9. 昏き乙女の宣戦布告 〜ピクニックは地獄の香り〜
柔らかな日差しが降り注ぐ、学園の裏庭。
色とりどりの花が咲き誇る芝生の上にシートが広げられ、そこにはおよそこの世のものとは思えないほど不調和な光景が広がっていた。
「ははは! 素晴らしい。右に聖女、左に美しき特待生。これぞまさに王者の休息だな」
上機嫌でサンドイッチを頬張るのは、エドワード殿下だ。その両脇では、マリア(陽子)と私(結衣)が、顔を引きつらせたまま「置物」のように座っている。
私たちの後ろには、護衛として立つヴィンセント様。その背中からは、隠しきれない殺気と「早くこの時間が終わってくれ」という切実なオーラが立ち上っていた。
「マリア、レティシア。後で私自慢の馬車で王都を回ろう。民草も、未来の二人の王妃を見れば歓喜するに違いない」
「……それは、光栄ですわ(早く帰りたい)」
「……楽しみです、殿下(死んでも嫌だ)」
私とマリアが心にもない相槌を打っていた、その時だった。
「――あら。楽しそうなピクニックですこと」
鈴を転がすような愛らしい声と共に、一人の少女が歩み寄ってきた。
清楚なドレスを揺らし、無垢な笑顔を浮かべた私の義妹――アイリスだ。
その姿を見た瞬間、場に戦慄が走った。
マリアは即座に目を険しくして身構え、私の隣にいたヴィンセント様は、ガタガタと目に見えて膝を震わせ始めた。私は正体がバレぬよう、咄嗟に顔を伏せる。
「なんだ、アイリスか」
「はい、お兄様。あまりに美しいお二人を侍らせていらっしゃるので、羨ましくて」
「ふふん、そうだろう。お前も私のハーレムに入れてやってもいいぞ?」
アイリスはクスクスと笑いながら殿下の耳元へ顔を寄せた。
「結構ですわ。それより殿下、あんなに素敵なお二人を、ただ座らせておくだけなんて勿体ない。……次のパーティーで正式にお披露目して、逃げられないように『婚約者』にしてしまったらどうかしら?」
「……!?」
アイリスの瞳が、一瞬、底知れない闇に染まった。
闇魔法による精神操作。殿下の瞳から光が消え、まるで操り人形のように虚空を見つめる。
「……そうだな。その通りだ。逃げられては困る。すぐに、準備をさせなければ……」
殿下はフラフラとした足取りで、取り憑かれたようにその場を去っていった。
静まり返った裏庭に、アイリスの低く、粘りつくような声が響く。
「……田中君、見つけた。今世のあなたは、あんなに強くてかっこいい騎士様なのね。……でも、どうして? どうしてまた、隣に『あの女』がいるの?」
その視線が、私を射抜いた。
「お姉様……まさか、まだ生きていたなんて。本当にしぶといお邪魔虫ね、結衣さん」
「……っ!」
恐怖で声が出ない。ヴィンセント様は、前世のトラウマに縛られたように顔を青ざめさせ、立ち尽くしている。
「貴様……! レティシアを国外追放にするよう王子をそそのかしたのは、お前だったのね!」
マリアが鋭く叫ぶ。
「ええ。本当なら、馬車ごと谷底へ落ちて死体になっているはずだったんだけど。……あぁ、あなた。あの時の委員長ね。相変わらずうるさいわ」
「あなた、何者なの……!?」
「私は、田中君の最愛。……結衣さん、どうしてそんなに震えているの? 今度は王子と結婚させてあげるって言ってるのよ? 感謝してほしいわ」
アイリスは懐から、あの『裏帳簿』を取り出し、ひらひらと揺らした。
「記憶が戻る前から邪魔だと感じていたけれど、ヴィンセントが田中君だと分かったんだもの。当然の処置よ。二人には王子と結婚してもらって……そのあとは、公金横領の共犯者として、三人まとめて退場(処刑)してもらうわ。これがあれば、贈った側も受け取った方も、まとめて処分できるでしょう?」
「それを、返せ……!」
ヴィンセント様が、絞り出すような声で一歩踏み出した。だが、アイリスが指を鳴らした瞬間、地面から伸びた漆黒の影が彼の全身を縛り上げた。
「くっ……!? 体が、動かない……!」
「無駄よ、田中君。あなたの魔法耐性は知っているわ。でも、心の隙間がある限り、私の闇からは逃げられない……」
「――いい加減にしろ、このクソガキがぁ!!」
轟音と共に、マリアの拳がアイリスの顔面スレスレを通り抜け、背後の木を粉砕した。
眩いばかりの光の魔力を纏った、問答無用の物理攻撃。
「きゃっ!? ……光属性の物理なんて、相性最悪……!」
アイリスは忌々しげに顔を歪め、闇の霧の中へと溶け込んでいく。
「……今日は引いてあげる。でも無駄よ、シナリオはもう書き換わらない。パーティーを楽しみにしていてね、お姉様」
気配が消え、ヴィンセント様を縛っていた影が霧散した。
「二人とも、大丈夫……?」
マリアが駆け寄ってくるが、私の震えは止まらなかった。
殿下を操り、裏帳簿を武器に、私たちを「結婚」と「死」の罠へ引きずり込もうとするアイリス。
「私が……また、あの王子と結婚? ……そんなの、絶対に嫌!!」
青空の下、私の絶望に満ちた叫びだけが、虚しく響き渡っていた。




