砂上の楼閣2
結婚して8年、別に子供を作らない様にしていた訳ではなかった。
ただ、今は自分達の2人だけの時間が必要だと感じていた。子供が出来ても自分達に親が勤まるのかと不安だった。
ピルもやめた。
すぐに授かるなんて思ってなかった。だから恵子さんの言葉も、妊娠検査薬の二本線にも驚きの連続。
「う、うそ…!?」
あの後、帰って来たウィルにもしかしたら妊娠してるかもと伝えたら、ぎゅうぎゅうに抱きしめられて「ありがとう」って。
でも、その後…あなたの言葉に背筋が凍った。
『なんでだよ…』
1つの小さな染み。
「おめでとうございます〜!妊娠8週目ですね〜」
妊娠したって分かったとき、本当に嬉しかった。ついに私もママになるんだって、そう実感したから。
嬉しくて、嬉しくて思わず飛び上がりながらも、すぐに日本にいる父親に知らせた。父もとても喜んでくれて「早くあちらのご両親たちに知らせなさい」なんて鼻を啜ってたっけ。普段は厳しい父親からの言葉にぐっと来た瞬間。
『リズ!あのね…報告があるの。電話じゃなんだから…』
家にやって来た義母のリズに妊娠のことを伝えた。
ものすごいくらいに喜んでくれて、「きゃー!!なんて素晴らしいのかしら!!」持っていたバッグを空中に投げると芽依に抱きついてきた。『ありがと!ありがとう!』感謝の言葉と一緒にキスの嵐には参ったけど、喜んでもらって良かった。
ただ今考えても奇妙だったのが、ウィルの反応がいまいちだったことだけが、心にひっかかったけど、男の人は妊娠しないから、父性本能が出て来るのは遅いのだと何かの本に書いてあったし、多分ウィルもそうなんだろうで済ませてしまってた。
子供さえ無事に産まれてくれば、ウィルの事だきっと子煩悩なお父さんになってくれる。
この夜ウィルからちょっとだけ…とベッドのお誘いを受けたけど、何だか怖いんだよね。ウィルにも妊娠初期での行為って流産とかしちゃうかもよと脅せば、彼は優しいから笑顔で「姫様の仰せの通りに」と抱きしめて一緒に寝てくれるよね。
『ウィル、今日はちょっとごめん』
『そう…』
でも私は知らなかったの。あの時、ウィルがどんな思いで私に触りたいと思っていたのかなんて。だってその時の私はウィルのことを知ろうともしなかった。私に取って大事なのはウィル<お腹の赤ちゃんだから。
私達夫婦は結婚9年目という時期に、すれ違いが生じてた。それは編み落とした編み目と同じで、その時には分からない小さな出来事なのにそれは徐々に大きな滅びを生み出してく。そのことに私もウィルも気がつかなかった。
その編み落とした編み目は後日でも二人で納得のいくまでとことん話し合っていれば、亀裂を生むことも互いに相手を罵り合うこともなかった。
今思えばあれは何かのサインだったんだとしか考えられない。
あの日、夜中に目を覚ますことなどない芽依が、珍しくふと目を覚ました。横で寝ているはずのウィルの姿はなく、探しに行こうかとも思ったけど…。
「ウィル?トイレなのかな?まあいいや」
すべて自己判断で解決。
その夜を境にウィルが夜な夜な寝室を抜け出して、階下のリビングでPCをつけて真剣な顔で嬉々として画面を食い入る様に見ている姿を何度も目にする様になっていった。
妊娠をきっかけに夫であるウィルの自分への態度が、今までよりももっとよそよそしい物になった。それは何かを思い詰めたような表情。
ー浮気?ーまさかね。
一瞬、この2文字が私の頭を過った。まさか、この人に限ってそんな事をするはずない。そう信じてた。
日本を離れ、毎日呪文のように繰り返されるウィルの求婚に答えて結婚した芽依には、彼を信じる事だけ。まさか…ね…
熟年夫婦かと思うほど、同じベッドにいても会話がなくなった。
たまに会話をする時はいつも、自分達のことじゃなくてお腹の赤ちゃんの事。
「ウィルはどっちが良いと思う?」
「無事に生まれて来てくれればどちらでもかまわないよ」
「優しいのねウィルは」
無事に産まれて来てくれるといいね…とか、本当にありきたりの言葉だけど、それが今の彼らを繋ぐ夫婦の会話。
この時の私は夫婦の危機がすぐそこまで来てたなんて知らずに、自分の幸せに酔いしれてた。
RRRRR……
鳴り響く電話の呼び出し音に慌てて芽依が受話器をとる。
『もしもし?』
《……》
『もしもし? どなたですか?』
《……》
プツン。