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エレノアの結婚~「運命」を見つけた婚約者~  作者: 波屋ぽんち


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20/39

6-2

 ノーゼリアでの滞在に思いがけず小休止を打つことになったのは、王立博物館を訪れてから数日のことだ。


 急きょウィリアムはリエフへ一時帰国する運びとなった。



「議会からの召喚状が届いたとあれば、戻るほかないでしょう」



 ノーゼリアを発つ前夜、ウィリアムが領事館からの報せを受けて向かったのは王都のベルウォルズ邸だった。


 婚約者であるエレノアは、母親と代母とともに歌劇の観劇に行っているという。義理の兄となるフレデリックはクラブへ顔を出しているようだ。


 ウィリアムは運良くベルウォルズ伯爵を捕まえ、此度の訪問が叶った。



「バーナビー家の夜会に参加できないのは残念ですが」



 晩餐には至らないため、客間で蒸留酒を飲みながら話を続ける。



「私もです。バーナビー侯爵家の庭園は王都指折りの美しさだと伺っておりますから」

「ええ。とくにその庭で開催される夜会は格別ですよ。この季節は心地好い陽気なのもありますが、高い木々にロープを結び、何百ものガラス製のランタンを吊るして会場を照らす様は、まるで妖精の祭宴に迷い込んだようですから」



 なにより、とまなじりを緩めて伯爵は愛娘を語った。



「その灯りの下で踊るエレノアは、女神の眷属と見紛う美しさです」



 ウィリアムもふ、と相好を崩さずにはいられなかった。


 宮中にいる彼は公明正大であり、人格のベルウォルズとなれど、だれか一人に肩入れする様など見せることはないだろう。だが、娘に対する想いを堪えきれずに吐露する顔は、なんの衒いもない父親としての顔であった。


 残念だとウィリアムが口にすると彼は嬉しそうに破顔し、それから静かに目を伏せた。



「西側の動きはもはや確定的なのだね」

「……ええ」



 蒸留酒を一口舐める。


 多くを語ることはしなかったが、ベルウォルズ卿はすでに仔細を知っているかのように嘆息し前屈みになり両の手の指を合わせた。



「北部の関連は免れようがない、か」

「いずれ、明るみに出るでしょう」



 こつ、こつ、と静かに打ち合わせる。ウィリアムは蒸留酒を飲み干した。



「王太子殿下に奏上させていただく」



 重苦しい空気は払拭し得ない。


 翌日、早朝に手紙を届けに伯爵邸に立ち寄り、ウィリアムはリエフへ発った。



 それからの一週間という道程はとても長く、酷くもどかしく感じられた。


 馬車を使うには時間がかかり過ぎることもあり、レイヴェンから連れてきていた黒い大馬に乗りひたすら南下する。途中、宿場で休むこともあったが、可能な限りウィリアムはリエフへの帰路を急いだ。


 国議会からの召喚の内容はすでに知らされており、爵号にまつわるものであったがため秘書官に任せるわけにもいかず、避けようがなかったとはいえウィリアムの中には焦燥が生まれていた。


 なんの焦燥か?


 ともかく、レイヴェンの馬が一般的な種に比べて丈夫であったことはなによりの救いだっただろう。整備された道を走ったとて、いくつかの領地を越え国を跨ぐには途方もない時間がかかる。馬力となにより持久力に秀でた馬は長時間の走行に耐えた。レイヴェンヴェルグの国境管理所に着いたとき、ようやくウィリアムは馬を変えた。それから休むこともなくすぐに出立し、首都へ向かった。



「子爵様、おかえりなさいませ」



 王宮にほど近い首都邸にはレイヴェンから連れてきた老齢の家令がウィリアムを待ち受けていた。召喚状が送付された時点ですでに主人を迎える支度が整っていたのだろう。邸宅内は騒然とした様子もなく、以前と同様、物音が不必要に聞こえることのないほど静かだった。



「王宮にはすでに先触れを出しております。議場の開場となるアテンの刻には参内する旨、事務官より承っております」



 ウィリアムは軽食をとることもせずにただちに浴室へ向かった。湯冷ましは完全ではなかったが、熱い湯を頭からかぶると思考が明瞭になっていくのを感じた。


 フェリシティアの子爵邸とさほど相違のないつくりと規模。いまやいち財産を成したミュリルーズ子爵には慎ましいと言っても憚らないが、そのどれもがトレイフルコリーンのマナー・ハウスに類似していた。


