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それからの数日は、空虚のようであった。これまで築き上げてきたものがすべて音もなく崩れていく。目の前でその城が崩壊していくのを、もがくこともできずにただ見つめている。空虚の虚しさ、やるせなさ、後悔、憤怒、エレノアのみならず家族や知人たち、多くの人間がそれを経験するさ中であった。
もはやエレノアにできることなどなく、エレノアはあくまで貴族の令嬢で、主体的になにかを変えようとなどしてこなかったことをはっきりと痛感させられていた。これまで自らが選択してきたものは、結局はベルウォルズの令嬢として与えられてきた道筋にすぎず、それはあの北部へ向かう街道のように長く直線に続いていた。父や母を恨むわけではない。自分が分別のついた存在であり、一個の個人として存在していると思いあがっていた自分への落胆と羞恥さえ感じていたのだ。
自らの人生だというのに、考え行動するということを本質的に放棄していた。思慮深さのポーズをとり、自分はそうであると澄ましていた。なんでもできるという万能感はすべて周りからお膳立てされたものであり、それこそ空虚で実体のないものだった。
今度こそ、どうしてよいかわからなかった。社交の場へ出てうかつに行動することもできず、そもそもどう社交をしてよいのかさえ分別がつかないようになってしまった。忙しなく現実が起こる中で、エレノアだけは取り残されてしまった。
ただ唯一、郊外の孤児院へ行くことだけは、今の彼女にとって残された道であった。
ジェイムス=ロドリック孤児院は王都のはずれにあり、およそ百年前その教区で牧師をしていたジェイムス・ロドリック氏が教会で孤児を保護したことが始まりである。当時は領地拡大戦争が各地で起こっており、王都の貧民から多く兵を募ったこともあって街中に孤児が溢れていた。その子どもたちを、初めは数人ずつ教会に連れてきては簡単な食事を与えるという施しの延長で始めたのだが、ロドリック氏による支援は一過性のものにとどまらず、そうかからないうちに服を与え寝床を用意するようになっていった。
貧民地区ともいえる王都のウェスト・エンドに近い場所にあるその孤児院に、エレノアは王都に滞在しているあいだ何度か足を運ぶ。父方の祖母から続いた支援を繋ぎ、幼いころは母とともに、そして今では慰問から物資の支援・金銭寄付に関するすべてをエレノアが担っている。長い時間をかけ、少しでも孤児たちの暮らしぶりが向上するよう邁進してきた。それが、貴族としての義務であり責任であった。
ベルウォルズ家と同様、王都にはいくつかの孤児院や救貧院があり、それらを王家の代名としていくつかの貴族が支援している。
戦争が終わり、絢爛の時代を迎えやがて王国の権威が盤石となっても、食べるもの、着るものに困ることはおろか、寝る場所や風をしのぐ場所すらない人々が多くいる。自分の領地であれば私財を投入し多くの貴族が治安向上を目指すことだろう。しかしそれが王都をはじめとする王家直轄地となれば一筋縄ではいかない。
戦後豊かになっていく国の影で、その富や名声からあぶれた人々が王都の片隅や郊外に集まっていった。いつしかその場所は集落となり村となり、ひとつの街になっていく。そして、王政の隅をつつくように、王家直轄地とはいえほぼ無領主地区と言える場所ができあがっていった。ジェイムス=ロドリック孤児院のあるウェスト・エンド貧困地区もその代表だ。当然、無法地帯ともいえる捨て置かれた場所に目を向ける人間は少なかった。それを案じて、先代王の時代にいくつかの貴族に勅命が下されたのだ。
慈善活動が貴婦人たちの仕事だという時代は過ぎ、一時期あふれかえったという戦争孤児たちもとうに天寿を全うした、そんな中でも王都のはずれにはひっそりジェイムス・ロドリック孤児院は存在し続けている。茶会の席ではおろか紳士たちのカードやクラブの場でも話題に上らず、収支の報告は国に上げることが義務付けられているが貴族院で取り沙汰されることもない。
そんな場所へ頻繁に顔を出すことをよく思わない人間もいるだろうが、それでもエレノアにとってはこれがベルウォルズ伯爵家に生まれた自分の宿命と思っていた。
祖国を追われ、肉親も奪われ、知らない土地で暮らさなくてはならない人々がいると知った幼少のころから、あのときの少年のように寂しく苦しい思いをする人間が、少しでも減るように、と。ジェイムス・ロドリック孤児院への支援は、いわゆる難民の支援に繋がるわけではないが、それでも、自分のできることからひとつずつ積み重ねていきたかった。
今となっては、なにを積み上げてきたのか、もはやわからなくなってしまったが。
(もしかすると、こういうところがアドリアンにとっては偉そうで鼻持ちならない女だったのかしら)
行きの馬車の中で、揺られながら考えた。
義務、責任、宿命。当然と思ってきたものが、覆される。なにを信じ、行動していけばよいのか。
けれど、無視することはできなかった。決して綺麗とは言えない歴史あるたたずまいの教会で、着古してくたくたになり穴やほつれがあるような服を着た子どもたちが身を寄せあって暮らしているのを目の当たりにして、見て見ぬふりをできるほど要領がいいわけではなかった。
家令に指示を出して済ませればよかった?
