娘のプライド、父親のプライド
初めは芽依視点で。
後半は芽依の父親の視点で書いています。
何かムカつく。
空港からの帰りの車の中でもウィルと父光は男同士の話に花を咲かせていた。
芽依はそんなウィルの外面の良さにうんざりしながらも、車窓から流れる景色を黙ってみてた。
何よ何よ!お父さんもお父さんよ。な〜んでウィルの言葉なんかにコロッと騙されて。さっきから私のことはそっちのけじゃないのよ!
なんで今日は木曜日なのよ。
この人、明日はどうするつもりかしら?
自分の妻の父親が渡米して来てるのに、まさか女の所に行こうなんてしないわよね?
でもこれであの女の所に行ったら…もう私達どうなるかわからない。
そう考えると芽依の気分は塞がるばかり。
「ほ〜。凄いな〜。父さんの頃はそんなのはなかったぞ」
「そうでしたか。母も義父さんと同じことを言ってましたよ」
「そうかそうか」
リビングではウィルと父親がくつろぎながら、赤ちゃんのエコー写真を見ている。
「ほぉ…今は本当に医療がここまで進んでいるんだな〜。3Dエコーの写真まであるのか」
まだ産まれていない赤ちゃんの睫毛の一本一本まで綺麗に見える。
普通の写真のように顔の詳細まで分かる。
赤ちゃんの性別が分かって、嬉しいけど…。
「なんだな〜男の子は母親に似るって言うけど、この子は父親そっくりだなウィル」
「ええ。みんなにそう言われます」
首の後ろに手をやると、嬉しそうに照れながら項をかいて笑っているウィル。
あんな優しい夫の顔をした人が浮気してるなんて知ったら、お父さんどうするかしら。
「なんだか眠くなったみたいだ。ちょっと寝室で横になって来るよ」
「はーい」
「じゃあ、後で僕が起こしますよ」
「ああ、悪いねウィル」
「いいえ」
光が上に行ったのを確認すると、ウィルはゆっくりと立ち上がりチラリと芽依の方を見て、舌打ちをした。
いきなり木曜日に来た舅の突然の来米に、焦っていたのだろう。
『お前何を言ったんだ?』
『何って? 何よ』
両腕をもの凄い力で掴んで来た。
「痛い!」
『煩い!お前が何か言わなければ、君のお父さんがここに来る事はないだろ! 全く余計な事ばかりする女だなお前は!そんなに俺を困らせたいのか!』
『ウィル…違うわ。信じて、私は何も言ってない!』
フンと鼻で笑ったウィルに突き飛ばさた私は、運良くソファに座る感じで着地した。
『信じろだと?お前の言うことなんて信じれるわけないだろう!このウソツキが!!金輪際オレの邪魔はするな』
携帯電話を握りしめ階段を上り始めたウィルはぴたりと足を止めた。
『な、何よ』
『 』
芽依に一言告げると一目散に二階の自分の仕事部屋に向かった。
あの携帯…。
また、あの女と連絡を取る気なんだ。
キリキリと胃が痛む。
芽依は週末が近づく度に、体が蝕まれて行くのを感じた。
お父さんが目を覚ます前に、何か作らなきゃ…。
これ以上心配させちゃいけない。
震える手で食事を作り始めた。
どんなに舅と言う欲目でウィルの様子を見ても、彼が芽依をないがしろにしているようには到底見えない。
ーやはり妊娠で気が立っている芽依が1人で騒いでいるだけなのか。
光が安堵のため息をついた。
笑顔で芽依を見つめるリックを見て、これならば、まだ芽依たちは大丈夫だ。
そう考えていた光は、あふっと大あくびをするとソファでうとうとと船をこぎ始めた。
父親は寝室で聞いていた。
やはり芽依の気のせいじゃなかったのか。
芽依…。
芽依は、沈んだ表情で食卓を迎えた。
父親が心配するから、食べたくない物を必死になってのどの奥へと送り込んで行く。
食べる事がこれだけ辛い事なんだと言うのが分かった。
リックは平気みたいで、どんどんと口の中に食べ物を放り込んで行く。
この人の神経を疑ってしまう。
リックが離婚届を役所に提出してから3週間後となる昨日、離婚届が受理されましたと言う知らせを携えた職員が芽依の家にやって来た。
それまで芽依は、リックが離婚すると言っていた事など、本気にはしていなかった。
いつもの口だけの言葉だと。
そう軽く思ってた。
なのに
まさか本当に(離婚届を)出していたとはね。
そこまであの人に嫌われてたんだ…私。
少しずつ芽依の心が、壊れて行く。
「愛してるから。君だけを愛してるから」
あはははは……。
ぐすっ…。
バカみたいに彼の愛だけを信じてた。演歌よろしくで今まであの人が何をやっていても、耐えてきた。今は遊んでいても私の元に絶対帰って来るって信じてたから。
は、はははは……。
足下にはビリビリに破られた写真達。
そこに映っているのは、互いの愛を疑うことなどなかった頃の笑顔の二人。
ふふふふ…。
なんて滑稽なの。
これが私達夫婦の結末なんて。
これが現実なのよね。
行く筋もの涙が芽依の頬を濡らす。
一体、どれだけ彼に傷つけられただろう。一体どれだけの涙を流させられたのだろう。
毎度種類の違う鋭利な刃物で。今日は胸を。昨日は身を。そして明日は精神をも抉られる思いを。
この人は悪魔のような人だわ。
虫も殺さないような優しい笑みを浮かべて、私を傷つける。どうして?どうしてそんなことを笑って言えるの?