 春には地面一杯にトレイフルという野草が芽吹き、白くて丸い小ぶりな花が咲く。その小高い丘のかつての領主の館はリエフにおけるウィリアムの帰る家であった。


 年老いた夫婦のもとに新たな息子ができたのは十年と少し前のこと。遠い昔に熱病で亡くなった本当の息子の代わりに、家を存続させるために縁戚であるレイヴェンヴェルグから養子にとられた。すでに青年期にさしかかっていた少年を、老夫婦は穏やかな温かさで迎え入れた。


 それは、身体の奥底に眠る記憶ともあの堅牢な獅子の砦とも異なる。ウィリアムの一抹の人間らしさを支えた温もりであり、ウィリアム・エーレ・ミュリルーズを明確に形作った場所であった。


 義父母の繋いできた領地を守り、領民たちの生活を安定させ、さらには富ませ、いつしか莫大な財を成した。その背景に隠された事情を知る者は限られるが、たとえその縁組と人生に思惑があったとしてもウィリアムは老夫妻に感謝をしていた。


 トレイフルの花咲く丘に彼らは眠っている。すでに満開の季節が訪れ、甘く青いにおいが辺り一面に満ちているだろう。


 ウィリアム・エーレ・ミュリルーズは、虚像か。その皮を剝いだとき、残るものはあるのか。


 自分という人間のその根底にあるもの。失くしてはならないもの。


 太陽が強く辺りを照らしている。草木が揺れ、ドレスの裾が膨らむ。肩から掛けたショールが、赤銅色の髪とともに風に攫われる。


 薄紅色の唇が、柔らかく弧を描いている。……


 ウィリアムは湯船に浸かり、四角い木枠の窓をじいと眺めていた。

 



 その後、参内したウィリアムを待ち受けていたのはやけに静まりかえった議場だった。議会には上院と下院とがあり、この日は貴族と有数の地主からなる上院のみの開催であったが、開始前の王宮議事場のホールは半ば緊迫した空気が漂っていた。ウィリアムは議席を持っていないがために直接参加することはなかったものの、ただ、その異様な雰囲気の原因はすぐに判明することとなった。



「ヴィルヘルム。許可証を出すよう、議会に働きかけたようだな」



 ひとまずの用事を終え、歩きながら事務官と話していたウィリアムをある男が呼び止めた。厳かとも、重々しいともいえるだろう声は壮麗な議事場の雰囲気にも気圧されることなく、均一の声質のままその場を制している。侍従を引き連れず一人こちらへ歩んでくるその様は、さながらリエフが砦の獅子の王を完璧に体現していた。



「レイヴェンヴェルグ辺境伯閣下」



 慌ててこうべを垂れる事務官は、哀れにも子兎のようでもあった。



「ノーゼリアへ大人しく向かったと思いきや、とんだ弾薬を携えてくるとは」



 あまりに動転した様子に、ウィリアムは一度小さくうなずき合図をすると事務官を下がらせた。



「ご無沙汰しております、閣下。弾薬などとは、いささか仰々しい」



 後見人は唇の端をかすかに歪める。



「どのような弾でも、その一撃が致命傷となる。まさかあの娘の価値を知らないわけもない。議会の連中が白目を剥いて卒倒しそうになったのを、見せてやりたかったほどだ」



 おそらく卒倒しかけたのは、あまり首都へ顔を出さない目の前の男の存在も関係しているのだろうが、ウィリアムは閉口したまま息をつくとクラバットの結び目をわずかに緩めた。



「閣下がこちらへいらっしゃるとは、よほど重要な用事があったようですね」



 御齢六十を超えても、矍鑠とした居住まいに翳りは見えない。命からがら祖国から逃れてきた少年が、わけもわからず身を寄せたその先で見上げた精悍な顔つき。朦朧とした意識の中で視界にかすめた、銀色のたてがみ。


