《Prolog》と《Epilog》③
[ PHASE #−006 / INIT | PROLOG AND EPILOG №3 ]
──“六十秒”。
それが、結たちに与えられたすべての猶予だった。
この戦場は、初手から“仕組まれていた”。
もっと早く気づくべきだった。
状況が敵の掌に“傾いた”のではない。最初から、そこに落ちるよう“導線”が敷かれていた。
あらゆる情報は操作され、戦況は“形作られて”いた。
自分たちはその流れの中で、ただ“気づくしかなかった”にすぎない。
情報層は裂け、現実層構造が軋みを上げる。
支援はなく、援軍も期待できない。観測は常に後手に回り──
そして敵は、ただ“こちらの動き”を読むのではなかった。
戦況そのものが、“設計”されていた。
まるで、数手先の未来を当然のように踏み抜いてくる精度で。
それは“予測”ではない。
これは、意図された“誘導”だった。
この局面すら、誰かの手によって──“用意されていた”。
──それでも、結は目を逸らさなかった。
この圧倒的不利を前にしても、彼女の中ではすでに戦術プランの構築と最終局面のシミュレーションが完了していた。
地形、波形、敵の出現位置と傾向、澪の観測ログ、神山の召喚、そして悠の状態。
限られた情報と戦力で、勝利の線をひとつ、強引にでも引く。
それが“観測員”であり、“統率者”としての秤屋 結のやり方だった。
彼女は眼鏡型SIG-Nodeのフレームに軽く右手の指を添え、端末越しに告げる。
「神山支部長、現状の維持を。
敵の主干渉が情報層から継続している以上、こちらの構造を支える“支柱”は不可欠です。
併せて、次フェーズ《召喚処理》への即時移行も可能な状態で待機を」
神山は、ゆるやかに息を吐いた。
手には、すでに開かれた旧式の端末──黒檀色のSIG-Nodeがあった。
その姿は、まるで儀式の媒介具のようでありながら、どこか懐かしさを誘う“道具”としての佇まいも備えていた。
古びた外装には使い込まれた光沢が滲み、記憶の底に沈んでいた誰かの“過去”を引きずり出すかのようだった。
端末の画面は、淡く揺れる干渉光に包まれていた。
神山の周囲には、波打つコード列がにじむように浮かび上がり、空気ごとわずかに歪んでいる。
それは都市構造に刻まれた“識らざる視座”を、現実層側へと召喚し続けている証だった。
神山の周囲だけは、世界の綻びが広がることなく、静けさを保っている。
情報層はむしろ、彼を“基点”として秩序を取り戻し、再構成されているかのようだった。
結は、一歩引いた位置からその姿を見つめていた。
手にした旧式のSIG-Nodeは沈黙を保ったまま。だがその目は、細い糸目の奥に隠された“本気”を、はっきりと捉えていた。
──視えている。
神山遥歩は、全容を把握しているわけではない。
だが彼は、誰よりも早く“構造の異常”に気づき、
澪が観測する情報をもとに、この局面が何を求めているのか──どこに楔を打つべきかを理解していた。
この場において神山遥歩は、明確に“支柱”となっていた。
「澪」
名を呼ぶだけで、少女の肩が一瞬だけ揺れ──すぐに、静かに収まった。
手にしたSIG-Nodeを握る指先には、もう迷いはない。
先ほどまでの怯えは、もはや影すら残っていなかった。
「あなたはこの場の観測座標を再構築、敵の干渉波を追って定位補足に集中を。誤差は二桁以下で構いません。最優先は“こちらに干渉している存在の輪郭を特定すること”です」
瞳が一度だけ瞬き、すぐに研ぎ澄まされた光を宿す。
