頼もしい味方は?
前半は芽依視点。後半は代利子視点です。
うぐっ。
ウィルが去った後、芽依は口元を押さえると一目散にトイレへと駆け込む。
もう吐くものなんて残ってやしない。
朝から口にしたのは小鳥の食べる量くらい。それさえも朝の時点で吐いてしまったていた芽依。細くなった体には新しい生命が宿っているのに。それさえも拒むように吐いてしまう。むせ返るような臭いと共に出て来るのは嗚咽と胃液だけ。
口元を拭いた時に、赤いシミを見つけた芽依は震え上がった。
「血?」
鏡に映るのは泣き腫らした目でこちらを見ている青白い顔。頬は痩け、髪はぱさぱさ、唇も切れている。
どこをどう見たって、これから出産を迎えるような幸せいっぱいの妊婦には見えない。
普通、妊婦と言えば、産まれて来る赤ちゃんの事で幸せいっぱいなはずなのに。
なのに、自分はどうだろう。
誰も身内もいないこのアメリカ。身一つで夫について来たって言うのに。
それなのに肝心の夫と言えば、セックスに目覚めた猿みたいに毎週末女のところ。
幸せになるために結婚したのに。
どうして?
昼間のウィルの言葉が頭を過る。
『お前が嫌いだから、優しくしたくないんだよ!! コッチはお前とは早く離婚したいんだよ!』
痛む胃を押さえながら、芽依はウィルの名前を呼び続けた。
「…どうしてよ…帰って来てよぉ…」
次の日、ウィルの母親から電話がかかって来た。
《ウィルは仕事で忙しいって言って来たのよ、全くあの子ったら芽依が今大事なときだって言うのに、妊婦を放っておいて何やってるのかしら。芽依、みんな待っているからいらっしゃい》
『お、お義母さぁん…』
優しい義母の声に芽依はついに泣き出した。
これまで芽依が、他人に対して泣き言を言って来た事なんて一度もない。母親が亡くなった時も。仕事場を解雇になった時も。
《芽依? どうしたの? 泣いてるの? 何があったの?》
義母の優しい声が、心に刺さって来る。
言いたい。
言いたいのに、言えない。
あなたの息子が実のお父さんと同じ事をしているって…。
そんな事を言えば、この人(義母さん)が悲しむに決まっている。
『な、何でもないの…』
《ウィルが原因なのね》
低く響くお義母さんの声が胸を締め付ける。
《芽依、正直に話してちょうだい。私はあの子の母親だから、あの子が人の道から外れた事をやっていれば、それを正す役割をしないといけないのよ。それに忘れたの?私達は親子なのよ。娘を心配しない母親なんていないわ。今からそっちに行くから!》
『お、お義母さぁん…』
何度も頷きながらも、芽依は義父母たちが来るのを待った。
あの人達に正直に話せば、悲しませる事になる。
どうしたら…。
迷っている間に、義父母達が家に到着。
芽依が彼らを迎え入れると、義父母達は芽依のやつれぶりに狼狽した。
『ウィルは? 私の娘をここまで追いつめたあの子に何か言ってやらないと!』
鼻息も荒く言って来た義母に落ち着く様に座って下さいと言うと、2人は大人しく椅子に腰掛けた。
『芽依。正直に言って欲しいの。私はあなたの事を娘だと思っているの。その娘がこんなにされてたら、誰だって怒り狂うわよ』
義母の言葉に目を潤ませながら、芽依はポツリポツリとウィルの事を話し始めた。
全てを聞いた2人は、芽依を抱きしめるとあのボンクラ息子の目を覚まさせてやる!そう意気込んでいた。
この日から、芽依には義父母と言う強い味方が2人もついた。
義父母と言う強力な助っ人も現れ、夫を取り戻すべく3人でタッグを組んだ。
彼らからも夫婦でなるべく早くカウンセリングを受けた方が良いと助言を受けた。
リズが夫を説得するため、連日連夜芽依達の家にやって来ては…
『ウィル! 目を覚ましなさい!! その女が欲しいのは、グリーンカードであって、あなたじゃないのよ!』
『母さん! なんで母さんまで芽依と同じ事を言って来るんだ! 芽依! お前がある事ない事吹き込んだんだろ!』
