彼は彼女を知る。
四時限目が終わり、昼休憩突入のチャイムが鳴り響いた。この一年のブランクはかなり壮大なものであった……。全くついていけない。内容に追いつくことが出来ないと諦めがつきそうなほどピンチ。
「ねぇ神崎君」
体をこちらに向け俺に問いかけてくる白華々美。
「今日は学食?」
「いや、弁当があるから学食にはいかない。この教室でボッチ飯をかましてやるさっ」
「じゃぁ私もここで食べようかなぁ~」
この女は魔女だな。男子生徒の敵対心が俺の元へと一斉に集まってくるではないか! 俺は普通に静かに穏やかな時間を過ごしたいんだよ! 別に他人と飯を喰らいたいわけではないぞ!
「私、学食行って昼ごはん買ってくるね」
俺が嫌われてしまうのは今回に限ってはいい。しかし今回、優先されるべきは俺ではなく彼女なのだ。俺みたいな病み上がりのような奴といるとどうだろうか。落ちぶれた奴といると周りはどう思うだろうか。そう親近感になど浸れなくなる。遠投ですか!? ってくらい距離を取ってしまうに決まっている。ここは丁重に断ろう。それしかないのだから。これは仕方のない事だ。
「い、いや俺はえん……りょ、す……る」
白華々美ィィィィ!!
彼女の姿はこの教室にはもうなかった。俺は一つため息をこぼす。すると背後から聞いたことのある声で話しを掛けられる。
「どうしたの? わからないことでもあったの? それとも友達がいないから悲しい? いやでも白華々美さんとは案外たくさんお話してたわよね? あれってやっぱり可愛いから? 私より可愛いものね?」
怖い怖い怖い怖い!! 怖いぞ間戸井ッ! 呪うように俺の背後をとって耳元で囁いてんじゃねぇよ。怖すぎて叫んでクラスからもっと浮いてしまいじゃねぇか。
「んだよ」
「どうかなってね」
彼女と会話しても許されるのだろうかと周りを見渡す……見られている……ガン見されている。これは間戸井を見ているのではなく俺を見ているのでは!? だってあいつらコソコソと口を歪めながら“友達”と駄弁ってやがる。
「まぁわからないところもあるだろうが頑張るさ」
「それなら良かった……ごめんね、じゃぁ帰りはまた連絡するから」
間戸井は耳元で別れを呟いた。“また”なんてつけられたら心が高ぶってしまうではないか……これは俺だけではないはずで、男はみんなそうなるという本能。だから“気持ち悪い”なんていうのはよしてもらいたい。
それにしても他生徒が俺のことを悪く言ってるのが聞こえたんだろうか。彼女は“ごめんね”と発したわけだ。まぁこれでいいと俺は思っているけれど。
俺はブルーになっていく気持ちを“食”に向けた箸を進める。
「おっまたせぇ~……って、もう半分くらい食べてるね」
「まぁこれから用事があるからな」
「へぇどんな用事?」
ただ気まずいだけだ。それくらい察してくれ! それを察すれば、そんなプライバシーを捻じ曲げる質問は浮かび上がってこないはずだ。もしかしてこの女、天然なのか?