感情を制し、思考を極限まで絞り込んだ“演算の目”。
「はい。観測座標、再構築フェーズに入ります」
「追跡開始。誤差範囲は十分小さく、捕捉可能です──輪郭、探知します」
澪は静かに息を吸い、左手に持つSIG-Nodeのインターフェースへと指を滑らせた。
重なり合う情報の層が幾何学的に展開し、コードが空中に流れていく。
「──私は」
結は一歩、前へ出ると、指先をわずかに掲げた。
その声は冷ややかだったが、静かに抗うような力が宿っていた。
「対象に質量を付与。座標が定まり次第、質量比率を調整し、こちら側に引きずり出します」
その瞳は、見えない敵をすでに視界の中に収めているかのように、一切の迷いもなく、ただ一点を射抜いていた。
結は短く息を吸い、最後のひとり──少年に視線を送る。
目が合った、その瞬間。
言葉にするまでもなく、彼には伝わっていた。
「了解。飛び出してきたら、歓迎してやるよ」
言葉と同時に、悠の右手が迷いなく腰元へと伸びる。
鞘から抜かれた二振りの短剣が、静かに空気を裂いた。
一振りは、空気をそのまま結晶化させたかのような、透き通った刃“プロローグ”。
一振りは、物語を鉛筆で塗り潰したような、沈んだ黒の刃“エピローグ”。
それは始まりと終わりを象る対の刃。
悠は、両の手に物語を握った。
二本の刃が、かすかに重なり合い、チリ、と空気に火花のようなノイズを刻む。
重なり合うコードの奔流の中、悠の瞳には、すでに“戦場”が映っていた。
その返答に、結はわずかに目を細め、静かにうなずく。
言葉はなかった。けれどその仕草には、確かな信頼と、覚悟への応答が込められていた。
そして、迷いのない声で、静かに告げる。
「──戦術行動、開始します」
掲げた指先が、空を切るように振り下ろされた。
その動きは小さくとも、決定的だった。
まるで、現実層の構造そのものに“起動の合図”を下すかのように──。
その一言が、場にいる三人の意識を一点に結びつけた。
[ PHASE #−007 / INIT | PROLOG AND EPILOG №3 ]
ひび割れたアスファルトに、雑草が勝手気ままに伸びている。
倒れかけた標識が軋む音すらなく、あたりは死んだように静まり返っていた。
次の瞬間──
路面の歪みをなぞるように、“何か”が這いずる音もなく通り過ぎた。
空気がざらつき、皮膚の内側を指先でなぞられたような違和感が全身を走る。
【軋み】とも【振動】ともつかない、くぐもったノイズが、足元からじわじわと染み出していく。
誰も動いていないのに、溜まった砂埃がわずかに舞い上がった。
視界には何も映らない。
けれど──まるで“それ”は、地を這い、壁を這い、現実層の膜を内側から舐めるように這い回っていた。
その痕跡だけを、世界がかろうじて感知している。
まるで情報と現実層の狭間に潜む“影”が、いまここを通り抜けたかのように。
澪の指先が、空中をなぞる。
ホロウィンドウに映るのは、複雑に折り重なった干渉波形──けれど、彼女の指は一切の迷いなくその流れをなぞっていく。
指先から、淡い光がにじむ。
音なきオーケストラを率いる指揮者のように、
彼女は情報の海に沈んだ“異常の旋律”をすくい上げる。
触れているのは、空間の「表面」。
だがその下には、規則を失った脈動が脈々と息づいている。
波形は、ただの数字の羅列ではない。
それは現実層をかすかに震わせる“ノイズの鼓動”。
澪の目はホロウィンドウに映る全情報を捉えながら、なおそれよりも深く──感じていた。
まるで彼女の存在そのものが、この異常の旋律に“調律されて”いるかのように。
