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ラッキー・マン

作者: 川神由信

佐藤和男氏は大学生活の最後の夏休みを一人で山間の避暑地で過ごす予定です。X空港から飛行機に乗るため、十分な時間的余裕を持って家を出たのですが、途中で忘れ物をしていることに気が付いて家に引き返しました。そのため、空港に着いたのは飛行機の離陸予定時刻の30分前になっていました。小走りして息を切らせながら予約しているABC航空のチェック・イン・カウンターに行ってみると「この飛行機は3名がオーバー・ブッキングされており、申し訳ございませんが、遅くいらっしゃった佐藤様には現在もう既に御席がございません。次の飛行機に御席を御用意いたしますので、2時間後の便に御搭乗ください。」と言われました。チェック・インが遅かった、と言われてもまだ離陸には間があるし、こちらに過失はないはずなので、航空会社の都合で2時間も後の飛行機に回されるのは納得がいかないなあ、と思いました。しかし、もう実際に席がないのでは仕方がありません。自分が乗るはずだった飛行機が飛び立っていくのをロビーでぼんやり眺めていましたが、その後はおとなしく座ってテレビを見て時間を潰しました。朝の、面白くない政治討論番組が流れていましたが、搭乗まであと1時間となった時、画面に緊急テロップが流れました。「X空港7時20分発、Y空港行のABC航空314便が8時頃に管制との交信を絶ち、現在消息不明」テレビを見ていたロビーの人々が騒然とし始めました。今さっき、すぐ目の前の滑走路を離陸していった、佐藤氏の乗るはずだった飛行機がその314便だったからです。佐藤氏は全身の力が血の気とともにすーっと抜けていくのを感じました。しばらく、身動きができず椅子にヘナヘナとなって座り込んだままでいました。それから搭乗開始まではテレビをずっと見ていましたが、314便は消息不明のままです。佐藤氏の飛行機は予定から1時間遅れて10時20分にようやく離陸しました。

 避暑地では佐藤氏は色々な所を観光する予定を立てており、実際、様々な所に一応行ってみたのですが、どこへ行っても気持ちはうわの空です。「もし、オーバー・ブッキングがされていなかったら、私は今頃死んでいた。今生きているのはまさしく奇跡だ。神が私を救ってくれたのだ。私は神に選ばれた人間に違いない。今あるこの命は神によって与えられたのだ。」佐藤氏は今までの自分の人生を振り返ってみて、大いに反省しました。「私はこれまで一度でも全力で何かに挑戦したことがあっただろうか。命を燃やすような努力をしたことがあっただろうか。高い目標を掲げてそれに向かって突き進んだことがあっただろうか。すべて否だ。中学の先生に言われるままの高校に進学し、そこならたぶん受かるだろうという大学を選択し、現在就職が内定しているのは潰れる心配がないからという理由で選んだ公務員だ。これが神に選ばれ、神の手で救い出された人間の歩む道だろうか。」佐藤氏は「今まさに、自分は自分の人生の使命に覚醒した」と強く感じました。「今までの私の人生はウトウトと寝ていたのも同然だった。ダラダラと弛緩し切っていた。しかし、今日、やっと目が覚めた。もう、公務員等になっている場合ではない。私は自分の使命を神の定めた運命の通りに成就させなければならないのだ。」彼の全身は既に自分に対する強烈な自信で満ちていました。もう、自分が何かで失敗するとは思えない確信です。彼がそう感じたのとほぼ同時刻に、テレビでは314便は原因不明の事故で太平洋に墜落しており、生存者はいない模様と報道されていました。

