目には目を
もう…朝?
朝は誰にでも分け隔てなくやって来る。朝日がくそ眩しいくらいに忌々しい。
『あれ? 芽依どうした?珍しいな。芽依がコーヒー?』
『……』
いつものように優しい笑顔で話しかけて来るウィルにいらついた。彼にしてみれば、ジョークなんだろうけど。私は違う。もう冷静に流せないところまで来てしまってた。ウィルの事で眠れなかったと言うのに…なんて暢気な男。
いつもはコーヒーなんて飲まない芽依も、眠気覚ましにカフェインフリーのコーンティーを一気に胃に流す。これならお腹の赤ちゃんにも影響なし。
普通なら5分で寝付けるのに、結局昨夜は眠れなかった。そればかりか夫の新しい浮気情報を見つけた…。なんか自分で自分の首を絞めてる感じだわ。
寝不足で、頭はフラフラ。気分は最悪。それでも仕事は待ってくれない。
頭だけははっきりとさせなくちゃ。2杯目はさすがにコーヒーじゃなくって、麦茶にした。
『そうね』
弱々しく微笑む。
これも、後々考えてみれば芽依からのSOS。私が苦しんでいるのに気がついて!!それさえもウィルには届かない。
『愛してるよ』
ウソばっかり。どうして?そんな言葉を口に出来る?私はこれだけ悩んでいるのに…。
『……』
夫からのハグを受け、いつものように彼は家を出る。
「どうしよう…。こんな事、実家のお父さんに相談なんか出来ないよ…」
散々悩んだ挙げ句、彼女が相談したのはウィルの母親。リズなら今の芽依の気持ちを一番理解してくれる。震える指を叱咤しダイアルを押すと、彼女の明るい声が受話器の向こうから聞こえる。今朝までこらえていた涙がまた溢れ出してく。
『リズ〜!!』
『どうしたの?』
朝からの突然の電話にも関わらずリズは、会いに来るからと車を飛ばして来てくれた。嫁姑と言えば仲が悪いとか言われているけど、2人は普段から仲睦まじい。『私の娘の芽依なの』そういつも他人に芽依を紹介する時に言ってるくらいだ。自分の息子のウィルそっちのけで話しが弾むのも、いつものこと。
『芽依!!本当なの?!!』
芽依からの報告に義両親は打ちひしがれた。これだけの証拠を見せつけられれば、これがウソ偽りだとは思えないからだ。
『どうして…どうして…今頃になって、あの人と同じ事をしているなんて…』
『やっとあの男からの呪縛から解かれたと思っていたのに…』
『リズ?あの人と同じ事って…まさか…』
『そうよ。あの人も妊娠した私を捨てて、他の女のところへ行ったのよ。私に自分の借金のすべてを押し付けて。女に捨てられる度に帰って来ては、家の金を持ち出してたの…。ああ…なんて事なの。これまでジョニーが我が子同然に可愛がって愛情も注いでくれていたのに…。実の父親と同じ事をして妻を泣かせるなんて…』
泣き崩れる義母と項垂れる義養父にどん引きしながらも、芽依はリズの最初の夫のことを思い出していた。高校時代に先輩後輩と言う仲で恋に落ちたリズと最初の夫となる男は、リズが妊娠したと分かった後に責任を取って結婚はしたが、浮気に酒ギャンブルに興じ、終いには赤ん坊のミルク代にまで手をつける様になった。
(なんや…やってる内容全部、うちらみたいじゃん…。ってことは彼も、いつかは私と子供を置いて消えるってこと?人に借金押し付けて? 冗談じゃない!!)
3人でどうしたらウィルを元に戻せるかという話し合いをした。養父で義理の父親でもあるジョニーから見ても、今のウィルは実父のヘンリーと同じことをしてる。
『芽依、俺は悲しいし悔しい。あの子が人としての道を外さない様に必死になってリズと子育てをしてきたのに…。君と結婚した時はあんな男のようにならなくて良かったと2人で喜んでいたんだ。なのにこんな仕打ちを…俺もリズも君に対して申し訳が立たない…すまない…』
『…ち、ちが、う…ジョニー達は、悪くない…』
うなだれるジョニーに何度も頭を振った。
RRRR
「「「!!」」」
3人とも一斉に電話の方に注目した。
液晶画面に写った番号を見てこくりと頷いた芽依に、リズは自分に任せろと受話器をとると早口で相手を攻撃し始めた。相手はいつもみたいに芽依が出るものだと思っていたのに、出て来たのは義母のリズだったからか驚いてすぐにプツンと切ったようだ。
2人が何を話したかなんて分からないし、分かりたくもないがリズの顳かみに立つ青筋に決して良いことではなかったんだと言うことだけは理解出来た。
ショックで魂が抜けかけた義父母たちを見送った後、芽依にはまだやるべき事が山ほどある。戦う前に相手を研究しつくし、ぐうの音もでないほどに叩きのめすことだ。そのためにはあの女の目的を知る必要がある。(まあ大体見当はつくけどね)だったら方法はただ1つ。
調べる。
徐にノートパソコンを開くと、いつもの様にウィルのフェイスブックのチェック。
ビンゴ。
フレンドリストの中の一人には、『あの女』の顔写真が並んでいた。
それをクリックすれば…何が出て来るか。蛇かはたまた虎か?