「……目に見えない、質量もない。でも、確実に“そこ”にいる」
その言葉と同時に、SIG-Nodeが反応した。
指の動きに合わせて、重なったレイヤーの歪みがノイズ混じりの座標として空中に刻まれていく。
やがて、澪の指先が止まった。
ホロウィンドウの波形が一点で大きく跳ね、空間の歪みが収束する。
そこは、都市構造の重なりが薄れた、ごくわずかな“隙間”。目には見えない侵入口のような場所だった。
「……座標、特定完了」
彼女の声は落ち着いていた。
指先に伝わる微細な反応だけを頼りに、“そこ”を見定めた。
▶ COORDINATE_ADJUST: vector = (W+3°, UP+3m)
// 座標調整:ベクトル = (西へ3度、上方へ3メートル)
「西へ3度、上へ3メートル。重なった情報層の狭間。
対象は、確実に“こっち”を見てる……結先輩、今です!」
その一言で、結の視線が鋭く動く。
澪の報告は、ためらいのない“観測”として、場の戦術に噛み合った。
澪の声の直後、結はゆっくりとそちらへ体を向けた。
その瞳に映るのは、まだ何もない空間。だが、彼女の意識にはすでに「場所」が結ばれていた。
右腕を持ち上げ、宙をなぞる。
まるで空間の一部を“切り取る”ような動作。
その軌跡に、淡く光るラインが走る。
秤屋 結の異能は、現実層に存在する物体の質量を変えるだけでなく、
情報体、虚構に属する曖昧な存在にすら“重さ”という概念を与える。
▶ PROTOCOL: MASS_TUNING_Δ-LOCK
// プロトコル識別名:質量注入型拘束処理(仮想固定用)
▶ OPERATOR: HAKARIYA_YUI
// 操作者:秤屋 結
▶ ABILITY_CORE: Mass Tuning / TYPE: EXISTENTIAL MASS INJECTION
// 能力コア:マス・チューニング(実体を持たない対象への質量注入)
▶ TARGET: GLITCH_ENTITY.shadow_core
// 対象:グリッチ・エンティティ実体《shadow_core》
▶ ENTITY_CLASS: NON-MATERIALIZED / TYPE-ε
// 分類:非物理干渉型(ε型)
▶ MODE: INJECTION_SIMPLIFIED / REFERENCE_MODEL: OBSERVER_WEIGHT
// モード:簡易注入形式 / 参照モデル:観測者の標準体重データに基づく
▶ PARAMETERS:
// 使用パラメータ群:演算に用いる対象情報
▸ EXISTENCE_DENSITY (μ): 3.8
// 存在密度:情報層上の存在強度。高いほど“質量干渉”が通る
▸ VISIBILITY_RATIO (V): 0.62
// 視認率:目視・観測状態の安定度。高いほど実体的な輪郭を形成
▶ EXECUTION:
// 実行:演算処理と結果ログ
▸ FORMULA: M_virtual = μ × V
// 計算式:仮想質量 = 存在密度 × 視認率
▸ RESULT: M_virtual = 3.8 × 0.62 = 2.36 kg
// 演算結果:仮想質量 = 2.36キログラム
▶ RESULT: virtual weight affixed / entity path stabilized
// 結果:質量が付与され、対象の位置が固定状態に移行
▶ STATUS: MASS ASSIGNED / ENTITY LOCKED
// 状況:仮想質量注入完了、対象は拘束状態にある