 佐藤氏は旅行から帰ると、すぐに公務員の内定をキャンセルしました。自分でベンチャー企業を始めることにしたのです。大学を卒業する前から株式会社を立ち上げ、事業を開始しました。仕事は、インターネットによる会員間の、ありとあらゆるもののリースの仲介です。会員が所有している物を自分が使用しない期間に限って、別の会員に貸し出すのです。対象は家、部屋、倉庫、農地、駐車場等の不動産から、クルーザー、自動車、オートバイ、トラクター、自転車等の乗り物、さらに高級ブランドバッグ、キャンプ用品、ゴルフクラブ、大工道具、礼服までなんでも取扱います。佐藤氏は昼夜の区別なく、一日の休みもとらず、精力的に働き続けました。その努力のおかげで、会社は従業員数と売り上げがともに毎年4倍づつ増えていくという驚異的な速度で成長を続けました。起業8年目に株式を証券市場に上場し、佐藤氏は中規模の県の年間予算と同じ程度のお金を手にしました。

 佐藤氏は自己実現を遂に達成したと実感しました。成功のきっかけは思い返せば、一にも二にもオーバー・ブッキングのおかげであの飛行機に乗らなかったことです。飛行機を運航していたABC航空はあの事故以来極度の経営不振が続いており、今や政府や銀行にも見放されかかっています。今後の6ケ月間にはまとまった金額の債務の支払い期限が立て続けに控えており、資金の調達ができなければ経営破綻の危険があると報道されています。ABC航空は新株式や転換社債の発行で急場を凌ごうとしていますが、引き受け手が見つからない状態です。佐藤氏は今の自分があるのもある意味ではオーバー・ブッキングをしてくれていたABC航空おかげであると感じていました。彼がABC航空に感謝しなければならない合理的な理由はないのですが、自分とABC航空の間には何かの縁があるのだろうと思いました。彼はABC航空に電話を掛けて社長に会いに行くことにしました。

 佐藤氏はABC航空の社長に、8年前の飛行機事故から後の自分のエピソードを話しました。「私は、あの飛行機に乗らずに助かったという体験によって、自分が神に選ばれているという運命を感じました。その自信をテコにして努力し、何とか実業界で成功することができました。私とABC航空の間には何か不思議な御縁があるのだと思います。報道によると貴社は経営状態が思わしくないと聞いております。今日はうちにできる範囲内で、資金面での協力をできないかと思ってまいりました。」ABC航空の社長は涙ぐみながら佐藤氏の手を取りました。「私はあなたのような人が必ずや出てきてくれるのではないかと、秘かに期待していたのです。ABC航空はこの20年間というもの本当に苦難の連続でした。御存知のように、我が社は20年前にも墜落事故を起こしております。その便はたまたまこちらのミスで乗客のオーバー・ブッキングをしてしまっており、一人の御客様を搭乗させることができなかったのです。その時、飛行機に乗れなくて命拾いをされた方が、現在、流通業界のガリバーと言われているあのZ社の創業者の山田さんです。若き日の山田さんは偶然のいたずらで命拾いをされた経験を糧にして一念発起し、Z社を立ち上げて死に物狂いで働き、今のZ社を築き上げたのです。山田さんは今から10年前に当社を訪れ、この同じ社長室で20年前の御自身の経験をお話しになり、自分の成功のきっかけはあの奇跡だったからとおっしゃって、巨額の資金援助を申し出てくれたのです。あの時のわが社の資金繰りも現在と同様に本当に厳しく、彼の援助がなければ程なく破綻していたでしょう。その時の経験から、その後、わが社は航空機事故に対する考え方を変えたのです。「飛行機は絶対に落とさない」から「飛行機が落ちてもなんとか会社は潰さない」へと変更したのです。10年前からABC航空では飛行機の予約時に必ず3人程をオーバー・ブッキングするようにしています。我が社ではこれをラッキー・マン制度と呼んでおります。あなたはそのラッキー・マンの第一号の一人です。あなたは本当のラッキー・マンなのです。オーバー・ブッキングで命拾いする人が墜落事故の時、常に3人は出るようにしておけば、いざ飛行機が落ちて会社が窮地に陥っても、必ずやそのうちの一人ぐらいはその経験をきっかけに一念発起して・・・」


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― 新着の感想 ―
[一言] ニヤリとさせられるブラックユーモアがいい味でした。
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