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parfum

作者: めぐ

 においは、私が彼を想うことを簡単には許してくれない。いつだって息苦しさを伴わせる。

 夜の街から隠れるようにして乗り込んだ黒塗りの車、その助手席。ここにはいないのに痛いほど存在を感じさせる、におい。

 私と、彼と、彼女と。

 いいにおいだけど、でも。

「シートベルト締めろ」

「やだ」

「警察に捕まったらどうんすんだよ」

「捕まるなら捕まっちゃえば?」

 とか、子どもっぽい小さな抵抗。

 悠介が私にもう一度注意することはない。いつものことだ、と言わんばかりの空気を漂わせている。それなら言わなきゃいいのにね。

 私のことわかったみたいな表情を浮かべていて、なぜかきょうはそれに少しのいらつきを覚えた。

 心にささくれができたような、それを逆なでされているような、そんな感じ。


 同じように車道を走っていくヘッドライトが夜の街を照らす。夏の夜、星くずが地上に落ちてきたみたいに、ぼんやりと光る。都心の空はにごっているから逃げてきたのかもしれない。でも、地上は地上でこみごみしているし、とかくだらないことを考えていると、走り抜ける街の様子が変わっていた。落ち着きを携えて、上品にきらめいている。

 見慣れた風景。きょう行くホテルもきっといつものところだろう。抱かれて、サヨナラするのだ。

 何が楽しくてこんな関係を続けてるんだろう。いつまで経っても許されることはないのに。過去も今も、これからもずっと。

 愛されないと分かっていて続ける関係は身も心も容赦なく削ってくる。ひどく消耗する。

 それが、愛してほしい人相手なら、なおさら。

「明里」

 赤信号になって少しして、左側から声がして向くとキスしようとしていたから、そっぽを向いた。

 1番じゃないのに、そんな、恋人みたいなことしたくない。

 とか、子どもっぽい、些細な抵抗。

 信号が赤から青に変わると、再び車は動き始めた。あと少しで着く。

「ねぇ、車止めて」

 悠介は私の要望に素直に応じ、ガードレールの側に車を寄せた。

「きょうは帰る」

「なに急に」

「何でもいいでしょ」

 一台、二台、三台。次々と車が私たちを追い越していく。空は相変わらず、にごっている。

 悠介の方は見ずに道路へ出て扉を閉めた。その時にたった音が少し大きかったから、手にいらつきを込めてしまったのかも、と少し後味の悪さを感じて。でもそれを、車の前を横切るときに全部踏み潰した。

 ガードレールの切れ間から舗道に入る。さっきまでいた場所は振り返らずに、駅へ向かって歩き始めた。


「……子どもみたい」

 言いたいことはあった。理由だってあった。何でもよくは、なかった。

 でも、浮気相手、とかただでさえ虚しい間柄なのに、こっちが勝手に感情をぶつけて一人で虚しくなるのが、どうしても嫌だった。

 みっともなくて、だらしなくて。

 浮気相手の癖に変なプライドだけが育っていって、物わかりのよくてスマートな私でいたいと、そんなことばかり思ってきて、努めて。

 だからそういう風に振る舞ってきたし、きょうもそうするつもりだったけど失敗した。いままでで一番、においが残っていたからなのだろうか。

「ずるいよなぁ……」

 彼にはちゃんとした相手がいるけど、私には彼しかいなくて。そんなこと前から、それこそこんな風になる前から知っていたことだけど、そんな事実が時々、私をペシミストにさせる。

 悲劇のヒロインになんて、一生なれやしないのに。

 車に漂う香水のにおいはいい香りがするけど、罪悪感と苦しさと、羨望と救いのなさと、私たちの関係にまつわる様々を嫌でも思い起こさせる。

「いいにおい……だ、けど」

 何を言っても届かないのに、ひとりごとばかりが増える。ぽろぽろと口先からこぼれていく。

 後ろを振り返ると、悠介だけを乗せた車がまだ停まっているのが見えた。

 いいにおいだけど、だから。

「……嫌いだよ、やっぱり」

 言葉をぶつけたつもりになって、また前を向いた。

 東京タワーがすぐ近くにある。見上げたオレンジがかった赤い光は、心に優しくしみた。

 ぼうっとしていたらサラリーマンの集団がぞろぞろと続いてきて、私の周りを通っていく。ちらりと見えた左手薬指の輝きが、ちくりと胸を刺す。

 巻き込まれながらふと車道に視線を移すと、乗り慣れた黒塗りの車が走り抜けていくのが見えた。

 集団から解放されて視線を漂わせた少し遠くで、彼が左ウインカーを点滅させながら一つ目の角を曲がっていった。

 多分私には気づかなかったんだろうな。自分から降りたくせにどこか感傷的になってしまっていることには、気づかれたくないけど。

 集団もいなくなって、彼もいなくなって、残されたのは私ひとり。

「つかまっちゃえば、いいのに、ほんとに、ね」

 ぽつん、と、東京の街でひとりきりで、歩いていた。

「きょうまでのこと、あばかれちゃえば、いいのにね、ぜんぶ」

 ボロボロになっちゃえばいいのにね。

 何もなくなっちゃえばいいのにね。

「……でも、あいして、あげるのに」

 歩きながら見る東京タワーは、視界の中でぐらりと揺らめいている。



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