▶ COMMENT:
// 「可視輪郭を確定。仮想質量、2.36キログラム。拘束処理に移行」
▶ PROCESS: COMPLETE
// 処理完了
ホロウィンドウに、形を成さない情報の波が蠢動する。
澪の瞳が見開かれ、震えと興奮が混じった声が走った。
「グリッチ・エンティティ──情報層にて存在が確定。現実層への定義が完了しました!」
その瞬間、虚無に揺らいでいた破損情報が、「存在」として登録された。
曖昧な揺らぎではない。“この世界に許可された”という事実。
都市の情報層構造に発生した“異常干渉”が、現実層に具現化する現象。
それが──グリッチ・エンティティ。
本来なら、ただのデータの揺らぎとして修正されるはずだった“破損情報”。
だが、それがある閾値を超えたとき、自律性と存在条件を得て、
実体と非実体の狭間に“存在”する。
バグではない。エラーでもない。
それはもう──都市が産み落とした、“もうひとつの現実”だ。
そして今、“それ”が質量を持ち、こちら側に顕現する。
──次の瞬間。
悠の身体は、すでに動いていた。
考えるよりも先に、地を蹴っていた。
視界が一瞬、引き絞られる。
張り詰めた空気が、切っ先のように風景を裂く。
その先にいたのは──“蛇”だった。
ただし、それは生命ではない。
情報ノイズが幾重にも絡み合い、現実層の座標を這い回る“構造”として顕現した異形。
輪郭は常に揺らぎ、ねじれ、滑るように動きながら、
まるで世界そのものを締め上げるかのように、空間に圧をかけていた。
その巨躯は、街灯を見下ろすほどの高さ。
尾の先が歩道を這えば、建物の影すら歪むほどの長さを引きずっていた。
「──でけぇなおいッ!」
悠が思わず叫ぶ。
冗談じみた言葉だったが、その声には明らかな警戒と興奮が滲んでいた。
次の瞬間、
異形──蛇型のグリッチ・エンティティが、自身の尾を叩きつけた。
衝撃音のような、破裂するようなノイズが地面を揺らす。
アスファルトが裂け、破片が四方に弾け飛ぶ。
だがその一撃が届く直前、悠の身体はすでに動いていた。
地を蹴るというより、滑るような加速。
重力すら置き去りにするような、低く鋭い軌道だった。
足場を一歩ずつ踏む計算などなかった。ただ、直感と鍛え上げられた反射だけが、最短の逃走軌道を選び取る。
尾が叩きつけられた地点には、悠の影すら残っていない。
「──言ったそばからこれかよ!」
滑るような加速から、足元の摩擦を無視するように減速し──
止まりきる、その刹那。
悠の身体は、すでに次の動きへ移っていた。
ただ“見る”だけで認識を侵す異形。
現実層がきしむ中でも、少年の眼差しは揺るがない。
そこにあったのは、ただ静かな決意。
悠は、グリッチ・アビリティを持たない。
彼の戦いに、異能の力も情報操作の詠唱もない。
けれど、彼の動きに一切の無駄はない。
灯科中央高校の制服に擬態した戦闘用スーツ──戦術戦闘服。
C.O.D.E.中枢に存在する多階層演算体との接続補正による身体強化と、研ぎ澄まされた技術が融合し、
刃を持たぬ異形の懐へ踏み込む唯一の突破口を生み出す。
その手に握るのは、二振りの短剣。
透明な刀身“プロローグ”と、深い黒の“エピローグ”。
常識の動作法則を無視するかのように、
止まった方向とは真逆のベクトルへ、刃と共に跳ねる。
その軌道は、もはや身体能力の延長ではなかった。
中枢との接続補正──《パルセル》の演算支援が導き出す、最短最適の斬撃ルート。
悠の動きは、人間離れした加速度と正確さで異形へと滑り込む。
