表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/10

6. 歩き食べの幸福と、追跡者たちの影

 宝石店を出た後、私は広場の一角から漂う甘い香りに足を止めた。

「あら……。あそこに並んでいるのは?」


 そこには、鉄板の上で薄い生地を焼き、フルーツとクリームを包み込む――前世で大好きだった『クレープ』にそっくりの屋台があった。


「なんだ、あのような卑俗な食べ物は。食事なら最高の三ツ星レストランを予約してあるのだが」

「でも、とっても美味しそうですわ。殿下、あのような場所で食べるのも、また一興ではありませんか?」


 私が小首をかしげて微笑むと、殿下はあっさりと陥落した。

「……ふむ。君がそこまで言うなら、試してみるのも悪くない」


 焼きたてのクレープを受け取り、私は大きく一口頬張った。

 口の中に広がる優しい甘さとモチモチの食感。公爵令嬢時代、淑女の教育として「歩き食べ」なんて言語道断だった私にとって、これは背徳的なまでに美味しい。


「……んん、美味しいっ!」


「……ほう。意外といけるな。それにしても君は、宝石よりもそのクレープ一つでそんなに嬉しそうな顔をするのか。……面白い女だ」


 殿下が見惚れたように私を見つめる。

 その後ろで、ヴィンセント様が幸せそうに頬を膨らませる私を見て、眼鏡を曇らせながら魂を抜かれたような顔で見惚れていた。


 ふと視線を外すと、少し離れた物陰から派手な帽子を被ったマリアと、付け髭をしたカイルがこちらを覗いているのが見えた。

(……バレバレよ、二人とも)


 マリアは呆れたように首を振っている。

 一方のカイルは、尾行の空腹に耐えかねたのか「……俺も買ってくる」と呟き、屋台へ向かった。

 戻ってきたカイルは、二つのクレープを手にマリアへ一つ差し出す。


「ほら、食うだろ。聖女様」

「……気が利くじゃない。お礼に半分あげてもいいわよ」


 そんな二人の様子を遠目に見ながら、私は(あら、意外とお似合いじゃない?)と、復讐を忘れてニヤニヤしてしまった。


 ◇


 平和な時間は、広場に響いた女性の悲鳴で破られた。


「泥棒! 誰か、そのカバンを捕まえて!」


 人混みを縫って逃げるひったくり。

 エドワード殿下が「なんだ、騒々しい」と眉をひそめた瞬間、ヴィンセント様が弾かれたように動いた。


「――逃がしません」


 風のような速さで犯人を追うヴィンセント様。

 同時に、物陰から「おっと、仕事か」とカイルが飛び出し、鮮やかな連携で犯人の進路を塞いだ。

 ヴィンセント様が犯人の腕をひねり上げ、地面に押さえつける。


 その無駄のない、凛々しい動作。


「……かっこいい」


 思わず声が漏れた。

 いつもは「田中君」として挙動不審な彼が、今は国を守る本物の騎士に見える。

 私の胸が、少しだけ熱くなった。


「ヴィンセント、よくやった! ……ん? 待て、そこにいるのは……マリアか!?」


 騒ぎのどさくさで、殿下がマリアの変装を見破った。

 マリアは「ちっ」と舌打ちして姿を現す。

 殿下は一瞬驚いたものの、すぐにニヤァと、これ以上なく下劣で勝ち誇った笑みを浮かべた。


「そうか、そうか! 私のデートが気になって追いかけてきたのだな! 仲良く私を奪い合うとは、女とは度し難いものだ」


 マリアとレティシア、二人の肩を同時に抱こうとする殿下。

「よし、今日からは二人とも、俺の女にしてやろう!」


「「…………」」


 マリアは氷のような無表情で「クズが」と即答した。

 ヴィンセント様の背後からは、もはや物理的な冷気が吹き荒れ、殺気が広場を包み込む。

 カイルは「……俺の存在には気づきもしないのか、あのバカ」と虚無の表情でクレープの最後の一口を飲み込んだ。


 私は、王子の腕を華麗にかわしながら、そっとヴィンセント様の横顔を見た。

 彼の青筋が立った拳と、それでも私を案じて真っ直ぐに向けられる瞳。

(……早く、あの田中君――じゃなくて、ヴィンセント様と一緒に笑い合えるようになりたいな)


 復讐への決意と共に、少しだけ、私の心に新しい風が吹いた気がした。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