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エレノアの結婚~「運命」を見つけた婚約者~  作者: 波屋ぽんち


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5-4

 附属の植物園は美術館の建物をぐるりと回った奥の敷地にあった。人々の声が明るく飛び交う噴水広場のある前庭とは異なり、木立に囲まれガラスの温室が聳えたつそこは穏やかな静けさに満ちていた。


 立地的に公園内の僻地という人目につかない場所にあることも起因しているのだろう。ひっそりと草花が揺れる植物園のフラワー・ガーデンは、まるで秘密の花園のようだ。


 王立博物館公園内にはその名のとおり博物館と美術館が敷地内に併設されていて、王都内でも有数の広さを誇る公園である。目玉の二つの施設もそうだが、舟漕ぎの楽しめる池や入り口近くに設けられたローズ・ガーデンなどもあり、ほとんどの人はそちらの施設に気を取られて隠された植物園になど目を向けない。


 エレノアも、この場所へ入るのは初めてだった。


 もう二十年以上も、この場所に暮らしているというのに。領地と王都とを行き来しているとはいえ、じゅうぶんな時間があったはずだ。


 ウィリアムに付き添われ花園を進み、まずはガラスの温室へ入る。ルスベリー邸の温室に負けじと劣らず(一応国の施設ではあるから、この場合はルスベリー邸のほうが「負けじと劣らず」なのだろう)、国内はもちろん諸外国の植物が生育されている。



「タリス、ラン、キョウトウ、デイチュラ……」



 いずれも美しい花だ。



「この花は知っています。小ぶりで愛らしい花だけれど立派な薬なのだと、領地の邸で祖父が教えてくださいました」



 花弁が端に向かうにつれ、淡い黄色から薄い紅色へ徐々に変化している。



「実をひっかくと、汁が出てきます。白い汁で、それを抽出して乾燥させることで薬を作ります」

「乾燥させると、黒くなるのですよね。小さなころ、風邪をひくと薬師から塊を買い、母が砕いて粉末にしてくれたのをよく覚えています」



 葉や茎には細かな毛が生えている。太陽に白く淡く光り、どこか神秘的にも見える。

 女神「イテュイア」の名を与えられた花。



「咳や熱などの風邪症状のほか胸痛によく効きますから。リエフでもこの薬は一般的です」

「でも、実そのものには毒があるのね」



 ふつうに暮らしていては知ることのない知識だ。種別に記された名版の下に、説明が加えられていた。


 先ほど羅列した花たちも、薬となるが毒を有する植物だった。


 ふさふさとした茎へ手を伸ばしそうになって、エレノアはそっと手を止めた。



「薬も毒も、紙一重とはよく言いますから。庭に生えている実を採ってきて、そのまま薬だからと食べさせられそうになってあわや、などといった話もよく聞きます」

「それはウィリアムさまのご経験ですか?」



 隣を仰ぎみると、端正な顔が、ふ、とやわらかく緩んでいた。


 それからも二人は温室の中をじっくり観覧し、裏手からまた別の庭へ出た。


 入り口に広がっていたフラワー・ガーデンよりも規模が大きく、通路に立てば一面の花の中を立ち尽くしているように感じられた。


 中には、ベルウォルズの領花である青い花も植栽されていた。


 それを見つけて、エレノアが目を細めているとウィリアムがエレノアの頬へ落ちた髪をそっと耳へとかけ直した。



「エレノア」



 胸が裡側から一気に熱くなるようだった。



「御母君の庭園に咲いていた、白い花の名。二十二年前に領地で改良された、この領花の別種だ」



 声が掠れてうまく出せなかった。は、と小さく息を吐き出したエレノアをウィリアムは見守っていた。



「よく、ご存じで」

「その数年前には、御兄君の花が。あちらは冴えるような黄色い花で、ベルウォルズ卿らしい明るい色だと思いました」



 屈託なく笑うことはしないけれど、目にどことなく楽しげな光が浮かんでいる。



「たしかに、お兄さまにぴったりですわね」



 焦ってしまいそうになって、エレノアは早口に言った。



「花が好きな母のために、父が領地の管財人に頼むのです。兄の生まれた年には黄色い花が、わたくしの生まれた年には白い花が新しく生まれました」



 青い花が、甘い風に揺れている。



「白くて、目映い。太陽の光を一心に撥ね返し、輝く――……。花の交配までしなくてはならないなんて、ベルウォルズの庭師は大変だわ」



 エレノアは震える唇でわずかに早口になりながら、そして小さく肩をすくめて言った。




 逢瀬の余韻はそれからしばらく後を引いて、どこか夢みごこちのままエレノアは過ごしていた。


 届けられる招待状へ返辞を書いたり、リエフの行儀作法に詳しい御婦人にそれを教授してもらったり、忙しく過ごしてはいたものの、植物園での青く甘い花の香りが長いことエレノアの胸や頭を満たしているようでもあった。


 香りがようやく薄れつつあるころ、バーナビー侯爵家主催のガーデン・パーティーに誘われていた。



「ウィリアム殿は、リエフへご帰省だって?」



 慌ただしく使用人たちが動く気配を背後に、妹にクラバットを結んでもらいながら兄フレデリックが言った。



「ええ。夜会にご一緒できないのは残念だけれど……、あちらから急を要する呼び出しの報せがあったらしく、お手紙を直接届けてくださってすぐ、その足でノーゼリアを発たれたみたい」