次の瞬間、透明な刀身を携えた──《プロローグ》が、蛇の巨躯に沿って走る。
まるで空間に一本の線を引くように、抵抗のない一太刀が軌跡を刻む。
ノイズで編まれた“皮膚”が裂け、赤黒いノイズ片が血のように噴き上がった。
……だが、裂いた“軌道”はすぐさま修復されていく。
裂かれた巨躯がざらついた音を立てながら結合を始め、まるで最初から壊れていなかったかのように、構造は静かに元の形へと整っていく。
「──ちくしょう、切ったそばから修復しやがる……」
悠の額に、疾走の熱と共に汗が滲む。
奔る視界の先、にじむノイズを睨みつけながら、吐き捨てるように呟いた。
崩れた足場を飛び移りながら、悠は視線だけで構造の綻びを追う。
情報の“修復”が進むたび、その背後へ、次の一手が絞られていく。
そのとき、通信越しにかすかな声が届いた。
「……見つけた」
ノイズ混じりの音声。その向こう、SIG-Nodeに向かって黙々と指を走らせていた澪が、ほとんど自分に言い聞かせるように、そう小さくつぶやいた。
「──悠先輩!」
澪の声が、鋭く空気を裂いた。
それはノイズ混じりの通信ではない。
戦場の空気を突き破るように、彼女自身の声が、はっきりと悠に届いた。
「頭部右側──耳の少し後ろに、アンカーコアがあります!」
“アンカーコア”──それは、グリッチ・エンティティがこの現実層に「存在するための基点」。
情報層における座標固定の“錨”として機能し、その存在構造を現実層に縫い留めている。
この錨が破壊されれば、エンティティは現実層への干渉力を失い、自壊する。
通常はノイズの層に埋もれて視認困難だが、特定の波長や視点制御下では構造の“ゆらぎ”として浮かび上がる。
▶ VIEWPOINT_TAG [ANCHOR CORE] → COLOR: RED (#FF2A2A) / COORD: HEAD_RIGHT_θ+ε
// 視点タグ [アンカーコア] → 色:赤 / 座標:頭部右側・耳のやや後方
▶ STATUS: FRACTURED / PRIORITY: CRITICAL
// 状態:構造破損 / 優先度:最優先
敵の頭部──そのわずか右後方に、“視点タグ”が重なって浮かび上がった。
情報の綻び。構造の重心。そこが、この異形の“中枢”だ。
「……あそこか」
悠は息を吸い込む間もなく、視界が狙点に定まったその瞬間、全身を弾丸のように走らせた。
《パルセル》が脚部出力に即座に補正をかけ、足裏が地を蹴るたびに小さくノイズを散らす。
筋肉と演算支援が噛み合い、加速の限界を超えて、悠の身体が矢のように空間を裂いた。
「私がルートを構築します!
先輩はそのまま──走り続けてください!」
空間を切り裂くように、澪の操作する光の軌跡が描かれていく。
その姿は、まるで無音の戦場を指揮するコンダクター。
揺らぐ情報層を、彼女は迷いなく貫いていた。
澪の叫びと共に、彼女のSIG-Nodeが即座にルートを描く。
アスファルトの破砕面、電柱の根元、宙に浮かぶノイズ干渉の裂け目──
そのすべてを繋ぎ合わせるように、ホロウィンドウ上に光のラインが浮かぶ。
▶ COMMAND: ROUTE_OVERRIDE [EMERGENCY PATHING]
// コマンド:ルート強制構築[緊急経路指定]
▶ MODE: STRUCTURE-ADAPTIVE + NOISE-TOLERANT
// モード:構造適応+ノイズ干渉耐性ルート
▶ PROCESS: ROUTE CONSTRUCTION IN PROGRESS...
