表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エレノアの結婚~「運命」を見つけた婚約者~  作者: 波屋ぽんち


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

38/39

12.エピローグ

 運命というのは、一瞬のきらめきであり永遠の光である。目を閉じているあいだに見逃すものであり、まぶた越しにも忘れることのできない痛烈な輝きでもある。


 世界は光にあふれ、人々は遍く光を見つめている。画家がある瞬間の画角を捉えるのと同じことで、運命というのは切り取られた光である。どの光をまぶたや脳裡に焼きつけるかは人によって異なり、人はそれを決める権利を持っている。


 運命というのは人間の勝手な心だ。脳が見えているものを好きに補うように、心も運命を形作る。


 女神は運命を記さず、また運命も女神を記すことはなかった。ただ人だけが自らの運命を記したのである。




 ウェスト・エンド13番地区。東西に築かれた王都の中で、王城から最も離れた西端に位置する貧困層の集まる区域だ。雨風をしのげる程度の家屋が建ち並び、しかしその多くは屋根が剥がれていたり壁が壊れたりしている。貴族街の美しく整備された街並みとは異なり、地面は舗装されることのない土のまま、荷馬車を引いた車輪の跡に数日前の水たまりが残っている。昼間なのにどこか薄暗く、寂れた空気を感じさせるが、以前とは異なり人々の行き交いが多く見られるようになっていた。


 ウィリアムがはじめてこの場所へ訪れたのは数か月前のことで、当時の婚約者が襲撃された報せを受けてノーゼリアへ戻ってきた日のことである。ピッツヴェルド侯爵夫人であるロザリンドから事の顛末を聞いたウィリアムは、婚約者と顔を合わせたあとその足で最西端の地区へ向かった。


 すでに現場はピッツヴェルドとベルウォルズ、両家の手により問題なく鎮圧されていた後だったが、死と崩壊たる女神が目覚めた場所は、まさしくそれらの気配が強く漂っていたのだった。


 長いこと、ウェスト・エンドは階級社会からあぶれ社会からも見放された者たちが住む街とされていた。犯罪を犯した者や家財を持たぬ者たちが最終的に流れ着いて暮らす場所で、その話題が国務会議に上ることはほぼないに等しい。いわゆる捨て置かれた場所。政治の手からこぼれた街が荒廃していくのは命題であり、やがて人々からも疎まれ蔑まれ、暗く饐えたにおいのする街は王都の影に追いやられていった。


 やけに静かで、薄気味悪い街。活気という言葉からは程遠く、諦念の風がどこからともなく吹いている。否、諦念などと感情が載っていれば行幸なほどだ。彼らは感情を露わにするほど、余力はなかった。虚無――それがウィリアムのウェスト・エンド13番地区の印象であった。



 しかし、現在はどうか。いまだに家屋が傾き、窓ガラスが割れ、地面がぬかるんでいたとしても、まるでその正反対であるように感じられた。


 路の整備や家々の修繕など、間に合っていないのは事実であるが、往来に出歩く人々の姿があるのは、街が街として機能している一種の証であるともいえよう。


 襤褸の邸宅の中で、一人の医師が寝台に寝ころぶ患者を診察するのをウィリアムは眺めていた。その背後では教区の牧師と、最愛の妻が集まった患者たちの最低限の世話をしている。


 レティムの被害が報じられてから数か月。ようやく場末の貧困地区が数十年ぶりに国政にとりあげられその悲惨さが日の目を見るようになっていた。不正のうちに閉鎖された診療所も再開し、ノーゼリア王室が王太子であるアルバート殿下の主導のもと違法薬物の調査と治療が同時に行なわれてきた。


 王太子殿下にレティムの情報を提供したのは医師であるヒューゴ・ドルイドで、教区の牧師からかつて秘密裏に“狂症”の調査を託された人物であった。東大陸への遊学経験もあり、禁止薬物や植物にもより精通している。また、襲撃事件当時、現場に居合わせた人物でもあり、彼自身もその被害者の一人であった。


 事件が起きてから数か月、レティムがどれほど蔓延していたか調査を行い、またそれらによって引き起こされた中毒を緩和するための治療を施してきた。現在もその治療は続いているが、中毒患者がほとんど減ったいま、ドルイド医師は貴賤問わず病気やけがをした人々の診察を続けている。


