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予期せぬ熱に悩まされることになってから数日、エレノアは親友のもとを訪ねていた。
ルスベリー伯爵令嬢であるジョスリン・ソーンゼットとの出会いは幼いころ王宮で開かれた王妃主催の茶会で、かれこれ十年以上の付き合いだろうか。同じ年ごろの貴族令嬢たちが招かれる茶会で、もっぱら二の王子の婚約者候補を探す場だと当時はうわさされていた。結局、美貌の王子のお眼鏡に適う令嬢は見つからなかったのだが、その日同じテーブルになったジョスリンとはなんだかんだとそれ以来、関係が途切れることなく続いている。
先日、あの詩的な手紙を送ってくれたのも彼女で、エレノアが隠遁してしばらくは連絡も途絶えていたが、ついに沈黙を破り手紙が届いたかと思えばきっちりと詳細を求める旨が綴られていた。それから数日、王都は西地区にあるジョスリンの家へと招かれたのだった。
王宮を中心に北に広がる王都フェリシティアの貴族街、その西側。東地区に位置するベルウォルズ邸からはやや離れるが、西地区特有の都市部にしては広い敷地にルスベリー邸は建っている。
庭師によって計画的かつ緻密に整えられた庭園を道行く人々に披露する他の邸宅と異なり、四ツ辻をまっすぐ進みしばらくすると「緑陰の館」が見えてくる。ジョスリンの父であるルスベリー伯爵が集めたさまざまな植物の育てられる邸は、そこだけ異国情緒が漂うように緑にあふれているのだ。
ジョスリンは庭先に植物が増えるたびに呆れ顔をしていたものだが、植物園のようなその邸宅がエレノアにとって王都で好きな場所のひとつであった。十に満たないころから通っているのだから、半ば勝手知ったる我が家に近いだろう。もちろんそんな非常識な振る舞いはしないが、馬車が邸について、客間に案内されるでもなく中庭へ直接連れて行かれてもエレノアは少しも驚かなかった。
国内外から集めた植物が豊富に揃う庭は、ベルウォルズ邸の花園とは雰囲気がまるで異なる。あちらが花の庭であるならば、こちらは緑の庭。祝福してくれる女神がきっと異なるだろう。
南国産の大きな葉をした植物が野ばらの代わりにアーチを飾っていた。あちこちに地植えされるだけでなく、植木鉢で置かれた植物たちは皆、ルスベリー伯爵が研究しているものだった。学生時代西の帝国へ留学していた伯爵は、帝国にしか育たない植物を見つけその魅力に夢中になり、やがて帝国だけでなく数多の国の植物を研究するようになった。
中庭に造られた立派な温室も、伯爵が手ずから集め研究した植物であふれている。
ルスベリー邸でお茶をするときには、必ずといってこの温室が使用されていた。そして今日もそのとおり、案内された先にはガラスの温室の中で西の帝国特産の赤橙色の果実を実らせた大木がエレノアを待ち受けていた。
「ごきげんよう、ジョス。雉狩りぶりかしら」
大木の向こうにティーテーブルが置かれ、ジョスリンが優雅にカップに口をつけていた。
背中までのオリーブ色の髪を緩く編み上げてまとめ、細身のデイ・ドレスを着ている。何枚もの綿紗を重ね合わせてふっくらとしたシルエットを作るのが流行りではあるが、背の高いジョスリンのスレンダーな肢体を美しく見せるには、胸下からストンと下へ落ちるそのシュミーズ・ドレスがとても似合っているようだった。
「エレン、待ちくたびれたわ。そうね、雉狩りは年明けだったかしら。それ以来だから、ほんとお久しぶりね」
あのときは兄とフレデリックさまが兎用の罠にかかってしまって、それはもうおかしかったわ、などと思い出を語りながら彼女はエレノアをティーテーブルへと受け容れる。
王都での社交シーズンを終えた水の季節以降、ノーゼリアの貴族たちはめいめいの付き合いに従ってあちこちを忙しなく移動する。領地に帰り美しい大邸宅に友人や知人を招き優雅に冬を過ごす貴族もいるが、たいていはやれ狩りだ釣りだと親しい仲の友人たちの領地を行き来するのだ。男性たちは猟銃や竿を片手に忙しいため、女性たちは必然とその様を眺めながらのティータイムとなる。
新年には恒例の雉猟を、自然豊かなルスベリー・パークで行なった。次は春に王都で茶会の約束をしていたが、婚約解消の件があり、その機会が流れたままだった。
そう考えると数か月この友人に会っていなかったのかと、エレノアは唐突に寂しさが染みわたるようだった。