// 経路シーケンス:構築中…
▶ NODE_01: FRACTURE_EDGE [ASF-CONC_SURFACE #X394.7,Y-22.1]
// ノード01:アスファルト破砕面(座標 #X394.7,Y-22.1)
▶ NODE_02: BASE_PYLON [ELEC_POLE_ROOT #X396.5,Y-20.9]
// ノード02:電柱基部(座標 #X396.5,Y-20.9)
▶ NODE_03: POINT_β [AIR_GAP / VECTOR_X-397.1,Y-19.2,Z+4.3]
// ノード03:ポイントβ(空中ギャップ)※足場ノード欠損
▶ WARNING: STRUCTURAL GAP DETECTED AT NODE_03
// 警告:ノード03に構造空白を検出
▶ ERROR_TYPE: MISSING_FOOTSTEP_NODE / GAP_SIZE: 1.00 UNIT
// エラー種別:足場ノード欠損/空白サイズ:1ユニット
▶ COMMENT: “計算上、ポイントβを経由しなければノード04への到達は不可能。”
// コメント:「構造上、ポイントβの通過は必須。足場なし」
▶ NODE_04: INTERFERENCE_RIFT [NOISE_SCAR / TARGET]
// ノード04:ノイズ干渉の裂け目(目標地点)
▶ PHASE_LAYER: MIXED (REAL+INFOLAYER INTERLEAVED)
// 位相層:複合(現実層層+情報層の交差)
▶ RISK_PROFILE: HIGH (JUMP_UNSUPPORTED / COLLAPSE_RISK)
// リスク評価:高(ジャンプ不可/落下・構造崩壊の危険あり)
▶ COUNTERMEASURE: MANUAL ASSIST REQUIRED (ABILITY / DEVICE / PHYSICAL)
// 対応:手動補助が必要(能力・装置・物理支援)
▶ STATUS: ROUTE CONDITIONAL ACTIVE / USER DECISION PENDING
// 状態:条件付きルート有効化中/使用者判断待ち
ホロウィンドウに、赤い警告フラグが次々と点滅する。
吐き出されるエラーログ。
だが澪は、焦らなかった。
波形の乱れを読み取り、即座に声を張る──
「ポイントβ、足場が足りません! 一ユニット分、空中に構造的な空白があります!」
その声は鋭く、正確だった。
戦場の構造に、彼女の判断が響いた。
「結先輩ッ──!」
張り詰めた空気を断ち切るように、力強い叫びが響いた。
その声に、結は即座に反応する。
振り返る動きに迷いはなく、呼ばれることすら“前提”のように、淡く鋭い視線を返した。
「──了」
返すよりも早く、彼女は空気を指先で切り取るように払う。
見えざる“その一点”へ、力を注ぐように。
▶ execute('Mass Tuning', target: air.θ, param: μ=2.9 × V=0.21 → required_mass=65.0kg);
// 実行:マス・チューニング(対象:空気層θ)
// パラメータ:存在密度μ=2.9 × 視認率V=0.21 → 要求質量:65.0kg(対象体重に基づく)
結が静かに指先を動かした瞬間、空間の一点──空気層θが、わずかに収束する。
刹那、光の断片が空中に集まり、“無”から生成された仮想質量の足場が軌道上に浮かび上がった。
同時に、ホロウィンドウ上の構造図に光のラインが走る。
途切れていた座標が繋がれ、エラー表示が静かに消えていく。
足りなかった“最後のピース”が、今、ぴたりと嵌った。
ルートは、ようやくひとつの“道”として形を成す。
悠の足が、その不可視の段差を確かに捉え──
次の跳躍へと、迷いなく力を込めた。
「……サンキュ」
短く呟き、加瀬 悠はそのまま弾丸のように跳躍した。
斜め上、仮想質量で生成された《足場》を蹴り、空中へ。
動きは無駄なく、自然だった。まるで、そこが本当の地面であるかのように。
狙うは、質量を得て姿を現した敵の中心。
仮の重力に縛られた異形の“核”。
「……っ!」
その瞬間、敵の動きが変わった。
情報層に、異音が走る。
軋むような、砕けるようなそのどちらでもない、割れるような音。
──それは、砲撃だった。
