帯分数と仮分数 4
6
《水曜日》
いつものように通学路を歩きながらそこに溢れる人々を見て、ここにいる人間ひとりひとりに生きてきた歴史というものがあるんだよなと今更ながらに思う。そして全く同じ歴史を歩んできた者がいないように、ひとりひとりの人格もまた異なる。積極的な人も消極的な人も、ポジティブな人もネガティブな人もいる。誰一人として、同じ感性の人間はいない。
――当たり前のことなんだがなあ。
ランドセルを背負いながらゆっくりと歩く小学生を追い越しながら、そんな周知の事実を改めて噛みしめる。
昨日の正則と橘を見ると、こいつらとおれとでは全く考え方が違うということを嫌でも実感させられた。その名残がまだ残っているからだろう、らしくもなくこんなことを考えたのは。
ざ、ざ、ざ、とアスファルトを強く踏みしめる音が後ろから徐々に近づいてきた。何だろうと振り返る間もなく、その音の発生源がおれと並び、追い抜いていく。
近くの中学校の野球部だった。今は朝錬のランニングメニューの真っ最中だったらしい。ぜえぜえと息を切らしながらもペースを落とさず、懸命に走っていた。やがてその背中は小さくなって行き、見えなくなった。
朝から頑張ってんなあ。
そしてしばらく歩いていると、後ろからまたも足音。しかし、先ほどより大きくなければおれに追いつくペースも遅い。
そいつも予想通り野球部だったが、息を切らさず早歩きのおれとほとんど変わらないペースで走っていた。こんなのダリいなあ、ま、このくらいのペースで完走すりゃいいだろ、と顔に書いてあった。
こいつはおれだな。
だらだらと走り去って行く野球部の背中を見ながら思う。おれも朝のランニングなんてものを義務付けられたらこうしてぎりぎり怒られないぐらいのペースで走っていただろう。息を切らすまで走るなんて愚の骨頂。要は走りきればいいのだ。そして、少し前におれを追い抜いていった、必死にランニングのタイムをあげようとしていた野球部のことを考える。するとなぜか、正則と橘の姿が浮かんできた。
そうだな。あいつらなら、全力を尽くして走りきるだろうな。
普段なら、そのことに対してそういう生き方もあるんだろうとしか思わない。けれど今日は、短い坂道を上る足取りがなぜだか少し重くなった。
7
願掛け、と言うほどの物ではないけれど、大事な試合前なんかは決まってお気に入りのグループの曲を聴いていた。もちろん、試合前にバラードを聴いてしんみりした気分になるわけにはいかないので、元気づけられる曲を選んで、だけど。
イスに腰掛け、さてどうするかと鞄から取り出した音楽プレイヤーを見つめる。耳にイヤホンをして、さっきから青紫色のボディについた再生ボタンに指を当ててはいるけれど、なかなか押すことができない。
さあどうする、と何度目かの問いをかける。
一番近くにこの音楽プレイヤーを再生したのは、インターハイ県予選決勝の日の朝。あの日以来、これで音楽は聴いていない。理由は、父兄の皆さんからもらったDVDを未だに見られないのと同じことなんだけど……。
だからこそ、今もう一度再生ボタンを押すべきじゃないのか? 画面に映し出された曲名を見ながらまた問う。
あの日、これで再生された音楽を聴いた。そして負けた。だから、これで音楽を聴いたら今日も負けるんじゃないか。そう思っている自分がどこかにいるのは認めなければならない。でも、そんな弱気でいてどうする。また前と同じ結果になったらどうしよう? わたしが果たそうとしていること、果たすべきことはそんなに弱気でいて成し遂げられるのか? その『前』を今日乗り越えると決心したんじゃないのか?
そうだね、とわたしは心の中で返事をする。そうだね。その通りだね。
ゆっくりと親指に力を入れる。耳に当てたイヤホンから、軽快なポップスが流れだした。
わたしは今日、リベンジを果たすんだ。大きな大きな敗北のリベンジ。それを果たそうとしているのに、再生ボタンひとつ押せないなんて情けないぞ。気合を入れろ。
そう自分に言い聞かせながら、ホームルームが始まるまで耳に流れ込んでくる旋律に身を任せた。




