表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/39

2-2

 王都フェリシティアにおいて、リエフ王国の領事館は貴族街の一角にあった。ベルウォルズ伯爵邸から馬車で半刻とかからないだろう場所で、各国の人間たちがこぞって邸を手に入れたがった区域でもある。リエフ式の邸は全体的に白く、神話時代を彷彿とさせる彫刻や彫像がそこかしこにあしらわれている。


 その日ウィリアムは会社の仕事で、ちょうどリエフの領事と話をつけなくてはならないことがあったため、朝食もそこそこに早くから馬車に乗ってやってきていた。



「販路としては十分じゃないか」



 向かい側に座り、モノクルを右目に押し当てながら男は話している。齢は三十代半ば、黒髪をノーゼリア風にまとめ、古典模様の入った銀灰のベストをその身にぴっちりと着こなしている。



「まずは先駆けに侯爵家が多く買い入れてくれたおかげで、ほかにも興味を持った家が夫人たちのお茶会を通じて次づぎ名乗りを上げてくれている。王立劇場で上演された演劇で主演女優に着せたのも効果があったようだな。上流階級のみならず、資産家たちの目にも止まったらしい。こちらは直接劇場に問い合わせがあったと聞いている」



 ユースタスというこの男がその領事であり、現在、実質のウィリアムの取引相手であり、上司でもある。室内での仕事のさ中、上衣を着てはいないものの、襟を高く立てクラバットをこれ見よがしにきっちりマナー通りに結ぶさまは、ユースタス・ウィーズグリーンという人間の性質をよく表している。



「それはよかった」



 そう告げるウィリアムは、濃褐色の上衣を着たまま上司の執務机の前に並べられた一対のソファーに座り、膝の上で合わせた指先をすり合わせた。



「広く行き渡らせるとなると、用意する品の品質を幅広く取り揃えなくではならないが、まあ今回は上からの流行だけで、それなりの収益がしばらくは継続して見込めるはずさ」



 ふむとうなずいて、男は書類から顔を上げる。



「その顔はさして満足していない顔だな」



 その表情を見なくとも、男がどんな意図でそう言ったのかウィリアムには判った。



「そういうわけではないさ」

「そうか? 今やリエフを代表する綿織物の販売会社の社長が、ほんとうはドレスなどの服飾品などというものに無関心だなんて。よくそれで東大陸まで商いに行けたものだ」



 ノーゼリアへやってくる前は、仕事でヤラウェイという東大陸の国へ行っていた。船で約ふた月かけて向かったその国では、綿織物の取引がすでに市場の三分の一を占めており、ミュリルーズの綿紗など見向きもされなかった。砂漠地帯にすむ人々の装いや暮らしぶりは西側とはまるきり異なり、その滞在においてウィリアムは自社の製品をほとんど宿から動かすことはなかったが、神話時代主義の最盛を終えたリエフに新たな風を持ち込むには素晴らしい機会であった。



「無関心であれば、ここまで会社を大きくしていない。どれほどうちの製品が求められるようになったか、少なからず理解はしているさ。ただ――」

「わかってる、懐疑的、ということにしておこう」



 青白い肌をした目の前の男とは対照的に、砂漠の猛烈な日差しを浴びたウィリアムの肌は浅黒く焼けている。布を頭からすっぽりかぶることで日差しから肌を隠すこともあったが(向こうの気温と太陽光の烈しさといったら、火傷を負うほどのものだという)、結局、太陽から逃げられなかったのだ。その顔立ちをのぞけば、彼の見目は一見すると貴族的とは言えない健康的でたくましいものでもあった。


