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2.彼に喜んでほしいから


 翌日もまた、屋根裏でマリアは読書をしていた。外では雨がしとしと降っている。いつもは賑やかな公園の声も聞こえず、また、塵が降る気配もない。

 こういった薄暗い雨の日には、濡れるのが好きな魔物や魔族は傘もささずに踊るというが、屋根裏で生活するようになってマリアは一度も彼らの姿を目撃したことがなかった。誰かが空想で書いたような世界はなかなか目撃できないものなのだと、屋根裏生活の長いマリアはもうすでに知っていた。


 それでも、今日日きょうびのマリアは執拗に窓の外を眺めてしまった。探しているのはただの魔物たちではない。昨日、話しかけてきた少年に似た人物がいないかと期待してしまうのだ。何しろ、マリアが屋根裏で暮らし始めて以来、初めて出会った外の世界の子どもである。それも、魔物の血を引く子との交流は貴重なものだった。


 ――もっともっと話したいことがあったのに。


 驚いてばかりでちっとも話しかけられなかった昨日の自分を悔やみながら、マリアはランプの灯りを頼りに本を読み始める。今日読んでいるのは小説ではなく教本だった。マリアの母が子どもの頃に読んでいたものらしい。もともとの持ち主はマリアの祖父で、立派な魔法使いになるためにと師匠に譲られた本だとマリアは聞いている。

 昨日、少年を感心させた魔法もこの教本に書いてあった初歩的なものである。いつもはいきなり魔法を練習しようとして、成功したりしなかったりするマリアだったが、今日は少し意識が違った。


 もっと真面目に立派な魔女を目指すのだ。


 気持ちを新たに、これまで内容が難しそうだからと読まないでいた魔女たちの力の仕組みについての解説頁を開いたのだった。以前も読もうとしたマリアだったが、その時は書いてある言葉が難しすぎてよく分からなかった。

 だが、あらゆる本を読み、祖母に買ってもらった辞書を引き、それでも分からない言葉は祖母や伯母、学校に行っている従兄弟たちに訊ねにいったりしたマリアにはそれなりの知識がついていた。

 今ならば読める。自信をつけたマリアの目に飛び込んでくる文字列は、思っていた通り、以前と比べてだいぶ飲み込みやすいものだった。


<魔女は、生まれついての癖を持っている。ただの癖ではなく特異的なものだ。>


 本にはそう書いてあった。


<それらの癖は魔女のさがと呼ばれ、魔力を産む原動力となる。魔法を習得するには甚大な魔力が必要だ。すなわち、素晴らしき魔女になるには、己の性の正体を知り、それらを満たしてから魔術の訓練を繰り返すことが必要となる。>


「魔女の性……」


 読んだままの知識を口に出し、マリアは首を傾げた。書いてある言葉は分かるが、書いてある意味はよく分からない。それでも、なんとなくならマリアにも理解が出来た。つまり、立派な魔女になるためには、自分をよく知らなくてはいけないということだ。


「生まれついての癖か……」


 マリアは考え込んだ。自分の癖とは何だろう。いつもの生活を振り返りながら、マリアは考え続けた。特異的というのもよく分からない。変わった癖のことでいいのだろうか。疑問が疑問を呼び、マリアは教本の一文字一文字を目で追った。頁をめくり、舐め回すように読み続けても、疑問に答えてくれそうな内容は見当たらなかった。


 ため息を吐いて、マリアは教本を閉じた。そして、本棚から一緒に持ってきた別の本を開き始める。そちらは教本でも何でもなく、推理小説であった。架空の人物が架空の事件を解決に導く内容だ。町で有名な小説家が書いた新作で、伯父と伯母がマリアの誕生日のために買ってきてくれたものだった。


 知的で紳士的な探偵が犯人を追い詰めていく様は知的好奇心をくすぐるもので、残された数々の手がかりからマリアも主人公と一緒になってあれこれ考えた。そしてたまに本に栞を挟み、うんと背伸びをしながら惚けていた。紙に文字が印刷されているだけなのに、どうしてこんなにも面白いのだろう。

 わくわくした気持ちから覚めないうちに、ふとマリアは手のひらの感覚に気づいた。熱がこもっていて、とても温かい。血の巡りがいいというのだろうが、もっと別の何かが巡っているような気がした。たとえるなら、教本に書かれていた魔力のような。