 リエフが砦――レイヴェンヴェルグの銀獅子と呼ばれたその男の姿のまま、今なおウィリアムの前に立っている。


 アッシュグレイの髪を一糸乱れぬほど見事に撫でつけ、鋭い眼光を携えた隻眼が若い男を見据えていた。


 その胸の裡ですら見透かされそうで、乾笑いをしたくなった。



「東の国境で小競り合いがあったのは聞いているな」



 ウィリアムは首肯する。すでに風の噂で耳にしていた。



「黒の森に無国籍の武装組織が侵入したと」



 リエフの東、隣国との国境沿いに深い森がある。古くは「死する森」とも呼ばれ、他国の騎士たちの血で濡れた森はやがて黒く染まった。その様を、現在も畏敬を込めて「黒の森」と言う。



「レイヴェンの兵を東へ向かわせた」



 淡々と言い放つ男に、ウィリアムは眉をひそめた。



「なぜ、レイヴェンヴェルグの手など、デイヴェンヴァルドには不必要です」

「国王陛下たってのご希望だ」

「議会は承認しなかったはずだ。下院はともかく、上院がレイヴェンの私有軍の派兵を良しとするはずかありません」

「議会が承認しなくとも、レイヴェンの意志があればどうとでもなる。陛下はリエフの獅子が健在だと示したいのだろう」

「戦争を起こす気か」



 レイヴェンヴェルグの王は目を細めて笑った。



「もはやその段階ではないという考えは」

「それでも、戦争は望まない。それは各国の総意であるはず」



 頭痛がしてきそうだ。ここまで平静を保ってはいたが、これでは我々の計画はなんだったのか。



「旨みがあれば、いくらでも()()はある。悠長にしているうちに、その各国が動き出せばいよいよ開戦だ。西側はとくに東への進出を虎視眈々と狙っている」



 考えたくもない。しかし、考えねばならない。



「帝国はこちら側へ引き込みます」



 小さく息をつき気を鎮めてウィリアムは言った。



「それこそ旨みならいくらでもある」



 辺境伯はただ口許を歪めたまま、洞察するように養い子を見ていた。



「ヴィルヘルム」


 と、ウィリアムは呼ばれた。



「否――マクシミリアン・ギョーム・ルーヴロア・ヴァラントワール・アルパ=デルメ」



 ウィリアムは返辞をすることなく、そして視線も逸らし小さく唇を噛んで、拳をきつく握った。



「花園の姫を捕まえたこと、お祝い申し上げよう」



 わざとらしく緩んだ声に、かえって苛責が煽られるようでウィリアムは深く息を吸った。



「自分にはこの上ない幸福に存じます」



 その言葉の意は、ウィリアムの心臓深くに突き刺さる剣であった。


 ベルウォルズ――古代語で、「花開く大地」の意を示す。美しい花々が丘陵いっぱいに咲くさまを表したとされる。その名をもつ一族。一方でかれらはあまりに多くを秘匿していた。


 国防の要であるスタインウォール、財務の門番たるバーナビー、そして王家の懐刀たるピッツヴェルド。その三つの家門に隠れた、人格たるベルウォルズ。


 腰巾着、と、ある人間は揶揄をする。


 またある人間は、おこぼれをもらっただけだと嘲笑する。


 真価はいかに。


 いよいよ酷い動悸がして、ウィリアムはあの急いだ道のせいだと苦虫を噛んだ。


 これ以上はなにをも言われなくない。耳を傾ける必要はない。しかし逃げるにはもはや肉体は重い。


 後見人であった男の瞳は、こちらを蔑みはしないが不適な光を隠しもしなかった。



「レイヴェンの名をもってしても頷きもしなかったあの男を説き伏せたのだ。なにひとつ捨てることなく、お前のものであるべきものも、そうでないものも、今こそ手に入れる時ではないのか」



 過ぎたる言葉だ、自分は今さらどうこうすることもないと、叫びそうになった。


 決して、そのためだったのではない、と。


 彼女とともに在ろうとしたのは……。


 だが、そうだったか――?


 太い腕が胸許へ伸び、クラバットはおろか上衣やベストの襟を力強く掴んだ。鋭い眼光が否応なしにウィリアムを射抜いていた。



「俺はお前を謙虚に育てた覚えはないぞ」



 獅子たる王は言った。

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