 もちろん、そうした貴族ばなれした要素を持ちながらも、彼の高貴なたたずまいというのは完全に打ち消されることはなかったが。



「君のご父君は善良で高潔な類まれなるお人だったから」


 ユースタスは言う。


「綿というものはどこまでも大衆のためにあるべきだと常々おっしゃっておられただろう。まさか綿製品が貴族たちの嗜好品になるとは思いもよらなかったはずだ。いや、だれもが、思わなかったものだ。薄手の軽すぎる生地が、最も高貴なもののひとつに数えられるなど、ね。ただ、ご父君も、今の君を見れば立派に思うことだろうよ」



 思ってもみない率直な評価が語られたが、ウィリアムは彼を横目で一瞥すると額にかかった髪を払うように小さくかぶりを振った。



「どうだろうな」



 さて、どの父を思い浮かべようか、と胸中で自嘲し、テーブルに並べられた書類からひとつを選びそれとなく目を落とした。



「やけに感傷的じゃないか。まったく、婚約したばかりだというのに。のろけのひとつやふたつ、君には一切期待していなかったが、それでも晴れ晴れとした顔くらいするかと思っていたよ。もしや、不満でもあるのか?」



 つぎからつぎへとお構いなしに言い募る男をよそに、ウィリアムは紙面を眺め続ける。



「ない」

「そうだな。あるというなら、説教でもしてやろうと思っていたところだ」



 興味を欠いたのか、ユースタスが控えていた彼の侍従を呼び嗅ぎ煙草を持ってこさせた。部下にも勧めたがウィリアムは辞去し、次の書類に手を伸ばした。



「そういえば、侯爵家から招待状が届いたと聞いた」



 すん、と鼻腔を満たす音が響く。


「ああ」とウィリアムは答えた。


「降臨祭の二日目の夜だ」


 女神信仰の強いノーゼリアでは、創世神話の出来事になぞらえた行事が数多ある。国花である薄桃色の花が満開になる季節に行なわれる降臨祭もその一つで、この世界が闇に包まれたとき女神が降臨し大地を救ったという逸話をもとに、女神の祝福に感謝する祝祭だ。


 各地で宴や祭りが開かれるが、王都では連日舞踏会や夜会が開催される。



「かつて、リエフ社交界の女王とも言われたロザリンド・デ・レイヴェン様からのお誘いとは、羨ましいかぎりだ」

「ベルウォルズ嬢のパートナーとして招かれたにすぎない。その日はなにもできないから、頼まれごとはよしてくれ」

「先手を打たれちゃ敵わないな。どうせなら王党派の顔ぶれをしっかり拝んできてもらおうと思ったが」



 ユースタスはもう一度煙草を摘まみ勢いよく嗅ぐと、満足してから侍従を下がらせた。それから先ほどまで読んでいた書類へと戻った。


 ふむ、と噛み締めるように読み込んだあと、「なかなか、真の流行も一枚岩ではないんだな」と言った。



「ご婦人がたは、ただ、より薄く軽い生地を求めているかと思っていたが、生地そのものの売れ行きはともかく、リエフの古典模様を刺繍にしてあしらったものもなかなかの人気だ」



 ノーゼリアでの取引は、一年前から行なっていた。社交シーズンの終わったころに渡航し、次のシーズンに向けてドレスや小物などの仕立てを間に合わせるために、徐々に御披露目をしてきた。


 ミュリルーズ産の綿花から紡いだ糸とそれを織って生地にしたものを見本として多数用意し、幾度となく外国の地を踏んだ。ノーゼリアを訪れたのは、数年ぶりのことだった。あらゆる感情を捨て去るべき場所、なにも感じてはいけない場所。二の足を踏まなかったわけではないが、一度足を踏み入れてしまえばそのあとは順調だった。なににも心を動かさないと決めていたはずだった。



「これまでもノーゼリアとの貿易ではさまざまなものを持ち込んだが、ここまで反応がいいのは初めてじゃないか?」



 ユースタスが得意げに語る。



「それに、綿のほか新燃料、そして技術をたんまり抱えてきた。なにより次期外務大臣と名高いベルウォルズ伯の知遇を得られたのが大きい。――世界が変わるぞ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