芽依の父親に向かって、満面の笑みで話をしている彼。そんな二人を見ていると、今までのは悪い夢だったんだよねって。そう聞きたくなる。
『芽依。おかわり』
『え? あ、ああ…おかわりね…』
ご飯を夫に手渡しながら、芽依は複雑な想いを胸に秘めた。哀しい顔は意地でも見せるものか。笑顔でいてやる。それが私のプライド。
わからない。
ウィル。
あなたの愛が分からないよ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
全く困ったものだ。
どんなに舅と言う欲目でウィルの様子を見ても、彼が芽依をないがしろにしているようには到底見えなかった。
ーやはり妊娠で気が立っている芽依が、1人で騒いでいるだけなのかもしれんな。
心配だったが来て良かったと安堵のため息をついた光だった。
芽依を見つめるウィルは終始笑顔。それを見て、これならば、まだ芽依たちは大丈夫だと確信した。
ならば…と二人の前で大欠をして寝室で寝ると言えば、どうでるだろうか。別に試しているわけではないが、やってみるか。
そう考えていた光は、あふっと大あくびをするとソファでうとうとと船をこぎ始めた。
「お義父さん、風邪を引きますから、上の寝室を使ってください」
婿に案内されて寝室へと向かうと寝たふりを決め込んだ。
ほんの一時はしんと静かだった家の中。それがいきなり怒号が響き渡る。
本当にこの声がウィルのものなのか?実際に声だけを聞いていた自分の耳さえも疑いたくなるような怒号だ。
ドアを開けると二人が言い争っている。
会話は判らないが、恐らく俺がどうしてここにやってきたのかを知りたいのだろう。
二階に上がって来るようだ。急いでベッドに潜り込めば毛布を頭からかぶった。
少しドアが開いたがすぐに閉まった。どうやらあの婿は俺が本当に眠っているのかをチェックしてたんだろう。
にしても、まさかあんなに豹変するとは…。浮気してるとしか思えないな。
階下に降りて来た光は泣いている芽依にハンカチを手渡した。
「芽依。ウィルは浮気をしてるんじゃないのか?」
「!!」
顔が強張っている芽依を見ればそれが答えなんだろう。恐らくウィルは芽依と別れたがっているに違いない。
涙を流す娘にかけてやれる言葉は、今は我慢しろとしか言えない自分が歯がゆかった。
どうしてそんな風になったのかを見極めるしかないな。
でも本当に良く食べる婿さんだ。本当にこの子は芽依に悪いと思ってるのか?それとも…芽依が夫に尽くすのは当たり前だと思ってるのか?
食事中でも携帯を操作しながら、かかってくる電話に嬉しそうにしてる娘婿に内心イリイリしてた。
例え娘婿がこの電話は彼の仕事のパートナーからだと言っても、携帯から漏れ聞こえる女の甘い声は隠せるものじゃないはずだ。
なんてことだ。
呆れた様に、娘婿を見ている光の視線の先にあるのはは、常にウィルが握って放さない携帯電話。
去年の夏にこの家に来た時は、こんな風ではなかった。二人とも仲良しで一緒にここに住もうと言ってくれるほど、暖かな雰囲気を醸し出していたのに。
何がどうなったんだ。
あんなにスリムな体型だった娘婿も、どっちが妊婦なんだ?と言わんばかりに腹が出ているな。
まあアメリカ人だからと言われればお終いだがな。
「ウィル、体は大丈夫なのか?最近横に成長しているみたいだが、ウィルも一児の父になるんだ。健康には気をつけないと行けないよ」
「はい、気をつけます。ただ…仕事先ではいつも外食なんで、つい太っちゃうんですよ」
「!そ、そうか」
そう返して来る婿に思わず、顔が引き攣った。芽依は毎日の様に弁当を作っているし、愛妻弁当をブログに載せていると言うのに、それはどう言うことなんだ?