リックに両肩を掴まれて、前後に揺さぶられながらも麻衣子は『違う私じゃない』と何度も首を横に振っていた。
『芽依! やめなさい! 芽依のお腹の中には赤ちゃんがいるんだぞ! 分かっているのか?!』
父親にそう言われ、ハッとした夫は掴んでいた芽依の腕を放した。
痛そうに摩る彼女の両腕には赤い痕がある。
『ウィル! お願いよ!もうバカな事は止めて芽依に謝るんだ! 今の君がやっている事は、君が一番嫌っている実のお父さんと同じ事をしているんだぞ! 分かっているのか?!』
『うるさい! うるさい! あんな男と一緒にするな!』
『芽依、これがお前が俺にやりたかったことか?幸せか?俺を陥れて幸せだろ?お前は本当に意地悪だ。俺が本当の愛に目覚めたって言うのに、なんで邪魔ばかりするんだよ』
『『ウィル!!』』
本当は静かに話し合いをするはずだった。なのに、話し合いはヒートアップ。ついにはウィルが怒って家を出ていった。
夫が怒って出て行った後、義父母達は夫の遺伝子上の父親の事を芽依に打ち明けた。
ウィルの父親のアルベルトは、イタリア系のアメリカ人。陽気なイタリア人の血を濃く受け継いだ、ロマンチスト。
高校の時にアルベルトとリズは恋に落ち、やがて結ばれるとすぐにウィルを身籠った。
付き合っていた頃から、アルベルトには何人もの女の影が散ら着いてた。それでも結婚したのは、リズ自身の意地だったと話してくれた。
結婚したいいけど、十代の若い二人に子育ては難しかった。結婚当初からアルベルトは女の家を渡り歩き、フラリと家に帰るとリズが貯めていたお金を持って、女の元に戻ると言う暮らしだったと言う。やがて自分の金がなくなると、今度は妻であるリズの名前を使って借金をするようになった。彼女が離婚を決めたのは、彼が息子に対し、暴力を震ったことが原因。それまではただ耐え忍んでた。
その後リズは高校を卒業後、看護士になるため、看護学校へ入学。
就職と共に離婚した。がむしゃらに働く間の子育ては、全てリズの母であるお義祖母が変わってやってくれていたと言う。
『お義母さぁん…』
芽依はリズを抱きしめるとさめざめと泣いた。
自分だけが不幸だと思っていた。だけどこんな身近に同じような体験をした人がいたなんて…。
義母は芽依を抱きしめるとウィルを更生させるためなら、なんだってやるわと鼻息も荒い。
『私も、ジョニーもあなたの味方よ。だから、もう我慢しないで』
『お、お義母さん…お、お義父さん…』
最大の味方を得た麻衣子は、リックを何とかして女から取り返そうと躍起になった。
PCで不倫裁判を調べてみるが、自分が想像していた事よりも遥かに分が悪い。
でも何とかして、相手を訴えたい。
夫をそそのかしたあの女に一泡ふかせたい。
そう思って調べてみれば見るほど、芽依はここカルフォルニアがどんなに矛盾しているかを知る事になる。
カルフォルニアでも南では白人主義ではなく、ほぼ平等で裁判が行われるが、北カルフォルニアになると裁判官も裁判員も全て白人になる。そうなれば、外国人である芽依には絶対不利になってくる。
あるブログに同じ郡で、自分と同じ様な日本人妻とアメリカ人の夫の離婚裁判の事が書いてあった。妻が妊娠中に夫が不貞をしたと言う、ほぼ芽依と同じケース。
違うのは、彼らには他に2人の子供達がいたことだけ。
親権を得るために、妻は弁護士を立て、夫の不貞を申し出るも。
結果は、妻の惨敗。
何処をどう見ても、浮気をした夫が悪いのに、子供は父親の元で暮らす事になり、父親が子供に日本語補習校に行かせることが全ての家庭不和の元凶だと裁判所に申し立てた。
全て夫の言い分が通ってしまったケースを読んでいて、何がフリーダムよ…白人主義は変わらないじゃない…やるせなさに芽依の決意は尻すぼみになってく。