金銭だけを寄付して終わりにすればよかった?
果たして自分は、譲ることができただろうか?
あの少年を、知らなかったふりなどできただろうか?
(……もう、わからないわ)
エレノアはそれでも、馬車を止めることはしなかった。
ウェスト・エンド13番地区。王都の周囲に造られた人工運河の外側、旧市街地を馬車で一時間ほど走るとその場所が見えてくる。道は舗装が剥げ、次第に水気を含んだ泥が足もとを覆っていた。二階建ての家々が群衆するように建ち並び、窓から窓へと紐が繋がれ、そこに汚れた布が干されている。そこからさらに馬車を走らせ、疎水沿いに孤児院はあった。
小さな聖堂は他の一つの建物と繋がっており、そこで孤児たちが集まって生活している。二階建ての藁葺屋根の家だけを見れば農村のこぢんまりとした一軒家のようだった。木の塀で囲まれた敷地の中に畑があり、牧師が飼っている馬や豚の糞を飼料にそこで孤児たちが野菜を育てている。畑のそばには小屋が建っていた。馬と豚のほかに数羽の鶏を育てており、毎朝卵をとるのが子どもたちの仕事だという。
午前早くから訪れたエレノアは、すでに子どもたちに囲まれあちらこちらへと引っ張られていた。庭や畑はもちろんのこと、院内のあらゆる場所をいつものように案内してもらい、昼食の時間になれば同じ席について雑穀パンとスープを口にした。食後には物語を読んで聞かせ、また年長の子どもたちには算術や刺繍を教える。彼らの仕事を見守り、自由時間がやってくれば手をつなぎ庭へ駆けだす。
照りつける日射しが幼いころを思い出させた。燦然と瞬く水面が光の向こうに今にも浮かんでくるようだった。胸に迫り上げる思い。捨て去ることのできない記憶。思い出というにはあまりに傷ついてしまった。遊び盛りの子どもたちの声が高らかに響いていた。
太陽が西へと渡っている。ついに駆け回る子どもたちについていけなくなったエレノアは、木陰で“見張り役”を務めていた。子どもたちは彼女が連れてきた護衛たちと「騎士と盗賊ごっこ」をして遊んでいる。
「エレノア様」
侍女のミリアに汗をぬぐってもらいながら一息ついていたエレノアへと、孤児院長であるデニング牧師が声をかけてきた。
孤児院が設立された当時と同じく、教区の牧師がこの孤児院の長を務める慣わしである。質素だが清潔で礼儀を重んずる黒のガウンを着た初老の牧師は、うやうやしくこうべを垂れると、「お伝えしとくべきことがございます」と深刻な顔つきで言った。
「こちらは……」
エレノアが連れてこられたのは教会の聖堂だった。二十人ほどが一度に礼拝を受けることができるその聖堂に、今は、五、六人の子どもたちが、説教用の卓を見つめてぼんやりと長椅子や地面に座っていた。
エレノアたちがやって来たことにも気づかず、彼らは聖堂内の女神像へ信仰心を示すこともなく、ただ無関心にもそこに佇んでいる。
殊、女神への興味が薄いのではないだろう。彼らの目には、おそらくあらゆるものが無意味に映っている。
「彼らは、“狂症”で親を亡くしたものたちです」
エレノアが言葉にもできない様子で立ち尽くしていると、デニング牧師が言った。




