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7. 真夜中の生徒会室に潜む危険

 静まり返った夜の学園。

 私は足音を殺し、慣れた手つきで生徒会長室の扉を開けた。


(……やっぱり、ここにはないか)


 昼間の宝石店で見せた、エドワード殿下の不自然なサイン。

 かつて王宮で、殿下の杜撰な金銭管理を陰で支え、書類の辻褄を合わせるために夜通し数字と格闘していた私には分かる。あの男は、公私の区別を「わざと」混濁させている。


 表面上の帳簿は、先ほど確認した。一見完璧だが、あれは私に見せるためのダミーだ。本物はもっと別の、彼が「自分専用」だと信じている場所に隠されているはず。


 引き出しの裏、額縁の隙間、あるいは――。


 ――コツ、コツ。


 廊下から響く規則正しい足音。心臓が跳ね上がる。

 私は迷わず、部屋の隅にある大型の備品ロッカーへと滑り込んだ。


(……誰? 殿下? それとも警備?)


 隙間から様子を伺うと、一人の影が部屋に忍び込んできた。

 その人物は慣れた様子で、私が先ほど探っていた棚の「奥」にある隠し仕掛けをあさり始めた。

(泥棒……!? いや、動きがプロだわ)


 息を止めて見守っていると、廊下からさらなる話し声が近づいてきた。


「……殿下、いい加減にしてください。今月の予備費、もう底をついています!」

「うるさい。マリアを聖女として御披露目すれば、寄付金などいくらでも湧いてくる。あれは先行投資だ」


 殿下と、生徒会会計の令息だ。

 部屋にいた「影」が、咄嗟の判断で私の隠れているロッカーへ飛び込んできた。


「……っ!?」


 狭いロッカーの中に、もう一人の熱い体温が押し込まれる。


 驚きで悲鳴を上げそうになった私の口を、大きな手のひらが優しく、けれど力強く覆った。

 微かに漂う、洗練されたサンダルウッドの香水と、わずかに混じる懐かしい石鹸の匂い。


「……静かに。僕です、レティシア」

 耳元で囁かれた、低く、熱を帯びた声。ヴィンセント様だ。


 逃げ場のない密着

 ロッカーの中は、二人で入るにはあまりに狭すぎた。

 私の背中は冷たい鉄板に押し付けられ、正面からはヴィンセント様の逞しい胸板が、逃げ場を塞ぐように迫っている。


 密着した脚から伝わってくる、彼の体温。

 これまでの「騎士」としての彼からは想像もできないほど、その体は硬く、そして微かに震えていた。


(……近い。近すぎるわ、田中君……!)

 私の脳内はパニックに陥っていた。


 前世では、教室の隅でラノベを読んでいた彼。

 けれど今、目の前にいるのは、鍛え上げられた体躯を持つ、この国最強の騎士の一人なのだ。

 彼の吐息が私の前髪を揺らし、首筋に熱が溜まっていくのがわかる。


 ドクッ、ドクッ、ドクッ――。


 私の胸に、彼の心臓の音が直接響いてくる。

 それは、冷静沈着な従者ヴィンセントのものとは思えないほど、激しく、速いリズムを刻んでいた。


(……嘘。こんなに脈打ってる。ヴィンセント様、そんなに緊張してるの……?)


 ふと彼を見上げると、隙間から漏れる月光が、彼の横顔を照らしていた。

 眼鏡の奥の瞳は、必死に理性を保とうと一点を見つめている。

 けれど、その耳たぶは火がついたように赤く染まり、浮き出た首筋の筋が、彼がどれほどの自制心を働かせているかを物語っていた。


「……あん」

 あまりの熱気に耐えかねて、私の口から、熱い吐息が漏れてしまった。


「今、何か聞こえなかったか?」

 扉のすぐ向こうで、エドワード殿下の声がした。


 心臓が止まるかと思ったその瞬間、ヴィンセント様の腕が、さらに強く私の腰を引き寄せた。

 彼の大きな手が私の後頭部をそっと抱き、自分の肩へと顔を埋めさせる。


(あぁ……彼の心臓の音が、私の耳の中で爆発しそう……!)


「殿下、話を逸らさないでください。それより、この裏帳簿……」

 会計の令息の声が聞こえる間、ヴィンセント様は私を抱きしめたまま動かなかった。

 彼の腕の中は、不思議なほど安心できて、けれど気が遠くなるほど官能的な熱に満ちていた。

「田中君」でもなく「ヴィンセント」でもない、一人の男としての彼の鼓動が、私の胸の中を掻き乱していく。


「これ以上は、監査を通せません。生徒会の運営費まで宝石に変えるなど、正気の沙汰ではない!」

「黙れと言っている。文句があるなら、貴様の家を潰してもいいのだぞ?」

「……っ!」


 殿下の冷酷な脅しに、会計の少年が絶句する。

 殿下は反省する様子もなく、吐き捨てるように言った。


「その帳簿はそこにしまっておけ。余計なことを考えず、私の言う通りに数字を書き換えればいいのだ」

 渋々、会計が帳簿を元の場所へ戻し、二人は部屋を去っていった。


 殿下たちが部屋を去り、静寂が戻っても、私たちはしばらくの間、離れることができなかった。

「……ヴィンセント様、あの」

「すみません。一瞬、迷ったのですが、ここしかなくて」


 ロッカーから這い出すと、二人の間に気まずく、どこか甘い熱を帯びた空気が流れた。

 ロッカーの扉を開けた時、流れ込んできた夜風すら、二人の間に漂う甘く苦しい余韻を消し去ることはできなかったのだ。


 ヴィンセント様は顔を背け、眼鏡を直しながらも、迅速に先ほどの隠し場所から裏帳簿を確保した。


「……レティシア。こういう危険な真似は、僕がやりますと言ったはずです」


 振り返った彼の顔は、いつになく険しかった。

 彼は私の両肩を掴み、射抜くような目で見つめてくる。


「君に、もしものことがあったら……僕は、何のためにここにいるのか分からなくなる」


「……ごめんなさい。でも、私も力になりたいの。王子の肩代わりをしていた私なら、この帳簿の読み方も一番よく分かるから。……田中君だけに、背負わせたくないの」


 私の言葉に、ヴィンセント様は苦い表情で吐き出した。

「……本当に、君は昔から……。分かりました。ですが、一人では二度としないでください。約束です」


 彼は震える手で、私の小指に自分の小指を絡めた。

 今世での「騎士」としての誓いではなく、前世での「戦友」としての、不器用な指切り。


「……はい、約束します」


 手元に握られた、決定的な証拠。

 私たちは繋いだ指を解かないまま、夜の静寂へと溶け込むように部屋を後にした。



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