小説「水明」の真実 それは果たして「友情」だったのか
私はいつもに増して夢中になって、その原稿を読んでいた。
400字詰め原稿で2500枚。長編だ。
それでも読む手は止まらない。気が付いたら10万字を読み終わっていた。
思わず言葉が出た。「これは傑作だ」
そう思う人間は絶対に私だけではない。世に出せば、多くの人が私に共感してくれるだろう。
この作品を世に出したい。いや、出すべきだ。だが……
この作品の作者は南村松陽なのである。
それでも私は南村に言った。言わずにはいられなかった。
「南村。この作品は世に出すべきだ。私一人がこの素晴らしい作品を知っているなんてあってはならないことだ」
「ふっ」
南村はニヒルに笑った。また痩せたようだ。食事はとっているのだろうか。トレードマークの丸眼鏡のひびもまた大きくなった気もする。
「僕の名前を出した途端、吉久はなりふりかまわず潰しにかかる。それが僕にとって自信作であれば余計にね」
南村松陽。世が世なら天才作家として、下にも置かない扱いを受けているであろう才能の持ち主だ。
かつて文士になるという固い決意をもって精進していた私。その私に文士になることを諦めさせ、文化省の官吏への道を選ばせたのは……
それは帝大で出逢った南村松陽の才能を知ってしまったからだ。本当の文士とはこういう男のことを言うのだ。それを嫌というほど思い知らされた。
南村自身も己の才能を自覚していた。高慢ともとれるその態度は多くの者を南村から遠ざけた。それでも私を含め多くの者が南村の周りにはいた。
決定的だったのはパーティーの席上で、極北文芸社主吉久旬に向かい、酔った勢いでこう言い放ったことだ。
「貴様なぞは『文士』ではない。『文士』にたかり甘い汁を吸おうとする蝿だ。近寄るな下郎が」
文壇ばかりか戯曲の世界でも絶大な影響力を持つ吉久を完全に敵に回すこの行為。これで南村の作品は極北文芸ばかりか、吉久を恐れる他の版元でも取り上げられなくなった。
かくて南村の周りからは私以外の人間は誰もいなくなった。南村の両親は既にこの世の人ではなかった。
それでも私だけは南村から離れなかった。南村が綴り続ける作品にはそれだけの抗い難い魅力があったから。
「文化省の文芸課長様。この私に何の用ですかな?」
極北文芸社の応接で私は吉久と会っていた。
「吉久さん。お忙しいところすまない。何も言わずこの原稿を読んでほしい」
「ほう。文芸課長様のご推薦とは。興味深いですな」
ぱらぱらと原稿用紙をめくる吉久。やがてその目が光りだす。南村は吉久をなじったが、吉久もまた「文士」であり、優れた「編集者」なのだ。
読み終わった吉久は静かに言った。
「文芸課長様。この作品の作者は南村松陽ですな?」
「やはり分かるか」
「これを私にどうしろと?」
「この作品を世に出してほしい」
「……」
しばしの沈黙の後、吉久は口を開いた。
「非常に不愉快だ。あなたが文化省文芸課長でなければ、この場から叩き出しているところだ」
「その気持ちは分かる。だが……」
私は応接のテーブルに両手をつき、吉久に向かい、深々と頭を下げた。
「それでもこの作品を世に出してほしい。吉久さん。この傑作を知るのがこの世で我々二人だけというのは余りにも罪深いと思わないか?」
「……」
吉久はしばし熟考し、口を開いた。
「そこまで言われるのなら、この作品を世に出しましょう。但し、一つだけ条件がある」
「何なりと」
「この作品の作者は南村松陽ではなく、あなたが作者ということでよいなら世に出しましょう」
その言葉に私は思わず立ち上がった。
「吉久さん。本気で言っているのか? あなたも『文士』ならやっていいことと悪いことが分かるだろう?」
「私は南村から衆人環視の下、『文士』ではないと言われた男です。私にも意地がある。私のやろうとしていることが悪いことと言うなら、南村が私に暴言を吐いたことはどうなんです?」
私は苦悩した。友の傑作を己が作品として世に出す。それは間違いなく卑劣な行為だ。しかし、この傑作が世に出ないというのは……
私は頷いた。