 彼がいなければレティムは闇に葬られ、決して明るみに出ることはなかっただろう。



「閣下、申し訳ありませんが、外れた関節をもとにもどすため、そちらの足をおさえていただけますか」



 淡々とした口調で、明確に物事を頼む姿は、かえって好ましく思えた。

 ウィリアムは従順にも医師の言いつけを聞き入れ、男の片足を体重をかけて寝台へ押しつけた。



「ふむ、よろしいですね。ではいきますよ、いち、に――」



 断末魔の叫びが響き渡るが、うろたえることもなく医師は的確に処置を施していく。



「これほどの状況に動じることなく適応できるとは、ご自身もご経験がおありのようですな」



 苦悶に苛まれる患者の横で真白のシーツを手に取りながらウィリアムは小さく苦笑を浮かべた。



「レイヴェンの私兵たちは血気盛んで獰猛だと有名でしたからね。兄たちに比べると生易しいくらいではあるが、ほどほどに経験は積みました」



 育った土地では、骨折や脱臼などは日常茶飯時だった。このくらいの絶叫ならば毎日のように聞いていたことを思い出して懐かしくなる。


 やけに微笑ましく告げるウィリアムにやれやれとかぶりを振ったのは医師だった。



「獅子の巣穴で育つと、ねずみやうさぎでも屈強な子獅子になりそうだ。それこそ、カッコウであったとしても」



 自分もたしかにちっぽけな存在であった。だが、それを育て上げたのはほかでもない獅子たちだと納得しながら、ウィリアムはシーツを医師へ手渡した。


 長く裂かれたそれは患部を固定するために使用される。新たにミュリルーズ領から輸出されたもので、通常の綿糸より強い撚りをかけた糸を使い、特殊な織り方で作られた。肌触りがよく、弾力と伸張性に優れ、吸湿性も高いことから骨折や脱臼などの怪我を処置するのに適している。


 見ず知らずの子どもを養子に迎え後継者として育ててくれた養父が、生涯をかけて研究したものだ。それをこの手で、養父が願っていたように人々のもとへ運んでいる。


 苦痛も絶望も飽きるほど味わった人生だ。それでも希望を捨てなくてよかったとウィリアムは医師の手により器用にも巻かれていくその白布を眺めながら切に思うのだった。




 診療所を離れたあと、ウィリアムとエレノアは教区の孤児院へと向かった。


 一時はレティムの影響で孤児が増えたというが、原因が解消された今、極度な増加の傾向はみられない。


 とはいえ、王都のはずれにあり、貴族の中でもその所在と実態を知らない者のほうが多いだろう場所で、子どもたちが身を寄せ合って暮らしているという現状は、依然残っている。貧困地区でのレティムの被害を食い止めたからといって、捨てられた子どもたちや親を失い路頭に迷った子どもたちが減るわけでもない。中央の貧困政策によりウェスト・エンドの実態が注目されるようになったが、以降も子どもたちは古びた教会で暮らし、またその教会の住人はひとり、ふたりと増え続けている。


 ウェスト・エンドへとはじめて訪れた日、孤児院にもまたウィリアムは立ち寄った。決して裕福とは言えない、こぢんまりとした教会の片隅で子どもたちが駆け回るそのすぐそばで、ある子どもたちは絶望を知ったような顔をしていた。悲壮的な、苦しみも悲しみも、怒りも、あらゆる感情を通り越して呆ける姿が、そこにあった。


 大陸中を探せば酷い貧富の差があり、貧しさにあえぐ子どもたちがいることも珍しいことでもないが、それでも彼らの顔をすぐには忘れられなかったのも確かだった。


 事件からしばらく経ったいま、変わらず孤児院には子どもたちの声が響いている。



「エレノアおじょうさま!」



 舌足らずな声がうれしそうにウィリアムの隣に並んでいた妻のもとへと飛び込んできた。


 鉄砲玉のように勢いよく、彼女の薄紫色のドレスに抱き着いて無邪気な顔を見せた。



「アリーシャ、お待ちなさい!」



 慌てて牧師が飛んでくるが、エレノアは少女を咎めることなくその頭を撫でてやった。

本日、20時で完結となります。短い間ではありましたが、お読みいただきありがとうございました!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