弁護士でもピンからキリまでいるが、その女性が雇った弁護士は安い弁護士。
しかも、彼はアメリカ人ではないし、離婚専門の弁護士でもない。
弁護士料をケチったのが、全ての敗因だと書いてあった。
「弁護士料…高いよね…きっと…」
こんな事、誰に相談したら良いのかなんて分からない。
ましてや義母に相談するなんて事はできない。
1人また悶々と悩む日々が続く。
その間も、お腹は大きくなる。
それと比例するかの様に夫の金遣いは荒くなって来る一方。
バカにつける薬はないって言うけど、本当その通り。
女に見栄を張りたくて、自分がお金持ちみたく見せようと、現金を何十枚も持って歩いているなんて、本当のバカとしか言えない。
あまりに頭に来たから、夫の財布をチェックした時、レシートと金額を確認ついでにちょっとお金を失敬させてもらったわ。
私には全然何も買ってくれないくせに。
レシートはコピーして浮気の証拠写真を撮るとファイルに保存。そのファイルには今までのウィルの奇行の数々が記録されている。
テーラーの所でスーツを一着仕立てた時のレシートもここに入ってる。
クレジットカードが良い例だ。カードの請求書の額なんて、今まで見たことない金額になってるし。
「何コレ? これって…週末だけで1000ドル使っている事になるじゃない」
それもコピーすると画像を撮ってファイルに保存。
コピーの方は、バインダーにいれた。
後は、女の事を調べなきゃ。
女の方はウィルのフ◯イスブックにフレンドリクエストしていた人物だったから、すぐに分かった。
日本の何処出身で、何処の小学校を卒業して、中学はどこ、高校はどこか、大学までもすぐに出て来た。ここまで判りすぎるとフ◯イスブックも怖いわ。
25の時にナニ−プログラムでアメリカに来て、語学研修&仕事と言う風になっているけど、殆ど遊びである。
それなのに、豪邸みたいな家に住まわせてもらって、給料も貰え、その上お小遣いも月々700ドルも貰っているなんて、ヌルイ!
社会を舐めてる。
金持ちの男を引っ掛けるために、ここ(アメリカ)に来たとしか見れないじゃない。
女のページに飛ぶと、女の笑っている写真を見て、鼻で笑った。
「くそ女」
「あんたが笑っていられるのも今のうちよ」
芽依の事が心配だと家に来てくれた友人のアイラに、ようやく夫の不貞の事を話す事が出来た。
『芽依!そんな腐れチン◯なんて家から閉め出しな!家中の鍵と言う鍵を取り替えるのよ!』
彼女は代わりに怒ってくれた。
『何、それ!私が文句を言ってやるわ!』
女がナニーシステムを使ってアメリカに来た事が分かると、アイラはすぐにナニーシステムに匿名で電話を入れた。
『仕事以外の事をやっているナニーがいます。調べて下さい』
『ナニーをしないで、男漁っている人がいます』
『あなた方は、人の家庭をぶちこわす人を採用しているんですか?!』
苦情の電話を入れる時には、毎回調べ上げた代利子のナニー登録番号を告げた。
リズまでも、ナニーシステムに苦情の電話を入れる様になった。
これで、あの女も懲りるわよね。
義母のリズは、それだけじゃ飽き足らず、毎日のように代利子の携帯に電話をかけてる。
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RRRRR…鳴り響く電話にくすりと笑みを浮かべるのは、長い髪の女。
また彼のお母さんからなのね。
『息子とは別れなさい! あなたは人の家庭をこわして楽しいの? 』
「彼は私との生活を望んでいますよ。お母さん」
『!!あんたにお母さんなんて呼ばれたくないわ!この泥棒猫!』
『早く息子と別れなさい!あんたみたいな女は地獄に堕ちれば良いんだわ!息子を誑かして、親に会いたいなんて言う図々しさ。私も主人も絶対にあなたを認めない!』
ガチャンと一方的に切られた。