「分かった。私の名前でいい。世に出してくれ」
私の名前で世に出た小説「水明」は大ベストセラーになった。私と吉久のやり取りを知らない極北文芸の編集者、他の版元の編集者もこぞって我が家を訪れ、次作の執筆と文化省を退官して、専業作家になることを勧めた。
もちろん私は断った。「申し訳ないがもう小説を書くつもりはない。文化省の官吏も一生勤め上げるつもりだ」と言って。
ようやく「水明」ブームも下火になってきたと思われたその日、比較的早く家に帰れた。
「お父さま」
一人娘の綾が玄関まで迎えに来てくれた。何やらはにかんでいる。
「あなた。綾はまた綴り方で優等をもらったそうですよ」
妻の言葉に納得した。もらった賞状を見せたかったのだろう。
「綾も頑張って、お父さまのような立派な『文士』になりたいのです」
いや、綾。私は偽『文士』だ。本物の『文士』は南村や吉久の方なんだ。
その時だった。「すみません。こちらは佐倉さんのお宅で?」巡査さんが訪ねてきたのは。
「そうですが」
「南村松陽さんをご存じで?」
「!」
小説「水明」出版の一件から私も気まずくて南村には会っていない。
「南村がどうかしたのですが?」
「亡くなられました」
「!」
「病死です。身寄りがなくて、近所づきあいも全くなかったので病気になっても誰も頼れなかったようです。ただ、近所のおばあさんが時折あなたが訪ねてきていたのを見たと言っていましたので、念のためご連絡を」
「そうでしたか。ありがとうございます」
「それで葬儀の件ですが、どうされます? そちらで引き受けてくれるか、そうでなければ市役所が葬儀屋に頼むそうですが」
「それは私に引き受けさせてください」
「そうですか。それではお願い出来れば」
巡査さんはほっとした表情だ。正直、孤独死は厄介な案件なのだろう。
斎場の煙突から上がっていく白い煙をながめていたのは、私と妻、そして、娘の綾の三人だけだった。南村は文壇や版元の人間からは明確に距離を取られ、帝大時代の友人たちからは高慢だった性格から絶縁され、両親には先立たれ、近所付き合いなど出来る性格ではなかった。
綾がポツリと言った。
「ねえ。この南村さんって人はお父さまのお友だちなの?」
私は頷く。
「ああ、私は南村を友だちだと思っているよ。向こうはどう思っているか分からないけどね」
南村の葬儀費用と墓地の代金は、全く手を着けていなかった小説「水明」の印税から出した。墓地には墓碑銘を書いてもらった。
「不遇の無名天才文士 ここに眠る」と
石屋は怪訝そうな顔をした。
「この南村って人、不遇の無名天才文士なんですかい?」
私は大きく頷いた。
「そうだ」
南村が死んで二十年が経った。私も自分の死期を悟るようになった。妻には先立たれ、吉久も先日この世を去った。
既に床に伏していた私は、27歳になっていた綾を呼んだ。綾は私の果たせなかった夢を叶え、「文士」になっていた。
「押し入れの一番奥にある木箱に小説『水明』と私と南村松陽に関する全ての資料が入っている。私の業を託す形になって悪いが、出来たら小説『水明』についての真実を綾の手で世に出してほしい。どんな形になっても構わないし、箱の中身を見て、自分には重すぎると思ったら、世に出さなくてもいい。ただ見るだけは必ず見てほしい」
その数日後、元文化省文芸課長にして、傑作小説「水明」の作者とされていた男佐倉宗吾はこの世を去った。
一年後、女流作家佐倉綾の手により一冊の本が世に出された。題名は「小説『水明』の真実 それは果たして『友情』だったのか 父佐倉宗吾と南村松陽」。
このノンフィクションは、元々の小説「水明」に匹敵するベストセラーとなった。
世の人々は盛んに議論した。「佐倉宗吾のやったことは『友情』だったのか」と。
そのことを人に問われた佐倉綾はこう答えた。
「父は自分の思いを語らずに墓場まで持っていった。私にも思いはあるが、やはりそれは語らずに墓場までに持っていこうと思う。ただこのことについて各人がどう思うかは全く自由だ」
あなたはどう思いますか? 「友情」だったのでしょうか?