 ――今なら出来るかも……。


 ふと思いつき、マリアは天井に向かって指をさした。

 ランプの灯りと、いつか窓から見た蝶々の姿を思い浮かべ、空中へと放つ。すると、淡い光が生まれ、蝶々の形となって舞い上がった。自由に飛び回り、ふわふわと揺れ、時折羽ばたきながら薄暗い屋根裏を照らしていく。自らの意思をもったような光の蝶々の姿に、マリアは満足した。

 もしかしたら、この魔術はいつでも使えるかもしれない。そんな自信が小さなマリアの心を高鳴らせた。そして、はっと気づいたのだった。


「もしかしてこれが、魔女の性?」


 答えてくれる師匠せんせいは何処にもいなかった。



 夕食後、マリアはすぐに屋根裏へとあがった。昼間の小さな発見が大きな進歩に繋がりそうだったからだ。雨はまだ降り続けているが、マリアの心は晴れやかなものだった。物語に浸り、文字列を漁り、そして思い浮かんだ魔術を試す。

 水滴も、光も、風も、今なら自在に操れそうだった。それなら火はどうだろう。ランプの灯りを見て試してみたくなったマリアだが、すぐにやめた。失敗したら大変だ。それはいつか伯母に頼んでかまどで練習させてもらった方がいい。

 ともあれ仕組みが分かれば魔法の練習は楽しいものだった。文字を読み、満足するまで楽しみ、気持ちが高揚するのを待てばいい。昨日まで成功するかどうかが奇跡だったことが嘘のように、マリアは次々に初歩的な魔法を成功させていった。


 これならあの少年を退屈させないで済む。また来てくれるだろうか。

 窓の外を眺めながら、マリアはふと感じていた。昨日、少年がやってきた時刻まであと少し。もう少ししたら、魔物たちの時間になる。それまでに、文字を読まなくては。

 本を読み続けながら、マリアは少年の現れそうな時刻をひたすら待った。


 きっと魔法を成功させるには物語がいい。空想でも、伝記でも、心が動かされるものを読むのがいいはずだ。そう思い、マリアは昨日読んでいた恋愛小説を再び読み始めた。少年と出会ったときに読んでいたものだ。すでに読み終わった物語ではあったが、彼を待つには相応しいと思ったからだ。


 そうして、初めは待つためだけに読んでいたマリアだったが、次第に恋物語の主人公の動向へと意識が向いていった。文字で綴られる丁寧な心理描写。主人公たち登場人物を取り巻く世界や、交わされる会話。言葉と言葉の連なる文字列が、わずかに入る挿絵と共にマリアの脳内で世界を生み出していった。目を閉じれば、その世界が目の前に広がるかのようだった。そんな感動に浸りながら、マリアはさらに恋の波に巻き込まれながら悩み、そして時には甘美さに酔いしれる主人公に寄り添った。

 何度読んでも楽しかった。読むたびに違う発見があったからだ。


 目の疲れを感じ、マリアは本を閉じた。

 ふとランプの灯りに目を移し、ぼんやりと考え込む。


 マリアは恋というものを本で知った。従兄弟たちをカッコいいと思ったことはあっても、本に書かれているような幸福な気持ちに満たされたことはない。その人と話すだけで、関わるだけ、ドキドキしてしまい、その人の仕草一つでがっかりしてしまうような気分など味わったことがなかった。


 けれど――。


 瞼を閉じかけながら、マリアは指先の温かさに気づいた。今なら何かが唱えられる。練習がてら、マリアは記憶している魔術の中から少しだけ難しそうなものを思い出そうとしていた。糸を生み出す魔法だ。蜘蛛の糸と呼ばれ、何かを縛る時に役に立ち、身を守る技にもなるらしい。

 だが気を付けなくてはいけない。糸は何かを切断することもある。自分の手を切ることもあるらしい。しかし、それよりもマリアが気がかりなことは、その糸自体を呼び出すことが大変難しいということだった。


 それでも、マリアは試した。いつか本で読んだ蜘蛛の魔物のように自在に糸を呼び出すイメージを頭に浮かべる。そして空中に向かって手をかざした。成功すれば、指先から糸が飛び出すはずだ。指先に熱が集まり、そして――何も起こらなかった。


 ――やっぱり駄目か。


 マリアはがっかりした。指先の熱はさっと引いて行ってしまった。失敗しても魔力は消費されたらしい。マリアは外を眺めた。雨が降っていて、月が何処にあるのかも分からない。こういう夜は魔物たちの活動時間も早まると何かに書いてあったはず。深夜の鐘の音はまだ聞こえないが、とっくに少年たちも活動しているだろう。


