少年は無邪気に答え、そして付け加えた。


「でも、実はボク、その人たちの事あんまりよく知らないんだ。ボクの家族は……その……旅をする一族だから――」


 そう言って少年は口ごもってしまった。


「旅?」


 マリアは驚いた。

 旅をする一族だから。その意味がじわじわと心に沁みていく。少年の影は俯いている。表情は一切分からなくても、寂しそうにしている様子は伝わった。旅をするということは一か所に留まらないということだ。


「あなたも旅をするの?」


 訊ねるマリアに少年は黙ったまま頷く。そして目元を腕でぐっと拭い、答える声は少しだけ震えていた。


「皆がそうって言うわけじゃないよ。でもボクたちの一族は季節ごとに色々な世界を回っていくことになっているの。先祖代々の掟で、季節の風に従って各地の聖地を巡っていかなくちゃいけないの」

「じゃあ……この町もいつか去ってしまうの?」


 呆然とマリアは訊ねた。

 少年が遊びに来て、魔法を見せて。そんな日々がずっと続くものだと心の何処かで何故か思い込んでいたからだ。もちろん、そうではないということも分かっているはずだった。しかし、そうではないにしても、こんなにも早く別れの匂いが漂ってくるなんて思いもしなかったのだ。


 季節の移り変わりは早い。まだまだ子どものマリアであっても、いつまでも長いわけではない。気づけば春はもう終わりに近づいている。


「夏には隣町に行って、秋にはさらに隣町へ行くの。そうしてどんどん隣国へと向かっていくんだ。この町にまた来るのはいつだろうね。もしかしたらもう君はいないかもしれないね」

「……そんな。い、いつ旅立つの?」

「明々後日の朝」


 片手で数えるほどしかない。あまりの寂しさに、マリアもまた涙を流しそうになった。そんな彼女に少年は言った。


「でも、きっと大丈夫だよ。君は立派な魔女になるんでしょう? 旅をするボクたちのところにも、いろんな人が訪れるんだよ。各地でお祭りに参加しているとね、家族の知り合いが訪ねてくるの。それに、ボクもいつかは大人になる。大人になったら、自分の意思で決められる。巡礼を続けるか、別の旅に出るか、何処かの街に留まるか」

「大人になったら……」

「君と一緒だね。この家を出て新しい世界に行ける。ボクが立派な大人になるのがいつかは分からない。でも、大人になったら、ばっちゃんの言いつけを守るんじゃなくて、ボク自身の考えで君の仲間にだってなれる」


 心強い言葉が、マリアの胸を打った。


「……でも、お互い大人になった時に、また会えるかな」

「会えるよ!」


 少年が叫んだ時、遠くで鐘の音が鳴った。いつの間にか、深夜の鐘の時刻となっていたのだ。いつの時も、彼はこの鐘が鳴ると帰っていく。そのたびに、マリアは明日が来るのを待ち遠しく思っていた。

 けれど、それももうすぐ終わってしまうのだ。その事実はマリアにとって認めたくないほどのものだった。


 それでも、少年は明るく、強い声で主張する。


「会えるに決まっているさ。だから、心配しないで!」


 そのはっきりとした言葉に、マリアは少しだけ勇気づけられた。いつもと同じ回数だけ、鐘の音が鳴って静まり返る。そんな外の様子を窺いながら、少年は言った。


「ごめんね。もう帰らなくちゃ。明日はよかったら魔法を見せて」

「うん、わかった。とびっきりの魔法を練習しておくから」

「よかった。楽しみにしている。ばいばい」


 そして、今宵も少年は去っていった。

 あと少しで、季節が変わる。マリアは外を眺めながら、しばらく茫然としていた。

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