「図書室に用事があってな」
「楽しくなさそぉ~」
「楽しくない用事だけど行かないといけないから」
「それなら早く食べないとね」
「そういうことだ」
それから弁当を完食し手ぶらで席を立つと、白華々美は首を傾げ問うてきた。
「手ぶらだけど?」
「あぁ……普通に参考書見に行くだけ」
「そうなんだ……行ってらっしゃい」
“行ってらっしゃい”なんて言われたら“彼女”いや“妻”かと思っちゃうじゃないか。
そんな華やかな気持ちに心揺れながら図書室へと、何をするでもなく行くこととなる。
図書室では生徒の姿はあまり見られなかった。本当に静寂で落ち着く空間だ。廊下を出れば生徒の笑い声が図書室外まで響いて聞こえるが、一歩中に踏み込むと空気すらもガラリと変わるように感じた。
さぁこんな図書室で何をしたものか……。
「やぁ有君!」
俺の肩を思いっきり叩きながら挨拶してきた。女性のイメージを壊すような力強い叩きが頭蓋骨まで振動がきそうだ。
「俺の肩がボッロボロになったらどうしてくれるんだ?」
「なるわけないじゃぁ~ん。バカみたい」
なるわけないのは、俺が一番よく知っている! 俺にそこ嘲笑うな! 俺が御宅の平手打ちを何回くらってきたことか! まぁ今回は久しぶりさもあって、Mではないが嬉しいと思ってしまった。
「今日はどうして図書室なんかに?」
「暇だったからな。ってかここ生徒いなくね」
「利用する人なんか全校生の一握りにも満たないかも。もう利用者が決まってる感じ。同じ人しか来ないから出会いなんてあるわけもない」
「で、出会いを求めていたのか?」
「まぁそれなりに」
「なら、図書委員なんか止めちまえばいいだろうに。止めればここに身を潜めず済むものを」
「まぁ確かにそうなんだけどね。図書委員に入る人がいないから仕方なくね」
「お前らしいな」
「ここ一年合わず話さずの人に“お前らしい”とか言われても疑心しか湧かないんだけど」
「す、すまん……」
「許してはあげない」
このフレンドリーで優しい心を持つのは【巳野倉 鎖綾】だ。入学後同じ図書委員に所属し仲良くなった女生徒だ。
「それより久しぶりで泣きそうなんだけど」
「来たのは知ってたのか?」
「そりゃぁ私のクラスでは話題に上がったよ」
最近の奴らの情報網が広すぎて怖い。
「何俺って人気者だったの!?」
「まぁ一年前があれじゃぁね」
大掛かりなモノに聞こえてしまうがそれほどでもない。ただテストで一位を獲得していただけの話しである。そして毎回“満点”……疑われても仕方ない。それで有名になってしまった可能性も無きにしも非ず。
「最近、オススメの本は?」
「私、最近になって本読まなくなったんだよねぇ~」
「そ、そうか」
彼女は苦笑いで答える。巳野倉にしてはあり得ない事態ではないだろうか。本が好きすぎて同じ小説を五、六冊買い溜めをするような奴で毎日、小説片手に肌身離さず所持していたやつが……いったいこの一年で何があったというのだろうか。
「まぁ嘘といえば嘘になる」
「ん? 一応読んでる本はあるってことか?」
「まぁ……でもオススメは出来ないかなって」
オススメ出来ないほど、嘘をついてまで避けようとした本だと!? 気にならないはずがない。俺は興味深々で聞く。
「どんな本だ?」
「海外の本」
「海外? 国内じゃないのかぁ~……もしかして文字とかって」
「そう日本語じゃないよ」
ま、まじか……どんだけ暇人なんだよ!?
「それはオススメも紹介も出来ないな」
「まぁ唯一オススメできる本があるとすれば……広辞苑?」
「俺を歩く広辞苑にさせたいのか」
「ちょっと下手だね」
「う、うぅ……」
今から話が盛り上がるだろうと雰囲気に包まれたさなか、この空気を壊すかのように時間が迫った。
「も、もうこんな時間」
「はぁ~……」
「どうしたの有君?」
「いや、また授業かと思うと胃が……」
「歳よりくさい事言っても仕方ないよぉ。がんばろ!」
彼女の笑顔を見れて俺は今幸せなのだろうか。授業に“集中して追いついてやろう”という意思が熱を帯たのだ。
教室へ帰る際中通りかかる生徒はみな彼女を見ながら何かを呟いている。目をキラキラとさせながら、見惚れているように何かボソついている。
耳を澄ましたところ彼女、巳野倉鎖綾には“書籍の妖精”という偉大なるあだ名がついていることが判明。
一方彼女はというと赤面させながら大きな本を大事そうに抱え肩をすくめている。身長は一四〇くらいだろうか……もう少しあるかというくらいな小ささ且つ、少し茶色気味な暗い長髪に肌白さがマッチしていて“妖精”と言われれば頷いてしまえるクオリティ。
ここで間戸井とのやり取りを思い出した。“有名な人は他にもいる”ということを――。
この一年でかなり変わってしまっている。ってかこれまで話してきた相手ってみんな女子じゃないか!? 俺って……青春を送っているのか!? いやいやいや……え、まじ!?
うぬぼれそうになる自分を必死に堪えながら午後の授業へと構えるのであった――。