だが、女は女で強かだ。恋と言う物は、障害が大きければ大きいほど燃え上がるもの。彼女は自分の目的=グリーンカードを得るためならば、何だってやってやると決めていたようだ。
「ウィル…」
愛しい人に上目遣いで目をウルウルさせれば、彼はすぐに私を宝物の様に抱きしめてくれる。彼が妻帯者だろうがなんだろうが、構うものか。愛を勝ち取った方が正義なのだから。
私の計画は着々と進んでいるんだし。私のために良い踏み台になって頂戴ね。
お く さ ん。
女は涙ながらにあなたのお母さんに嫌われちゃったのかも…。でも私は負けないよ。だってあなたのお母さんは私のお母さんになる人、でしょ?だからどんなに嫌われたっていいの。ウィルが私を護ってくれるなら、私は強くなれるから。
涙目と震える声でそう訴えれば、落ちない男なんていない。
「大丈夫だ、君のことは俺が絶対護るよ!代利子」
ほら、その証拠に彼ったらもの凄い勢いで奥さんに電話をかけ始めちゃった。
「芽依!お前なんてことをしてくれたんだ!お前のせいで代利子が泣いてるじゃないか!お前が全て悪いんだ!あんなに優しい代利子を悲しませやがって。お前が代利子を傷つけたんだろ!!子供の親権は俺が貰う。芽依お前は一人で日本に帰れ!」
あらららら…。奥さんの負け〜。
愛してると言うウィルの言葉を強固にするため、女(代利子)は彼の母親と妻からの電話攻撃に悩まされていると告白すると、段々と彼女の声が小さくなって行った。
今にも消えそうな震える声で。
『ウィル…ごめんね…私達…やっぱり別れた方が良いのかな…。こんなに好きあっているのに…ウィルごめんね…全部私が悪いのよ…でも…別れたくないよぉ』
泣きじゃくる愛しい女からそんな事を言われれば、男は燃えるだけ。それは正にロミオとジュリエットのように障害のある恋に溺れて行く。
『違う!君は悪くない! 悪いのは俺たちの真剣な愛を分かってくれない周りの人間だ!』
金持ちの男を捕まえれた自分はなんてラッキーなの!代利子は今夜も彼の腕の中で幸せを感じる。
奥さんがいても子供がいても、彼らが勝手に別れてくれれば御の字だわ。
なら…女は唇をぺろりと舌なめずりをすると、これからの事を考えた。
「ねえ、ウィル。私ね、あなたとの思い出が欲しいの。このままお別れするなんて厭よ』
涙ながらの女の言葉に、ほだされたウィルは彼女にサンディエゴに行かないかと誘い出した。
ぱぁと顔を輝かせる代利子を見てウィルは、代利子は自分の女神だと本気で思っている。
いつもヒスばかり起こしている妻とは大違い。妻には代利子の優しさを見習って欲しいくらいだ。
それくらい彼女は儚く、淑やかだ。オレはこんな女性と本当は結婚したかったんだ。
あんなのじゃなく。
『でも…奥さんに悪いよ…』
『代利子。君はなんて優しい女性なんだ。大丈夫さ。離婚届は出したんだ。もうこそこそする必要はないんだ。オレとしては、一日でも早く君と一緒になりたい』
2人は、抱きしめると幸せを噛みしめていた。
『でも全部あなたに出させるわけには行かないわ。私だって自分の分の航空チケット代は、出したいの。何でもかんでもあなたに出させる事なんて酷いこと出来ないもの。ね、お願い。これくらいは出させてちょうだい』
『分かった。ならチケットはオレが取るよ。お金は後でくれれば良いから』
彼は自分の仕事のパートナーも巻き込んで、思い出作りを計画し始めた。
ただ、ここで誤算だったのは、アメリカではどちらかが離婚届を提出して、例えそれが受理されたとしても、そこで離婚が成立した事にはならないってこと。
ただの第一段階に過ぎないのだ。
そこから、離婚をするためには相手がアクションを起こして、コッチも離婚するからと言う書類を出さない事には離婚出来ない。
ウィルが出した離婚届は、役所のファイルの中にこれからずっと半永久的に存在するだけ。
まだ結婚していると言う意味で。
早くあの奥さんに諦めてもらわなきゃ。