 母が見たら額に手を当てたくなるような光景だが、この妹思いの兄の首許を整えるのはエレノアにとって手慣れたものである。


 エレノアが五歳になったころには、すでに兄は王都の名門寄宿校で生活をしていた。休みには帰ってきて存分に相手をしてくれるものの、寄宿校を卒業し貴族学園に入り、大学を卒業するまで離れて暮らしていたことのほうが多かったくらいだ。


 幼少期、兄と遊びたくて仕方がなかったエレノアは乳母の目をかいくぐり兄のもとへ向かっていた。遊びの時間以外は兄にも勉強があったから、長子である彼は不真面目そうな態度とはよそに懸命に机に向かっていた。見つかったら叱られてしまうのはわかってはいたけれど、こっそり兄の部屋へ行ってはあれこれと構ってもらっていたのだ。


 そのうち部屋には潜り込めなくなってしまったが、その日のハンカチを選んだり、服装の色や形を指示したり、崩れた首許や衣服を整えるのはエレノアの役目のひとつとなっていた。甘えたい妹のために、兄はわざわざその役目を特別にとっておいてくれていたのだ。


 大きくなった今となっては、本当にだらしがなくなってしまったのではないかと不安になるところもあるが、兄が信頼を寄せて首許を預けてくれるのをどこか嬉しい気持ちで受け容れていた。


 そんなふうにして兄妹なりの愛情を確かめ合いながら最後にクラバット・ピンを留めると、エレノアは仕方ないわねといった調子で苦笑しフレデリックの手をとる。



「よもや帰ってこないなど、そんなことはないだろうね」

「まさか。あちらには一週間もいないとおっしゃっていたから、遅くともひと月以内にはまたお会いできるわ」



 そういうわけで、ウィリアム不在の夜会を兄にパートナーを頼んで参加することになった。


 このごろはウィリアムと顔を合わせることが多かったから、彼がノーゼリアにいないというのことがにわかにも現実ではないように思えてならない。


 人間の認知力というのは不思議なもので、いないと考えれば、そうではないと思うし、いる、と思えば急にその不在を実感し始める。


 馬車の音が遠くからしてくるのを、無意識のうちに期待してしまう。



「どうかお兄さまで我慢しておくれよ」

 と、フレデリックがからかうように言った。


 支度を終え、兄妹はすでにエントランスホールで待っているだろう両親のもとへ向かう。



「しかし、エリィには悪いけれど、お兄さまはどうにも疑り深くなってしまったみたいだ」



 兄のエスコートは完璧だ。お調子者でわざと格好つけた物言いで道化ぶるけれど、ベルウォルズ家の長年の教育はそのしぐさに染みついている。


 はあとため息のふりをしてみせた兄にエレノアはふふと笑う。



「お兄さまは()のことが好きだったものね、もしかするとわたしよりよほど悲しかったのではなくて?」



 この話題を家で出すのは気が引けていたが、考えていたよりも滑らかに言葉が口をついて出た。


「奴のことはたしかに弟みたいなものだったけれど」フレデリックが答えた。


「なにせローアン湖畔で会うたび、エリィとともに俺のあとを着いて回っていたからな」

「そうね。わたしたち、子ガモみたいだったわよね」



 フレデリックは笑うが、どうにも笑いきれないような自嘲的な感情をその顔へ浮かべていた。



「幸せだったよ。大人になるためのあれこれを考えることもなく、ただ原っぱを駆け回って。疲れたら地面へ寝転んで、手足を思い切り広げて空を眺めた」



 子ども時代との別離。アドリアンを忘れるというのは、そういうことだ。



「それでも、弟にはなり得なかったさ」



 すっかりしんみりしてしまった空気を切るように、まったく、とフレデリックが声をあげながら肩を落とす真似をする。


 エレノアは兄の腕へもう片方の手を添えて、「大丈夫よ、お兄さま」と微笑んで言った。



「ウィリアムさまは自分のお言葉を反故になさる方じゃないわ」

「そうだろうと言いたいところだが、何事も用心することに越したことはないな。クラブへ顔を出したら、今度こそボクシングを習おう」

「お母さまが悲鳴をお上げになるわ」

「父上はお喜びになるだろう」



 ニヤリ、いたずらな笑みをその口許に忍ばせた兄に、エレノアもふっと息を洩らして笑った。



「お待たせしました、父上、母上」



 ホールへ下りていくと、予想ていたとおりすでに二人の姿があった。階段を下り切ったところで居住まいを正すと、フレデリックとエレノアはそれぞれ両親へと紳士淑女の挨拶をしてみせた。



「またクラバットを選ばせていたのではないだろうな、フレデリック」



「まさか父上!」と溌剌としてフレデリックが答えた。



「ちゃんとピンまで挿してもらいましたよ!」



 堂々たる息子に、母は頭が痛いとばかりに額に手を当てた。満足そうな兄と呆れ顔の母と、いつもどおりの二人に父と一緒になって笑い合う。


 和やかな家族の時間に、馬車の用意が整ったと従僕が知らせに来た。



「私もそろそろエレノアにクラバットを選んでもらおう」


「貴方まで、そんな」ついに母が嘆息をつく。


「父上、気を抜くと青ばかりになりますから、用心していてくださいね」



 大きく肩を揺らして笑った父に、エレノアはそっと頬を赤らめていた。

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