ジョスリンが使用人たちに温かな紅茶を持ってこさせ、エレノアも彼女の前に座る。邸宅内に比べて温室は静かで、呼び鈴を鳴らさないかぎり使用人たちもそばを離れているから、打ち明け話をするにはぴったりだった。王子の婚約者候補のための茶会以来、こうして二人は仲を深めていったのだった。
しばらくふるまわれた茶や焼き菓子の話をして、話題は互いの近況に移り変わっていく。
ジョスリンからはとくに変わりがなく、あるといったら父伯爵が外国の博覧会に植物を出すため社交シーズンが終われば家族そろってそちらに向かうだろうといったところだ。
それは近況報告として至極立派な報告だろうが、「それよりも!」と、ジョスリンにはより重要なことがあるのだと主張してならなかったのだった。
もちろん、その重要なこととはエレノアについてだ。
彼女の口車に乗せられて、エレノアはアドリアンとの――もうそう呼ぶべきではないと頭の中で繰り返しながら――リディストン伯爵令息とのいきさつをおさらいするかのように詳らかに話して聞かせた。
世間一般には円満解消だと思われているが、呼び出しを受けてリディストン家へ赴けば、「運命の出会い」をしたから別れてほしいと言われたこと、相手は公爵家の三女でエレノアたちの一つ年上のたいそう見目の麗しい淑女であること、彼女とはすでに気持ちを交わし未来を約束しあったこと、もちろんその場にご令嬢が居合わせたことなどすべて。ジョスリンの前で、世間をはばかる必要はなかったからだ。
エレノアの二十二歳の誕生日に予定していた大聖堂での結婚式は、厚顔無恥にも新たな婚約者を連れてリディストン家が挙げる予定なのだと、最新の情報も含めて。
「たしかに、うちにも――兄さまにも新たな招待状が届いていたわね。まったく忌々しいったらありゃしないわ、兄さまとの付き合いだってもとはと言えば、私とエレンのおかげだというのに。それはともかく、そうではないのよ、エレノア・グレース・ウィスコット、私が最も知りたいのはあなたの新しい婚約者のことよ」
話題がさらに一新されたところで、顔がぼおっと燃えるように熱くなったのがわかった。おや、と親友が眉を上げたのだが、その様子に気づく余裕もなかった。
しかし、親友の大きな変化を見逃すジョスリンではない。怒涛に話し続けるにはちょうどよい温度になった紅茶を再度口につけると、「お話は兄さまから軽くうかがっているわ、お隣の国のミュリルーズ子爵という方だというじゃない」と綽々と言ってのけた。
「たいそうな美丈夫だとのお話だけれど、実際にそうなの、エレン?」
どうしてかわからないが、顔が熱くなるいっぽうだった。ジョスリンの問いに答えるならばそのとおりなのだが、彼のブルネットの巻き髪や薄い空色の瞳、上衣に隠された厚い胸板や太く立派な腕のことを思うとまともなことを答えられそうになかった。
なにより彼の、低く落ち着き払った声……。
「ええ、そうね……」
いくらかはくはくと唇を動かしたのちエレノアは答えた。そうしてすぐに唇を紅茶で潤し、燃えて溶けてしまいそうになった目もとを所在なさげに動かした。
「世の中にはさまざまな殿方がいらっしゃるとは存じているけれど、ええ、我が国の王子殿下もたいそうなお美しさですし、我が兄も、どこぞの伯爵令息も見目だけは麗しくあられるわね。ただ、私のエレンをここまで唸らせるお方は初めてかもしれないわ」
唯一助けを求められるジョスリンは、次から次へと言葉を繋いでいる。もはやこのままでは火の粉が目から飛び出そうだとエレノアは思った。
「あの方は、淑女として価値のないわたしでも、かまわないと」
「価値がないだなんて!」
キッとジョスリンは眉を吊り上げた。
「エレンのことは、多くのかたがご理解なさっているわ。私も、私の家族ももちろん、どの夜会や茶会でもあなたの魅力は失われていなかった」
親友の言葉に胸が膨らむが、それでもそこに慰めが入り混じっていることをエレノアなりに理解していた。ありがとうと微笑むエレノアとはちがい、ジョスリンはやりきれない気持ちを隠すことなく形好い眉をひそめた。
「でも、わたし、うれしかったの」
エレノアは言った。
「父の勧めであっても、ぜひにとわたしを望んでくださったのだもの」
それになにより、彼が誠実で善良であることを知っている。
「今度こそ、うまくいくと思うわ。まだなにが起こるかわからないけれど、でも、できるかぎりあの方のそばにいたいと、そう思うの。これがただの政略だとしても、きっと、あの方とならうまくやれるわ」
この気持ちがなんなのか、エレノアは結論づけることなくジョスリンに笑って見せる。
気丈に振る舞うときのそれではなく、心の内からしぜんと湧きあがるほんものの微笑であった。