 今宵は来てくれないのかもしれない。そう思い始めると、マリアは急にやる気を失った。

 しかし、そんな時だった。


「何の魔法を試したの?」


 屋根裏の隅の壁から、あの声が聞こえてきたのだ。

 驚いてそちらを見れば、いつの間にかあの少年の影がそこにあった。


「ねえ、何かの魔法だったんでしょう?」

「……糸を紡ぐ魔法」


 緊張気味に応えると、影の少年は無邪気に笑った。


「へえ、魔法で糸を紡げるの? すごいね、便利!」

「でも、失敗しちゃったみたい」

「仕方ないよ。君、子どもだもの。魔女ってもっとお姉さんのイメージだもの」

「あなただって子どもじゃない」


 ――それなのに容易く姿を変えられて。


 昨夜、目にした彼の特技を思い出し、マリアはそう言いかけて止めた。しかし口には出さずとも、表情に現れていたのだろう。少年は影のままマリアを見つめ、答えたのだった。


「ボクのは魔法じゃなくて特技だもんなあ」

「特技?」

「そ、特技。人間だって逆立ち出来る人とかいるでしょ? あれと一緒」

「一緒じゃないよ、そんなの」

「ボクたちにとっては一緒なの!」


 そう言って、少年は腕を組んだ。頑なな態度の彼に、マリアは苦笑する。彼のふるまい一つ一つが愛らしく、そして好ましいのは何故だろう。従兄弟たちと会話しているときとは違う興味が、マリアの中に芽生えていた。


「ねえ、また、ねこになれる?」

「なれるよ! 見ていて!」


 マリアの要望通り、少年は宙返りをして二足歩行の猫へと変わる。その姿は相変わらず影だけだったが、得意げに胸を張る猫の姿はマリアに晴れやかな気分をもたらした。


「何度見てもすごい!」

「でしょ?」


 だが、猫になった少年はちょこんと座り込むと、投げ出した足を揺らしながらため息交じりに語りだした。


「でも、これってね。実はボクたちの中では当然の力なんだ」

「当然の力?」

「そ、さっき特技って言ったでしょう? 君さ、狼男って知っている?」


 訊ねられ、マリアは黙って頷いた。狼男、狼人間、人狼などの伝承もまた本ではよく登場する。彼らが本当に居るのか、居ないのかは、たびたび議論されるそうだが、同じく議論の対象となる魔女の血を受け継いだマリアからしてみれば、居る可能性の方が信じられる。彼らは人と狼の姿を持ち、人間たちの暮らしの影で息を潜めているらしい。


 猫になった少年は壁の中からマリアを見つめながら言った。


「ボクたちは狼男みたいなものなの」

「猫と人に変身できるってこと?」

「うん、そんな感じ。ボクは猫男。猫女もいるよ。影の中に隠れてネズミや小鳥の魔物を食べるの。月に一度はお祭りもするんだよ」

「へえ……」


 そして、少年は少しだけ自分たちの暮らしについて語り始めた。彼の語る世界にマリアは心を奪われていった。何しろ、従兄弟たちの語る外とは全く違う世界だ。窓から見える世界だけでも果てしなく思えるのに、まだまだ知らない世界が存在する。本にも書かれていないようなその世界を知る目の前の少年に、マリアは非常に興味を抱いていた。


「あ、あのさ、そのお祭りって――」


 思いついた質問を投げかけたその時、雨の降る音の向こうからくぐもった鐘の音が聞こえてきた。深夜を告げるあの鐘だ。少年が猫の耳をそちらに向けてから、ゆっくりと立ち上がる。


「ごめん、時間になっちゃった。ボク、帰るね」

「また、明日来てくれる?」


 その姿が消えるまえに訊ねると、少年は影の姿のまままっすぐマリアを見つめた。


「君が魔法の練習をしていたら、たぶんね」

 

 そう言い残して、彼は姿を消してしまった。後には何も残らない。鐘の音と雨音のみが屋根裏に伝わってくる。人の気配の遠ざかる感覚を覚えながら、マリアは孤独を感じていた。


 ――君が魔法の練習をしていたら、たぶんね。


 その言葉だけがいつまでもマリアの頭の中で響いていた。

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