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エレノアはひとりごとのように続けた。
「推定相続人からの廃除だけでなく、お父さまたちはアドリアンのリディストン家からの貴族籍の抹消を進めている。それはひとえに、“リディストン”が責任を問われるのを防ぐため」
万が一、嫡子と婚約者が違法植物に手を出したとなれば、家門への追及は免れ得ないだろう。爵位継承どころか爵位の存続すら危ぶまれる。使用はもとより、いかなる所持・流通において罪となる代物だ。いざこの推測が現実になれば、リディストンはその責任を家門と家門の歴史をもって追求される。良くて爵位の褫奪、悪くて爵位の永劫的抹消、そのうえ一族郎党極刑の可能性もままある。伯爵夫人はもちろんリディストン家に仕える使用人たちや多くの領民、そしてベルウォルズ家も無傷ではいられない。
エレノアは喉の渇きが抑えられず、再びミントティーに口をつけた。あつらえられたように、所在ない気持ちを鎮める爽やかな香りがした。
「たとえアドリアンが違法植物に手を出したとしても、アドリアンを先に家門から除籍すれば、すべての責任から逃れられなくとも被害は最小に食い止められる。家門がかかわっていないことを証明するならば、そもそも彼がリディストンの名を持っていなければいいのだもの。ただ、それもレティムがリディストン領に持ち込まれていなければの話だけれど」
もしかするとすでに手遅れかもしれないが、打つ手は完全になくなったわけではない。リディストン伯爵夫人が病に臥せている現状を加味すれば、情状酌量の余地はあるだろう。
すう、と鼻に抜ける清涼感に、晩餐での父の言葉と表情を思い返す。
過労と心労だろうという診断を、「そうだとは思わない」と告げたあの目。いかなる言葉よりも、雄弁に物事を語るようだった。
「彼の継承権の剥奪だけなら、あくまでアドリアンを疑うことができた。彼はわたしに恨みがあったし、わたしを苦しめたくてウェスト・エンドを利用する可能性も大いに考えられた。けれど、お父さまはあの日、こう言って締めくくられた」
あれはカデリアと婚約したのだから――と。
「そのときはただ、王党派と貴族派という支持基盤の違いか、カデリア自体の傲慢不遜な態度が問題なのかもしれないと軽々しく思っていたのだけれど、“レティム”という存在が前提としてあるならばその言葉に納得がいく」
ならば、いつから父は警戒していたのか。アドリアンの意思決定を受け入れると言ったとき、エレノアを否定しなかったのは、その時点ではまだ“レティム”という存在を二人の背後に見出していなかったからだろうか。それとも、もっと前……。否、しかし、あの晩餐の席で、父もリディストン伯爵夫人も、当初はアドリアンの廃嫡を考えてはいなかったと言っていた。
だれもがアドリアンの幸せを願っていたのだ。彼が決めたのならば、と、彼の幸せを受け入れようとしていた。
エレノアはソーサーの上でカップの持ち手を小さくこすった。
「バーナビー侯爵家でのあの二人の様子はだれの目から見ても異常だったもの。お酒を飲みすぎたにしては、異様なほどに興奮していた。そのとき、お父さまは気づかれたのかしら、もしかすると相応の証拠が見つかったのかもしれないわね。そうして、推定相続人の変更と廃嫡を決意し、行動されてきた。その矢先に、ウェスト・エンド13番地区で事件が起きた」
ドルイド医師の診断がなければ、いや、孤児が増えたことをデニング牧師が疑問に思い知人のドルイド医師に話を持ち掛けなければ、レティムの存在になど気づくことはなかっただろう。近隣診療所の突然の閉鎖はもしかすると恣意的なもので、レティムの浸透を感知させないためのものだったかもしれない。
エレノアがウェスト・エンドへ赴き、レティムの存在を知ってしまったことで、何らかの計画が崩れた。異物は取り除かれなくてはならなかった。
だが、もちろんそれだけではカデリアが関係していることは証明できない。
しかし、エレノアが――ベルウォルズ家が関係する地区に違法植物を持ち込むことで、利を得るのはだれかと考えたら、かの家が関係していないと断言することも不可能だ。
「カデリアがレティムをノーゼリアに持ち込むのに、ベルウォルズは邪魔だった。その反対に、リディストンは必要不可欠だった。なぜなら、リディストン家はセリフィスとの国境線を共にするトレルヴァ山脈を一部有しているから。ねずみの巣穴のようなその抜け道を使えば、どんな穀物も植物も、王都の役人の目をかいくぐって持ち込むことができる」
エレノアの仮説を聞き流す兄の面差しは、いつも明るく人当たりのいい愉快な兄のそれではない。
「それでもまだ、憶測の域を出ないことはわかっているな、エレノア」
ええ、とエレノアは答えた。
「なぜ、いまさらリディストンに目をつけたのか、それなら計画は最近のものなのか。それともただ、ベルウォルズを陥れようとしただけなのか、あるいはアドリアンの運命が、真なる運命だったか。……うまく言葉がまとまらないわ、ごめんなさい。でも、ひとつ、考えつくことはあるの」
俯かせていた視線を、まっすぐに見据える。
「カデリアはセリフィスとともに、北の海を――ラダマスを狙っていた」
もしくは、狙っている、だ。「そうでしょう?」と訊ねたエレノアに、フレデリックは長い溜息をついて瞑目した。
「父上どころか、ピッツヴェルド侯爵、さらにはウィリアム殿にまで殺されそうだ」
夫の名前が挙がり、やはり、とエレノアは答え合わせにもなったようで明るい気持ちになった。
「これには多くのことが複雑に絡んでいて、説明するにもひと筋縄ではいかない。カデリアとベルウォルズにかかわることであり、またカデリアとセリフィス、そしてセリフィスとラダマスにかかわることである。だから、エリィに詳しく話すわけにもいかない」
浮かれる気持ちとはうらはらに、それは理解できるとエレノアもうなずいた。
「どうにか、ここで静かにしておいてくれ、かわいいエリィ。今回の襲撃で、父上も母上も、もちろんこの兄も、おまえになにかあったらと身を切られるような思いだったんだ。まさかこのようなタイミングでこちらに手を出してくるとは思わなかったが、でも、そんなのは関係ない。なにがあるかわからないんだ、これまでも、これからも。おまえを失ったら、俺たちはどうしたらいいんだ」




