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番外編1:仮婚約者の悩みと、恋愛市場の残酷な法則

 嵐のような断罪パーティーと、バルコニーでの劇的な告白から一夜明けた、翌日の午後。

 私はマリア――前世からの親友である陽子――の部屋に招かれ、二人きりのお茶会をしていた。


 昨夜の熱狂が嘘のように穏やかな日差しの中、マリアは優雅に紅茶のカップを置くと、いきなり本題を切り出した。


「で。……ぶっちゃけ、あれからどうなったのよ?」


「ぶっ……!?」


 私は飲んでいた紅茶を危うく噴き出しそうになった。

「あ、あれって、何がよ……」

「とぼけないでちょうだい。バルコニーでのことよ。ヴィンセント、あんたにプロポーズしたんでしょ? 皆が解散した後、二人きりで」


 マリアのニヤニヤした顔を見て、私は観念した。

 顔から火が出そうだ。

 私はソファにあったクッションを抱きしめ、その中に顔を埋めた。


「……うん。された。結婚してほしいって」


「でしょーね。あの田……ヴィンセントの溺愛ぶり見てたら、そうなるわよ。で、もちろんOKしたんでしょ? めでたしめでたし、ってわけ?」


 私はクッションに顔を埋めたまま、ふるふると首を横に振った。


「……は? 嘘でしょ。あんた、断ったの!?」

 マリアの素っ頓狂な声が響く。


「ち、違うわよ! 断ってはいないわ! ただ……その、保留にしたの」

「保留ぅ?」


 マリアが呆れたようにため息をつく気配がした。

「なんでよ。あんたも満更じゃなかったじゃない。まさか、急だったから心の準備が、とか寝ぼけたこと言うんじゃないでしょうね?」


「……それもあるけど、違うのよ」

 私はクッションから顔だけ出して、モジモジと言い訳を始めた。


「だって……前世が問題なのよ」


「は? 前世?」

 マリアが怪訝な顔をする。


「そう。ヴィンセント様が……ううん、田中君が好きだったのは、前世の冴えない女子高生だった『結衣』でしょ? 今の私じゃないのよ」


 そう言うと、マリアは「何言ってんのコイツ」という顔をした。

「あんたねぇ。前世も今も、中身は一緒でしょ」


「違うわよ! だって私、見た目が明らかに超美人になってるじゃない! 自分で言うのもなんだけど!」


「……まぁ、否定はしないけど」


「それもあって、彼が私自身を見てるのか、思い出の中の『結衣』を見てるのか、自信が持てないのよ」


 私はずっと抱えていたモヤモヤを吐き出した。

「それに、それを言ったらヴィンセント様だってそうよ。見た目は完璧な騎士様で、行動力もあって、前世の田中君とは大違いじゃない。もし、前世の姿のままで告白されてたら、私、正直OKしてたか分からないし……」


 自分たちが劇的に変わりすぎて、お互いのどこを好きになったのか、分からなくなってしまったのだ。


 マリアはしばらく天井を仰いでいたが、やがて「あーあ」と大きなため息をついた。


「……あのねぇ。それ、贅沢な悩みって言うのよ。お互い成長したんだから、それでいいじゃない」


「でもぉ……」


「まったく。で、保留って具体的にどんな状態なわけ?」

「えっと……とりあえず、『仮婚約』ってことにしてあるわ」


「はぁ……。『仮』ねぇ……」


 マリアは呆れた様子で紅茶を一口飲むと、急に真剣な「委員長の顔」になった。


「まぁ、あんたの複雑な乙女心も分からなくはないけどね。ゆっくり二人で話し合って……なんて、悠長なことを言っていられない状況だってこと、分かってる?」


「え? どういうこと?」

 私が首を傾げると、マリアはピシャリと言い放った。


「あのクズ王子が失脚したのよ? つまり、継承権第二位だったヴィンセントが、名実ともに『王太子』になるの。分かる? この国で最も価値のある独身男性になったってことよ」


「あ……そうだったわね」

 昨日の今日で、そこまで頭が回っていなかった。


「これからのヴィンセントはね、国中の貴族令嬢から、それこそハイエナのように狙われる立場になるのよ。玉の輿を狙う女は後を絶たないわ」


 私は少し考えてから、楽観的に答えた。

「そうね。でも大丈夫よ。ヴィンセント様はずっと『女嫌いの堅物』で通ってたし、そう簡単には寄ってこないんじゃない?」


 するとマリアは、憐れむような目で私を見た。

「甘いわね、結衣。……その『女嫌い』の防波堤、誰が崩したと思ってるの?」


「えっ……」


「あんたよ。あの堅物騎士が、実は特定の女性あんたにはデレデレで、情熱的なアプローチをする男だってことが、昨日のパーティーでバレちゃったのよ」


「で、でも! それなら私がパートナーとして隣にいるんだから、他の人は遠慮して寄ってこないんじゃ……」


「逆よ、逆!」

 マリアがバン! とテーブルを叩いた。


「いい? よく聞きなさい。男っていう生き物はね、『独り身』の時より、『特定の相手』がいる時の方がモテるのよ」


「ええっ!? なんで!?」

 私の常識とは真逆の理論だった。


 マリアは眼鏡をクイッと上げる仕草(今は眼鏡なんてかけていないのに)をして、恋愛市場の残酷な真実を語り始めた。


「あのね、『すでに誰かに選ばれている』っていう事実が、その男の価値を保証するのよ。特に、そのパートナーが美人であればあるほどね」


 マリアが私を指差す。

「つまり、あんたみたいな超美人が隣にいることで、周囲の女たちはこう思うの。『あの絶世の美女が選んだ男なんだから、ヴィンセント様は間違いなく最高優良物件だわ!』ってね」


「な、なるほど……?」


「さらに言えば、『あんな美人が相手じゃ勝ち目がない』って諦める女ばかりじゃないわ。『あの女から奪い取れば、私はあの美人以上の価値がある女ってことになる!』って燃え上がるタイプも多いのよ、この世界の貴族社会は」


 私は顔面蒼白になった。

「えーっ、それってすごくマズいわ!」


「そうよ。だから言ってるじゃない。あんたという美人が隣にいるせいで、今、ヴィンセント様のモテ度は全盛期の田中君の1億倍くらいに跳ね上がってるのよ。非常事態よ」


 田中君の1億倍。想像もつかない数字だが、とにかくヤバイということだけは分かった。


「……『仮』なんて悠長なこと言ってる場合じゃないわね」

 私はクッションを握りしめた。

 あんなに頑張ってくれた田中君――ううん、ヴィンセント様を、他の女のアクセサリーになんてさせてたまるもんですか。


 マリアはニヤリと笑った。

「分かったら、さっさと腹を括りなさい。『仮』の文字を外して、私が本物の婚約者よって周囲を威圧して回るのよ。それが王太子妃の最初の仕事ね」


 私は残りの紅茶をグイッと飲み干すと、立ち上がった。


「うん、分かった! 私、頑張る!」


「ええ、頑張りなさい。……ふふ、退屈しなくて済みそうだわ」


 こうして私は、自分自身への嫉妬なんていう贅沢な悩みを吹き飛ばし、王宮という名の新たな戦場へ赴く覚悟を決めたのだった。



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