敵の背中にあたる構造体が異様な収束を始め、そこに砲口のような穴が開いた。
空気が揺れ、次の瞬間、内部に光が集まり始める。
閃光が放たれた。
「──来るっ!」
とっさに身をひねった悠の身体を、光の弾がかすめる。
視界が白く焼かれる。
砲撃は空間を貫き、背後の廃ビルの壁を抉った。
敵は質量を持ち、現実層を傷つける攻撃手段を手に入れていた。
──二発目。
反応は間に合わない。
回避は困難。支援のタイミングは、今しかない。
──だが、秤屋 結は焦っていなかった。
視線をわずかに背後へ流し、旧型の端末を構えていた神山を見やると、
彼はほんの僅かに口元を緩め──
まるでこの行動すら“予定通り”だったかのように、
静かに指を滑らせ、詠唱の準備動作を開始していた。
その唇が、情報層へと接続する“経路”をなぞるように、静かに動き出す。
目の奥には、迷いも焦りもなかった。あるのは、確信。
黒檀色のSIG-Nodeに、静かに手を添える。
彼の声が、ゆるやかに、けれど確かに始まりを告げる。
詠唱が始まる。
それは音ではなく、意味として空間に突き刺さる。
「ログ照合……記録No.12、《祝福を受けた銀の砲弾》。召喚を開始します──」
空間が鳴る。
鐘のような、澄んだ音が響く。
詠唱の終わりと同時に、空気が裂ける。
何もなかった空間に、“それ”が現れた。
──銀白の砲弾。
それは、ただの弾丸ではない。
情報層に記録された“逸脱兵装”。
撃ち込まれた対象に、わずかな情報の歪みを生じさせることで、実体を不安定化させる。
銀の光に包まれた砲弾は、祈りと封印儀式によって保たれており、
正しい手順と資格を持つ者にのみ、安全に扱えるとされている。
神山が左手を軽く振り、銀色の砲弾が虚空に浮かぶ。
照準が敵の中心部──“頭部構造”と思しき部分に定められる。
──《銀にて穿て、虚構に刺さる記録》
銀白の砲弾が、重力すら削るように虚空を滑走し、敵へと向かっていった。
直後、砲弾が敵の“頭部構造”を直撃した。
反転するように砕け散る外殻。
ノイズの閃光が弾け、敵の“構造”そのものが一瞬、崩れかける。
──次の瞬間、発射された第二の砲撃が逸れた。
本来なら悠を正確に撃ち抜いていたはずの一射は、空中でわずかに軌道を曲げ、彼の背後をすれ違って虚空を裂くだけに終わった。
それは、敵が放つ寸前に銀白の砲弾を受け、照準制御が乱れたがゆえの現象だった。
その一瞬の隙を逃さず、結の声が響いた。
「悠、ぶった切りなさい」
上品で冷静沈着なはずの彼女らしからぬ、鋭く断ち切るような命令だった。
その声には、普段の静けさとはまるで異なる、切迫と決意が宿っていた。
戦場の空気が、一瞬で引き締まる。
悠は小さく息を吐き──そして、ほんのわずかに口元を緩めた。
まるで「そうこなくちゃ」とでも言いたげに、軽く笑う。
次の瞬間にはもう、彼の視線は完全に戦いへと向けられていた。
その瞳に宿る光が、一瞬で“斬る者”の色に変わる。
「──了解」
情報層と現実層が幾重にも絡み合う歪んだ空間で、
悠の双剣が、音もなく軌道を描いた。
──渾身の一閃。
《プロローグ》が“始まり”を切り裂き、
《エピローグ》が“終わり”を刻み込む。
その軌道は、まるでこの世界に定められた運命そのものを断ち切るような、鋭く、そして揺るぎない斬撃。
一瞬、敵の身体が遅れて軋み、
情報のノイズが、悲鳴のように爆ぜた。
現実層の片隅で、赤黒く滲むデータの断裂。
ノイズの塊が裂けた瞬間、そこから“ノイズの血飛沫”が噴き出した。
赤黒い粒子が、現実層空間へと逆流するように溢れ出す。
文字列でも、波形でもない。
それは、ただひたすらに“血のような質感”を持った情報の塊だった。
ホロウィンドウの端が赤く染まり、空間の端が滲む。
視界の一角が“出血”している。
エンティティが、構造の内側から破裂したのだ。
そしてその“噴き出した何か”は、確かに現実層に干渉している──皮膚に粘つくような違和感と、神経を焼くノイズを伴って。
視界にはノイズの奔流。だが、それは“意味”ではなく、“痛み”として現実層に干渉してくる。
静かな世界に、ひときわ異質な“血の色”が混じっていた。
視界を染める、赤と黒のノイズ残響。
──それは、確かに“届いた”。
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