「な、何よ…これ…?」
出て来たのは、あの女の隠れ蓑であり海外へ渡るステップだった。
その名もナニ−プログラム:所謂、富裕層を対象とした家庭の子供の世話をするプログラム。2年間の在米が出来る。
ナニーになる前には、軽く審査や面接が行われる。その模様もなニープログラムのサイトに載ってた。
《このナニーと言う仕事に入られると、2年間アメリカに住む事になりますが、彼とかいらっしゃるのなら長い間離ればなれになるから、寂しくなるわよ。最悪お別れするケースもありますからね》
《いいえ。大丈夫ですよ。今のところ彼はいません。それよりもアメリカで素敵な人を見つけようと思います》
やんわりと断りを入れて来た雇い主の言葉を跳ね返す様に、明朗に答えた舌ったらずの女の言葉に悪寒と吐き気がする。この女の目的って『意地でも絶対この地に住んでやる』そんな執念を感じた。
アメリカ大好きな女がアメリカに住むには、就労ビザか学生ビザのどちらかだけど。その二つとも期限付き。こんな女の場合って学校に行くような余計な時間は使いたくないけど、手っ取り早くそして長いことアメリカに住みたいと。
強かな女が目をつけたのが、出会い系サイト。そしてそれにバカみたいに引っかかったのがウィル。
彼女のフェイスブックから、他のブログにも飛べる様になっていたから、ついでにそこへ飛んでみた。
「尻軽女」
私にその言葉を言わせた女のブログには、どう?私って凄いでしょ?感が満載。
毎週末毎、人の夫と色々なところに行って、夫の金で食事にホテルに外泊。あの女が付き合ってるのは夫だけじゃなかったのは、流石に驚いたわ。
しかもその相手って、出会い系って…一体どれだけ男を食えば気が済むのよ。サンフランシスコに男が来ると聞けば、彼に会いに1時間かけて行くその根性…もうなんか結婚したい〜感ヒシヒシ。
まあ大人だし、そんなサイトで逢うんだからそれだけで終わる訳じゃないのは、芽依にもわかっている。
しかもこのナニープログラムって…調べてみただけでも内容が凄いわ。週休2日で週末はお休み、お給料が出る上にお小遣いって本当に人生舐めてるとしか思えない。
まあ、雇われる方に取ってみれば、こんなに都合のいい仕事ってないわ。
『ハイリスクハイリターン』そこまでじゃないけど、年齢制限ありって言うのは当たり前だわね。あの女が雇われたのが25の時。なら、26までって言う年齢宣言になったから焦って来たってわけか。
それで日本に帰ったとしても、確実に自分を雇ってくれる会社があるかどうかなんてわからないもんね。まあ焦るのは分かるけどね。
だからって26になった途端に焦って色々なサイトで男漁りって…。この女一体どれだけの男を喰って来たのよ。そのサイトで知り合ったのがウィルで、ウィルも毎晩夜中に何かコソコソやっていると思っていたら、アイツもアイツでチャットで日本人女性を探していた事が分かった。
身重の芽依の精神も限界を感じて来た頃、彼女の精神を更に削らせるような出来事が週末にやって来る。
いつものように、家の電話が鳴り響くけど、電話を取りたくても簡単に取れなくなった。リズがあの女に罵詈雑言を浴びせた次の日に怒り狂ったウィルに寄って電話機を壊された。それ以来、液晶画面もない留守電機能もない電話になってしまったから電話がなっても簡単に出ることも出来なくなった。
誰だろ?お義母さん?それとも、父さん?それとも…。
勇気を出して受話器を取ると、すぐにプツンと切れた。
その日を境に無言電話がかかって来る様になった。電話がかかって来るのは、決まっていつもウィルがいない日中。相手は、分かってる。正に今ウィルが現を抜かしているあの女しかいない。
RRRRRR…
そして、今日もまた家の電話が鳴り響く。