10. 絶望の作戦会議と、偽装の盾
月明かりすら届かない、学園旧校舎の一室。埃の舞う静寂の中で、ヴィンセント様は頭を抱えて低く呻いた。
「……最悪だ。すべては僕の、痛恨の失策です」
その声は震えていた。最強の騎士としての誇りではなく、大切な人を守り損ねた「田中君」としての絶望が、彼の背中を小さく見せている。
「ヴィンセント、自分を責めるのは後にして。今は現状を整理しましょう」
マリアが冷徹な声で促す。カイル様も腕を組み、険しい表情で頷いた。
「俺が、あの帳簿をアイリスに奪われたせいだ。……あれが手元にあれば王子を断罪できたが、アイリスが持っている今は、話が別だ。彼女ならあの数字を逆手に取って、贅沢を共にした『共犯者』としてレティシアとマリアを道連れにするだろう」
ヴィンセント様の言葉に、私は背筋が凍るのを感じた。アイリスならやりかねない。いや、彼女なら喜んでそうするだろう。
「婚約発表のパーティーに出席しなければ、操られた王子のことだ、勝手に話を進めて既成事実化するだけ。事前に断ろうとしても、今の王子には話が通じないわね」
マリアの分析に、カイル様が拳を机に叩きつけた。
「なら、パーティーに乗り込んで、公衆の面前で断るしかないってことか」
「ええ。でも、ただ断るだけじゃ『不敬罪』で私たちが処刑される。だから、理由が必要なのよ」
マリアが私とヴィンセント様を交互に見た。
「……**『偽装恋人』作戦よ。** あいつの得意な『真実の愛』とやらを、私たちも掲げるの。私とカイル、そしてレティシアとヴィンセント様。この二組でパートナーを組んで、王子の鼻っ面で愛を誓ってやるのよ」
「真実の愛、か……」
ヴィンセント様が自嘲気味に呟く。
「皮肉な話だ。だが、それでもアイリスが黙ってはいない。彼女がパーティーの最中にあの帳簿を陛下に差し出せば、僕たちの『愛』ごと、処刑台に送られる」
部屋に重苦しい沈黙が流れる。
この詰みきった盤面をひっくり返す方法は、たった一つ。
「……取り戻すしかありません。パーティーが始まる前に」
ヴィンセント様が顔を上げ、眼鏡の奥の瞳に鋭い光を宿した。
「アストレア公爵邸に忍び込みます。アイリスの部屋か、あるいは公爵の金庫か。闇魔法の気配を辿れば、必ず見つけ出せるはずだ」
「一人で行くつもり? 相手はあのアイリスよ。前世のストーカー気質を魔法で強化したような化け物なのよ」
マリアの懸念に、私は椅子を蹴るようにして立ち上がった。
「私も行くわ。ヴィンセント様」
「レティシア!? いけません、あそこは今の君にとっては地獄のような場所だ」
「……あそこは私の家よ。隠し通路も、警備の穴も、誰よりも私が知っている。それに、田中君だけに背負わせたくないの。私たちは……戦友でしょ?」
私はヴィンセント様の震える手を、正面からしっかりと握った。
彼は一瞬だけ、かつての「田中君」のように情けない顔で私を見つめ、それから深く、深く息を吐いた。
「……分かりました。二人で行きましょう。僕たちの未来を取り戻しに」
「ちょっと待って二人とも、アイリスと直接対峙するなら聖魔法使える私も行くわ」
「いえ、今回は手帳の奪取が目的です。アイリスがいない時を狙います。二人には学園でアイリスの監視をお願いします」
「分かったわ。でも、アイリスが何か仕掛けているかもしれないわよ」
「それは承知の上です」
繋いだ手に少し痛いほど力が込められた。
カイル様とマリアは、学園でアイリスの監視を引き受けてくれた。
決戦は数日後。かつて私を冷遇し、国外へと追い放った呪われた公爵邸。
そこへ、今度は自分の人生を奪い返すために潜入する。
復讐への決意と共に、私の胸には別の熱い鼓動が刻まれていた。
(パーティーが終わったら……今度は『偽装』じゃない言葉を、あなたに伝えたい)
地獄の淵で、私たちは反撃の牙を研ぎ始めた。