弁当を食べずに捨てているか? よく昔の同僚達の中にも妻が妊娠中に浮気をして、家庭内別居にまでなったと言って青ざめてたヤツがいたが…。もしかして…婿もそうなのか?
毎度食卓に並ぶ料理は芽依の手作りで、ウィルの為に日々の食事にも気を使っているのが良く判る。
芽依…。
チラリと芽依に目をやると、寂しそうにほほ笑んでいるだけ。
食事中の会話にも入って来ない婿に、男親の勘が過る。まさかとは思うが…そうであって欲しくない。
「芽依、体調はどうだ?」
「ん?平気だよ〜」
「……ごちそうさま」
「ウィル仕事なの?」
「うん。じゃあお義父さんお先に〜」
なんでウィルは芽依の体調を気遣わないのか?
もうすぐ産み月だと言うのに、自分の妻がこんなにやせ細くなっているって言う自覚はないのか?
普通なら言うはずだろ?
「ウィル…」
「はい?お義父さん」
「ん…仕事は大変なのか?」
「え?はい、もの凄く立て込んでて。じゃあ」
そのまま自室に篭った婿に娘は苦笑して「ごめんねお父さん」謝って来る。
「芽依…まさかお前…」
「聞かないで。お願い…聞かないで」
ああ…勘違いであってほしいと願っていたものが、本当だったと気付いた時に婿の行動の一つ一つが気になった。
声もかけないどころか労るような行動すら見せない婿。
妊婦の妻に怒号を浴びせている婿。
携帯電話を常に意識し、受話器から漏れる声は毎回女の艶やかな声。
電話の度に立ち上がり席を立とうとする。
電話の後は必ず外へと行く婿。
人はこんなに無情になる者なのか?
ウィルは仕事で疲れているのよなんて芽依は言ってたが、ありゃあ誰が見たって浮気してるって。
それも火遊びというよりも、大やけどの。
芽依からの電話では芽依の考え過ぎだと諌めたが、これほどとは…。
だが夫婦喧嘩に下手に親が入るのは良くない。返って悪化するのは目に見えてるし…。はたしてどうしたものか。光は、ウィルの太々しい態度に目を丸くしながらも、今はただ見守る事に決めた。
RRRRR……。
家の電話が鳴り出した。
「芽依電話だぞ」
「いいの」
「芽依?」
頑に出ないと言い出す娘に、出るように強制した。だがこの時ほど自分の判断が間違っていたと痛感したことはなかった。
「もしもし…」
プツン。
どうしたんだ? 芽依の様子を見守っていると、俺に言われて渋々電話に出た娘の顔色が優れない。
どうしたんだと尋ねても、間違い電話だったみたいと言うと明るく笑うだけ。
何を俺は見落としたんだ?
「芽依、顔が強張ってるぞ。妊婦って言うのは幸せいっぱいなんだから、もっと幸せな顔をしてないと、お腹の赤ちゃんに笑われるぞ」
なんとか笑わせようと言葉を紡いだ俺には、少しボォッとしただけと笑ってるし。
「芽依」
「大丈夫!」
父さんじゃ、お前の哀しみを取れないのか?お前のその笑顔が痛々しく見えてしまうよ。こんな時、母さんがいてくれたら、どんなに心強かっただろうにな。
母さんならお前の気持ちも判ってやっただろうに。
情けない父さんだな…。
男親として出来るのは、お前を護ること。それだけが自分に残された最後の仕事であり、プライド。
芽依。
例え世界中がお前を非難しても私はお前の父親として、出来る限りのサポートはしてやるつもりだ。
「芽依。何か父さんに言うことはないのか?」
「ない…よ…」
ふぅ…。情けないな…父親ってヤツは…。
娘のために愚痴の一つも聞いてやることも出来ない。
「母さん…どうしたらいいんだろうかね」
今は亡き妻に尋ねても、返って来る声などあるわけない。