13. 虚飾の悪夢と、真実の誓い
「――あなたのような下品な駒は、もう必要ないわ」
アイリスの冷淡な宣告が会場に響くと同時に、エドワード殿下の足元からドロリとした漆黒の影が這い上がった。
「な、なんだ!? やめろ、アイリス! 私を助け――」
悲鳴は最後まで続かなかった。殿下は逃れる術もなく、底知れない闇の中へと静かに沈み、消え去った。
「エ、エドワード! 衛兵! 衛兵を呼べ! あの狂った娘を捕らえよ!」
国王陛下の怒号が響く。
だが、駆けつけた近衛兵たちの瞳は、アイリスが指を鳴らした瞬間に濁り、淀んだ。
「無駄よ。この人たちの心、もう私の闇で満たしてあげたから」
操られた兵士たちが、逆に牙を剥いて参列者たちに襲いかかる。会場は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図へと変わった。
「正気に戻りなさい、このバカ共ぉ!!」
混乱の渦中、鋭い叫びと共に銀色の閃光が走った。マリアだ。
彼女は襲い来る兵士の剣を紙一重でかわすと、その手のひらに眩いばかりの聖なる魔力を収束させた。
「――聖属性物理・平手打ち(セイント・スラップ)!!」
――パーンッ!!
乾いた音と共に、近衛兵の頬に強烈なビンタがめり込む。
物理的な衝撃と聖魔法の浄化が同時に脳を揺さぶり、操られていた兵士は白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
「カイル、そっちは任せたわよ!」
「ああ、無茶をするな、マリア!」
カイル様が剣を振るい、兵士たちを峰打ちで制圧していく。
だが、アイリスの狙いは彼らではなかった。
「……見つけた。田中君、今度こそ二人きりになりましょう?」
アイリスが、怯えるヴィンセント様へ向けて闇の奔流を放つ。
前世のトラウマで体が動かないヴィンセント様を、私は無我夢中で抱きしめた。
「田中君、危ないっ!」
その瞬間、視界が真っ暗に染まった。
気づけば、私はあの日のコンビニにいた。
レジに並ぶ私。手元には期間限定のプリン。
だが、何かが違う。
入り口近くの雑誌コーナー。田中君は一人ではなく、隣にアイリス――美紀と並んで、楽しげに笑いながら雑誌を眺めている。
彼は、こちらを一度も見ない。
私の存在など、視界にすら入っていないかのように。
「……本当は、こうなるはずだったのよ」
虚空からアイリスの声が降ってくる。
「あなたが田中君を巻き込まなければ、彼は死なずに私と幸せになっていた。……あなたが彼を殺したのよ、結衣さん。死んで詫びなさい」
コンビニのガラスを突き破り、暴走車が突っ込んでくる。
美紀が田中君の腕を引き、二人は軽やかに避ける。私だけが、逃げる術もなく、冷たい床の上で死を待つ。
(ああ……私のせいで、彼は……)
「――いい加減にしなさいよ、このストーカー女ァ!!」
闇の結界が、外側からの凄まじい衝撃で震えた。マリアの平手打ちが、アイリスの精神防御を力ずくで揺さぶっているのだ。
「チッ、もう少しだったのに……本当に厄介な聖女ね」
アイリスの集中が削がれた隙に、マリアの魔法が私の意識に直接流れ込んできた。
『結衣、しっかりしなさい! それは偽物の記憶よ! ヴィンセントの魂が深淵まで落ちてる、このままじゃ戻ってこれないわ!』
「でも、マリア……彼は、私のせいで……」
『バカ言わないで! 魂を直接繋ぎなさい! 粘膜接触よ! それであなたの意識をあいつの脳内に叩き込むの! やりなさい!!』
「え……粘膜!? ……あ、もう、分かったわよ!」
私は闇の中で眠るヴィンセント様の首にしがみつき、その唇に自分の唇を重ねた。
ヴィンセント様の精神世界。
闇に沈みかけていた彼の意識の中で、私は叫んだ。
「ヴィンセント様! 田中君! もし、前世であの日、私があなたを巻き込んだのだとしたら……責任は私が取る。だから、あなたはもう、自分を責めないで!」
沈みゆく彼の手を、私は強く、強く引く。
その時、暗闇の中でヴィンセント様がゆっくりと目を開けた。黄金の瞳が、力強く輝き出す。
「……違います、結衣さん。責任を感じる必要なんて、どこにもない」
彼は私の腰を引き寄せ、抱き留めた。
「あの日、僕は、僕が君を助けたかったから動いたんだ。……今度こそ、僕が君を守って見せます」
現実世界。
二人の周囲を覆っていた闇の繭が、内側から弾け飛んだ。
「――っ、起きたのね!? 粘膜接触、成功ね!」
マリアの叫びと共に、ヴィンセント様が剣を抜き放つ。
「アイリス。君の独りよがりな『あの日』は、もう終わりだ」
「田中君……嫌、どうしてそっちへ行くの!?」
アイリスが叫び、闇の刃を振るう。だが、覚醒したヴィンセント様の一撃の方が速かった。
「はあああああッ!!」
ヴィンセント様の剣が、アイリスの体を袈裟斬りに一閃する。
「ぎゃあああああああッ!!」
鮮血が舞い、アイリスは深手を負って床に伏した。だが、彼女は執念深く、血を吐きながら笑った。
「……まだよ……。こんな傷、すぐに影で塞いで……また、あなたの隣に……」
アイリスの体が影の中に沈み込み、彼女は霧散するように逃走した。
「待て!」とカイルが追おうとするが、ヴィンセント様がそれを制した。
「深追いは禁物です。彼女の魔法は、追い詰められるほどに厄介になる……」
会場に静寂が戻る。
私は、隣に立つヴィンセント様の腕を、まだ震える手で掴んでいた。
「ヴィンセント様……」
「大丈夫ですよ、結衣さん。これからずっと隣で守ります」
彼はそっと、私の額に口づけを落とした。
断罪は済んだ。だが、私たちの戦いと、そして「本当の」物語は、ここから始まるのだ。




